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第22話「singing in the rain」

 神白の家である朱雀院(すざくいん)家から白金高輪駅までは徒歩で15分。狭山の足であれば10分程度で着くほどの距離しか離れていない。

 だが、隣には傘を差して歩いている神白がいるためいつもの歩調で歩くことはできない。それは狭山にとって幸福でもあった。

 もう少し神白と一緒にいたい。そんな彼の思いは、知らず知らずのうちに歩調に出ていた。


 雨音が静かな住宅街に響き渡る。さきほどまでは少し降っている程度だった雨脚は強まり、雨量は増え、地面に水が力強く叩きつけられている。加えて吹く風はどことなく冷たい。

 狭山はその冷たさがちょうどよかった。神白と歩いているこの瞬間、ずっと体が火照りっぱなしだからだ。


 チラと視線を横に向ける。横顔で美人だと判断できる神白が歩いている。彼女の髪色に少し似た、白い傘を持つ姿が様になりすぎている。

 こんな彼女の隣を、自分が歩いていていいのだろうかと疑問に思ってしまう。


「あ、あのさ、神白さん」


 狭山は沈黙に耐えかねて声を出した。

 神白の眉がピクリと動き、視線は前に向けたまま口を開いた。


「なに?」

「えっと、あの……バスタ行ったことある? バスターマックス」

「あの有名なコーヒーチェーン店のこと?」

「そう」

「結構よく行くよ」

「あ、じゃあもう飲んだことあるよね……今期間限定の」

「チョコレートマロンフラペチーノでしょ。美味しいよね」

「だ、だよね」


 あはは、と愛想笑いを浮かべる。相手はそれっきり何も言わなくなった。二人の足音が雨音と混ざる。

 会話終了。そして話題が無くなった。まさに万策尽きた状態だった。せっかく人伝(ひとづて)ならぬ鹿島伝から聞いた、普通の生徒と唯一共有できる話題だったのに軽く流された。

 何か話題はないだろうかと暗中模索を試みようとしたところ、一瞬で思いついた。ゲームだ。さっきだって一緒に盛り上がっていたではないか。


 いやしかしゲームで盛り上がっていいのだろうかと、狭山は思案する。神白がこちらに合わせてくれただけかもしれないのに、調子に乗って話しかけてドン引きさせたらどうする。そんな陰キャオタクムーブをかまして、相手が喜ぶのか疑問だった。それにゲームの話題を振るのは、少し癪だった。もう少しカッコいいと思われるような話題を、魅力的だと思えるような話題を振りたかった。


 狭山はその小さな自尊心に嫌悪感を示した。神白にカッコいいと思われたいのかと、自問自答する。相手は校内のアイドルであり人気No.1の女子であるため、そういった気持ちが沸き起こるのはわかる。こちらとて男だ。しかしスクールカースト底辺の陰キャ男子というのもまた事実。

 それが少しカッコつけただけでどうなる。痛々しいだけだ。

 でも一緒にゲームをした。これはもう友達ではないだろうか。だから自分の得意な話題で盛り上がってもいいのではないか。


 そこまで思って、狭山は傘を持つ手に力を入れた。

 それじゃダメだ。自分だけ楽しんで、面白くなって、どうする。

 

