64.夢を叶えた日
「わっ、すごい人」
「そりゃそうでしょう。だってあのピレス・キャバイエが紹介していたパティスリーなんだから」
「あ、ほらほら、あのイケメンがパティシエなんでしょ。外国人よね、金髪だし」
耳に飛び込む声を、極力気にしないようにする。
けれども完全にシャットダウンするのは無理だ。
客席とキッチンの間に壁がなく、いわゆるオープンキッチンになっているのだから。
「なあ、カエデ」
「どうしたの、アラン。浮かない顔ね?」
「このキッチンが丸見えの造り、どうにかならなかったのか?」
「えっ、だって施工時にあなたも同席していたじゃない。聞いてなかったのが悪いんでしょ」
「む、ぐぐ......致し方あるまいっ」
楓の切り返しに、アランシエルは肩を落とした。
客で溢れる店内をちらりと見る。
ほとんど女性ばかりだ。これもあのピレスの差し金なのだろうか。
「ほら、そんな顔しないの。せっかくお客さんがたくさん来てくれたんだから、サービスサービス!」
「あのな、楓。余は魔王でありパティシエであって、芸能人でも客寄せパンダでもないのだぞ」
声をひそめ、アランシエルは毒づく。それを聞いて、楓はにっこりと笑った。
二人はお揃いの真っ白なコックコート姿だ。
「アラン、あなたもう日本に五年もいるんだからね。そろそろその言葉遣いが出るの、直そっか?」
「人前では慎んでいる、問題なかろう」
「ダメよ、最近はどこに盗聴器が仕込まれているのか、分からないのよ? ひょっとしたら、このパティスリーのどこかにも」
「本当か、それは。菓子作りの世界にも、そのようなスパイまがいの策略があるのか」
「ないわよ」
楓は実にしれっとした顔である。
アランシエルは「くっ、良い度胸だな」と毒づくが、すぐにその顔は晴れやかなものに戻った。
「まあいいさ。今日はお前の夢の実現した日なのだからな。些細なことは問うまいよ」
「違うよ、アラン。今はもうあたしだけの夢じゃなく、二人の夢でしょ?」
そう答えてから、楓はキッチンから店内へと移動した。アルバイトだけでは回らないので、注文を取りに出たのだ。
「はい、ご注文はお決まりでしょうか?」と接客していると、自然と笑顔がこぼれた。
「すいません、注文お願いしますー」という客の呼び掛けに反応する。「はい、ただいま!」と素早く答え、さっとメニューを提供した。
窓際の円卓から楓を呼んだのは、三人組の若い女の子のグループだ。
仲良しOL達が休日に遊びにきたというところか。
一人が写真付きのメニューを見ながら、楓に質問する。髪が長く、大人しい印象の子だ。
「ここって、あの有名パティシエのピレス・キャバイエさんに紹介されたって聞いたんですが」
「ええ、はい。ありがたいことに」
楓が答えると、ショートヘアーの二人目が「わっ、ということはお二人ともすごいパティシエなんですか?」と目を輝かせる。
その視線は目の前の楓とキッチンにいるアランシエルに、等分に注がれていた。
肩をすくめながら、楓は答える。
「いえ、すごいのはあちらのパティシエですね。アランと言うんですが、あのムッシュ・キャバイエもその実力を認めていまして」
「えー、いいなあ。お菓子作りが上手くて、しかもあんなイケメンが恋人なんて羨ましいなあ」
「ちょっと、初対面の方に失礼でしょ。ごめんなさい、この子最近失恋しちゃって」
二人目の子が肩を落とすと、三人目がフォローに入る。こちらはハーフアップの茶髪が似合う、活動的なタイプだ。
恋人という単語に赤くなっていた楓も、その様子に冷静さを取り戻す。
「そんな時にわざわざお越しいただき、ありがとうございます。きっと皆さんのお気に召すスイーツがありますよ」
「そうね、うーん、でもどれも美味しそう。ね、一番のお勧めは何なの?」
三人目の子が首をかしげながら、聞いてきた。
一人目と二人目の子は、注文については何も言わない。任せることにしたらしい。
「そうですね、どれも得意にしていますが......よろしければ、こちらなどいかがですか?」
メニューをめくり、楓は一つのケーキを指差した。
特に異論はないらしく、あっさりと注文が決まる。
キッチンに戻り、楓はアランシエルに声をかけた。
「アラン、フロマージュ・キュイ三つ入りました! カットだけお願い!」
「了解」
「あと、せっかくだからあなたも出てきたら? オープニング初日なんだしね」
「なぬっ!? うむむ、これも店の宣伝の為ならやむなしかっ」
「と言うわりには、嬉しそうよね」
楓に背中を押され、アランシエルは店内に足を踏み入れた。
店内はナチュラルな雰囲気に統一してある。濃い茶色の椅子もテーブルも、全て木目調だ。
