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第20話「パイルバンカー好きなお嬢様」

 大きな扉の前で、ようやく神白が止まった。


「ごめんね、痛かった?」


 神白は振り向き、狭山の腕から手を離した。申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「い、いや、全然! 痛くなかったよ」

「……それはそれで悔しい」


 不服そうに片頬を膨らませた。どう答えればよかったんだと、狭山は困惑してしまう。

 沈黙が流れる。神白のジッと見つめてくる視線から逃れるように、狭山の首から上が右往左往し始める。


「あ、あのさ」


 後頭部を掻きながら謝罪するかのように視線を床に向ける。


「な、なんか、用事だった?」

「うん。用事」

「ごめん、今日はバイト終わっちゃって」

「うん。知ってる」


 淡々とした口調だった。からかっているわけではなさそうだが、何の用事なのか皆目見当がつかない。


「少しだけ時間ある?」

「……まぁ、少しだけなら」


 本当はすぐ帰りたかった。特に用事があるというわけではないが。

 狭山の脳裏に神白の母親である、純の顔が浮かび上がる。あの絶対零度の見下すような視線が、こびりついて離れない。一刻も早く寝て、忘れたかった。

 それでも少しだけ時間があるといったのは、神白に見栄を張りたかったからなのかもしれない。


「ここ、私の部屋」

「え?」


 神白の指が扉を指す。


「少し、手伝って欲しいことがあるの」


 心なしか、神白の頬に朱が混じっていたように見えた。

 神白はそのまま扉を開けて中に入る。狭山もそれに続いた。


 部屋はシンプルな内装だった。勉強机と小型の薄型テレビ。本棚に小物が飾られている木製デッキ。大きなベッドと薄桃色のカーテン。ソファにテーブルまで。全体的に清潔感に溢れる部屋だった。女子らしい小物はないが、部屋全体に漂う甘いいい香りが、この部屋が神白の物であることを物語っていた。

 そして、広い。狭山は自分の部屋が3つくらいなら入るのではないかと思うほどの広さに唖然とした。


 部屋に一歩踏み込む。そこでようやく、狭山の心にさざ波が立つ。

 学校一の美少女の部屋に足を踏み入れているという事実が、頭の中で反芻する。


「は、入っていいの?」

「うん」


 神白は肩越しに見るとコクリと頷いた。


「だって、友達同士で遊ぶだけだよ」


 柔らかな口調だった。

 友達、友達。自己暗示するように呟きながら、狭山は中に入ってドアを閉める。


――ん? つうか”遊ぶ”ってなんだ?


「何か手伝うんじゃ?」

「そう。手伝ってほしい」


 ソファに座った神白がスマートフォンを取り出す。


「マルチプレイでレイドボス行こう」




☆☆☆



 

 ソファに座ると、テーブルをはさんだ向こう側に神白が座った。

 自分がどんな状況に陥っているのか、狭山は混乱していた。部屋に入れてもらえただけでなく、一緒にゲームだと。


「フレンドから招待すれば、すぐできるんだよね?」

「え? あ、ああ。うん。部屋作ってくれれば」

「……どうやって作るの?」

「あんまマルチとかやんない感じ?」

「いつもはボッチ。それかランダムマッチ」


 ボッチって。そんな軽い言葉が、氷柱姫の口から出るとは思わなかった。

 少しだけ緊張が解れた狭山だったが、すぐに頭を振る。


「あのさ、俺ここにいていいの?」

「どうして?」

「バイト終わったから、さっさと出て行った方が……」

「友達を遊びに誘っただけなのに。誰かに「すぐ帰れ」って言われた?」


 狭山は口を噤んだ。そうは言われてないが、似たようなことは言われた。だがそれを言ったのは神白の母親だ。

 神白はすんと鼻を鳴らす。


「ちょっと遊ぶだけなら、誰も文句言わない」

「そうかな?」

「そうだよ」


 どことなく、神白の口調は優しかった。

 長居しないようにと決意を固めながら、狭山はスマートフォンを取り出しゲームを起動する。素早くプライベートマッチングの部屋を作って、神白を誘う。


「神白さんって渋い武器使ってるよなぁ」


 スマートフォンを横向きに持ちながら画面を見ていた狭山は、パーティに入った神白のキャラを凝視する。


「渋い?」

「パイルバンカーでしょ? メイン武器。超至近距離で撃たないとカスダメしか入らないやつ」

「うん。そう。カッコいい。ロマン砲」


 どうだ、と言わんばかりの、自信と自慢に満ちている小さな笑みを向けられた。

 狭山の状態が(かし)ぐ。クラっときた。いやキュンときた。


「狭山くんは? 長刀?」

「そう」

「男の子っぽい。好きなの?」

「好きというか、これしか使ったことがないから。あ、マルチのとき攻撃が当たったらごめんな」

「うん。お返しに釘撃ちするね」

「えぇ……こわぁ……」


 震え声で怯えてみせると、神白が口元を隠してクスクスと笑った。狭山は息をのんで、唇を強く結んだ。校内にいる時の、氷のような表情からは想像もできない笑顔だった。花が咲く、とまでは言わないが、花も恥じらうのは確かだ。