 ――一番の幸福は、旦那様の、奥様の、お嬢様の、我が(あるじ)の喜ぶ姿を見ること。


 義徳の言葉が反芻(はんすう)する。神白は自分の主であり、大切なお嬢様。業務時間外で執事服すら着ていないが、その心構えを持つことに時間や恰好は関係ない。

 常にその心を持ち続けることは自分がどんな人間であれ、自由のはずだ。


「神白さん」

「何?」

「明日。明日俺、コーヒー淹れて持っていくよ」


 神白が隣を見た。狭山と視線が交わる。


「義徳さん直伝のコーヒー。というか、リクエストがあったら言って欲しい」

「そう。考えておく」


 視線を切った。短い返事で会話は終わりを迎えた。ただ、神白の横顔は少しばかり明るくなったように見えた。気のせいではない。証拠に頬が少し緩んでいた。


 駅近くのショッピングモールと洒落た外装の店が姿を見せ始めた。もうすぐ駅に着くというのに、二人の間に会話はなかった。

 会話もなく、相合傘というベタなイベントがあるわけでもない。近づきすぎて肩が濡れるだとか水を撥ねる車から神白を守ったりといったこともない。

 ただ淡々と時間が過ぎて、一緒にいられる時間が減っていく。

 よく聞こえてくるのは傘を叩く雨の音。それが沈黙を際立たせている。しかし狭山の心には焦りはなかった。


 この沈黙が、どこか心地よかったからだ。

 神白を見る。特に何も言わず、表情も普通。ただ、不満げな様子ではなかった。

 歩けば誰もが振り返る美貌をまっすぐ向けている。時折すれ違う男たちの視線が神白に向けられているのを狭山は感じた。


 歩道橋の先に白金高輪駅の入口が見えてきた。雨が降っているとはいえ、人通りが増えてきたのを感じた。


「改札まで送ってく」


 歩道橋の階段を上りながら神白は言った。


「送っていくから」

「うん。よろしく」


 上り終え、まっすぐな道を並んで歩く。少し狭く感じた。


「いい天気だね」

「え?」

「好きな天気なんてなかった。今まで気にしてなかったんだ。けど、今は楽しい」


 神白が微笑みを浮かべ、狭山を見つめる。


「雨が、好きになりそう」


 胸が、締め付けられた。その表情と言葉に。

 その顔があまりにも美しくて。降り続ける雨が、神白を綺麗に磨いているようであった。

 狭山はグッと息を呑み、胸の高鳴りを隠すように口許を緩める。


「俺も、雨が好きなのかも」

「そうなの?」

「うん。この匂いが好きなんだ」

「匂い、か」


 頷いて、誤魔化すようにたっぷり鼻から息を吸う。

 雨の香りが、少しだけ甘く感じた。


 二人は駅の入口につくと地下に降り、改札までやってくる。


「じゃあここで」

「うん」


 振り向いて言うと、神白は凛とした佇まいで頷きを返した。

 どうしよう。何と言って別れるべきだ。

 そんな狭山の考えを見透かしたように、神白が手を振った。


「”また明日”」


 狭山は目を開き、破顔する。


「はい、また明日。”お嬢様”」


 一礼しておどけてみせた。狭山は顔を上げると、同時に素早く身を翻した。自分の言動が恥ずかしくて、相手の顔を見れなかったからだ。

 狭山はその場から逃げ出すように、その恥ずかしさを外部に出すように、改札にICカードをタッチした。




★★★




 狭山の背中が小さくなっていき、エスカレーターに乗ると姿を消した。

 愛しい存在を感知できなくなると神白は視線を切り、来た道を戻った。

 少しだけ歩調が早まる。素早く外に出て傘を差し、再び歩道橋へ。小走りだったかもしれない。周囲から見られているかもしれない。


 知ったことか。


 神白は歩道橋の階段を上り終えると傘をずらし、雨を浴び始める。

 真っ赤になった顔と、火照った体を冷やすのにはちょうどいい水温だった。

 顔を上に向けると灰色の空が広がっている。だが暗い気持ちにはならない。

 ふぅと息をついて、ゆっくり歩き出す。


「……I'm singing in the rain.Just singing in the rain~……」


 ついには、自分の好きな映画に出てくる歌まで口に出す始末だった。傘を持っているというのに、手に持ってクルクルと回し、全身を濡らす。

 寒くはない。


「What a glorious feelin' I'm happy again……」


 傘をたたんで歌詞を思い出しながら歩く。

 下からは車の音が聞こえる。水を撥ねる音が響く。

 正面に視線を向けるが、誰もいない。後ろから足音はない。

 だったら別に、舞い上がっていてもいいだろう。映画の主人公もこんな感じだっただろうか。

 

「I'm laughing at clouds……So dark up above」


 好きな人と一緒の部屋にいて、一緒に遊んで、送り迎えまでした。

 最高ではないか。 


The sun's(心には) in my heart(太陽). And I'm (愛が) ready for(芽生えて) love(いる)


 語尾に音符マークが付きそうな小さな声でそこまで歌うと、寒気が襲ってきた。

 くしゅん、と可愛らしくクシャミをして、ようやく正気に戻った。


「……いい天気ね」


 呟いて舞い上がろうとする自分の気持ちを落ち着けると、神白は傘を差して帰路についた。

 雨音は、徐々に弱まっていった。




お読みいただきありがとうございます。

次回もよろしくお願いします~。

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