「私、前に行くから」

「OK。援護気味に行く」


 お互いの役割を確認し合うと、二人は画面を叩いたり、指を滑らせ始めた。


「あ、狭山くん、回復した方がいいかも」

「了解。つうか神白さん、避けんの上手いと思うけどさ、ガードの方が楽じゃない?」

「う……ガードのスキルも全部攻撃にしているから……」

「の、脳筋かよ」

「とりあえず敵を吹っ飛ばしたい。それで褒められたい」


 フフン、と鼻を高くする神白だったが、攻撃が盛大にスカる。


「っあぁ!」

「ドンマイ、よくある」

「……ラグ。オンラインでよくある」

「そんな撃ち合いに負けたFPSゲーマーみたいなこと言うなって」


 それからも戦術について話したり、やれどの武器が最強だ、この敵が苦手だという話になり。


「はぁぁあっ!? ありえねぇ! なんだこの火力!」

「こ、これは4人でやった方がいいかも……!」

「ああ、神白さん回復して! 回復!!」

「ちょ、ちょっと待って! 狭山くんの分も使っちゃった!」

「何してくれて……ほぁぁぁああ!! 死んだぁ!!」


 敵にやられて変なリアクションを取りながら、二人はゲームを楽しんだ。

 それから2時間近くが経過すると、神白が息を吐いた。


「素材集まったかも」

「こっちも。神白さん本当に上手い! 助かったよ」

「ううん。援護なかったら何回か死んでる」

「……回復待たずに、HPが1で突っ込んだ時は笑ったなぁ」

「ご、ごめんなさい……たぶん行けるって思った」

「行けてたまるか。めっちゃ敵の体力あったぞ」


 互いに笑い合う。なんとも穏やかで、和やかな空気だった。

 学校一の美少女と話しながらゲームをしている。まるで漫画や映画で出てくるような主人公のような体験に、狭山の頬が緩んでしまう。

 緩んでもいいだろう。誰だって緩むだろう。


「……少し、気分は晴れた?」


 急な疑問に、狭山の顔が上がる。神白がまっすぐに見つめていた。


「……エントランスのやり取り、見てた」

「あ、ああ……そうなんだ」

「私はね」


 神白の目線が力強くなる。


「あんなこと、思ってない。狭山くんのことをあんな風に思ったこと、一度もない」

「……」

「庶民がどうこうとか、そういうのも。私の認識が甘いだけも知れない。けど」


 口元に笑みを浮かべて、スマートフォンを持ち上げる。


「金持ちだったとしても、貧乏だったとしても、楽しいと感じる時は、一緒だから……。狭山くんと一緒に遊んでて、楽しい」


 狭山の耳に、神白の言葉が飛び込んでくる。刺々しい冷たさなど微塵も感じない、暖かさと優しさに包まれた言葉は、狭山の不安や怒りを鎮めるようであった。


「だから、気にしないで」


 ふわりと微笑む。


「また来てくれたら、嬉しい」


 この子に、いったい誰が”氷柱姫”なんて渾名を付けたのだろう。

 今目の前にいるのは氷柱のような冷たさなど微塵も感じさせない美女だ。


 狭山は言葉が出なかった。相手の言葉を有難いと思う。同時に、執事としての気持ちが心の中に浮かび上がる。それらが混ざってしまったからだ。

 そうだ、アルバイトとはいえ、自分の主は神白なのだ。なのに、どうして主に気を使わせているんだ。


 この瞬間狭山は、もう情けない姿を、少なくとも神白の姿の前だけでは見せたくないと、心に誓った。


「……ありがとう、神白さん。いや、えっと、お嬢様」


 真剣な眼差しを向けてそう言うと、神白は一度目を見開き、頷きを返した。

 儚さを感じるような笑みを浮かべて。


 その笑顔を見て、自分の心から不快感が消えていくのを、狭山は感じていた。



お読みいただきありがとうございます!


次回もよろしくお願いします~!

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