「何を言えばいいんだ?」
「フロマージュ・キュイの説明だけしてくれたら」
「そんなことでわざわざ?」
アランシエルは眉をあげる。
周囲からはキャーと歓声があがるが、何がそんなに嬉しいのかさっぱり分からない。
楓の案内のまま、女の子三人組の円卓にたどり着く。
「フロマージュ・キュイ、三人分お持ちしました。こちら、チーフパティシエのアランから、説明をさせていただきます」
楓に脇をつつかれ、アランシエルは「お越しいただきありがとうございます」と頭を下げる。
何故かそれだけで「キャー!」と黄色い歓声があがった。
正直訳が分からない。けれどアランシエルは真面目である。
「それでは僭越ながら、私からご説明を。フロマージュ・キュイとは、いわゆるチーズケーキです。使うチーズにも色々ありますが、この店ではクリームチーズを使っております」
アランシエルが話し始めると、店内がしんとした。
皆、自分の話に耳を傾けているようだ。それを意識すると、自然と説明に熱が入る。
最初は嫌々だったが、そんなことはすぐに忘れた。
「最初にクリームチーズとバターを手で混ぜるのですが、この時は泡立て器は使いません。手のひら全体を使って、しっかりと揉みほぐすようにします。それが終わったら、牛乳と砂糖を追加しますね」
アランシエルは手で押し潰すような仕草をする。
楓はその様子を見ながら、ふと昔を思い出した。
自分が異世界に連れてこられて、最初に出会ったのがこのフロマージュ・キュイだった。
"ザクザクとしたクランブルの生地と、ふわふわのフロマージュのコントラストが生命線なのよね"
あの時のアランシエルの顔と、フロマージュ・キュイが脳裏に甦る。
それは甘く優しく懐かしい思い出だ。
アランシエルと自分の関係を作ってくれたきっかけは、間違いなくあのフロマージュ・キュイの完成度の高さだろう。
「すごいんですね、アランさんて! このフロマージュ・キュイって、そんな手間ひまかけて作られてるんだ!」
「湯せん焼きにするから、こんなにフワッとしてネットリした甘さになるんですねー」
「うわあ、ほんと美味しい。決めた、男なんかいらない。このケーキさえあればいいわ」
「お、お客様、気に入っていただくのは光栄です。しかし恋愛とはまた別かと」
三人組が感想を漏らし、それにアランシエルが必死で対応している。
その平和で幸せな風景を心のカメラで切り取りながら、楓は他の客のテーブルを回った。
「ようこそ、パティスリー De Vous Voir《あなたと出会えて》へ。私共のスイーツで幸せな一時を過ごしていただけるように、精一杯頑張らせていただきます!」
† † †
一方、その頃。
所は少し離れた路上にて。
「ひゅう、この辺りは来たことなかったからなあ。面白い場所に店開くもんだな、あの嬢ちゃんも」
「お前はまだ地球の土地勘があるからいいが、私はさっぱりだからな。道案内は任せたぞ、グーリット」
二人の男性の声がする。
一人は軽快な服装をした青年だ。
片耳にだけピアスをし、灰色の髪をバンダナで包んでいる。
もう一人は真っ黒いサングラスをしており、その視線は遮られていた。
こちらはかなり年輩らしく、その白髪は肩まで垂れている。
「もー、早く行かないとお菓子全部食べられちゃいますわ! アラン様が作ったんですもの、すぐに評判になるに決まってますわ!」
「食欲優先って、それもちょっとどうかなあ」
「まっ、ルー・ロウだって早く二人の作ったお菓子食べたいくせにっ」
そのすぐ後ろに、かなり若い二人組がいる。
ゴシック調の黒いメイド服の女の子と、シックな黒いスーツの男の子だ。
どちらも外国人なのか、肌が透き通るように白い。
「やれやれ、シーティアはいつまでたっても子供だのう」
「エーゼ翁から見たら、それは誰だって子供ですわ。ところでそのサングラスしてると、とてもダンディですこと」
「仮装のようで落ち着かないがね。盲目をさらす訳にもいかぬ故」
「おっと、そんなこと言ってる間に見えてきたぜ。へぇ、やっぱすげえ客だなあ。俺ら入れるの?」
「ふふ、五年も待ったのです。今更ちょっとくらい待っても、ルー・ロウは構わないですよ」
わいわいと騒ぎながら、この奇妙な四人組はパティスリーを目指す。
里崎楓とアランシエルは彼らと再会してびっくり仰天するのだが、それはまた別のお話。
This is the end of the story " Sweets story in the Another world ~ Evil king is a pattisier !~".
Thank you for reading!
参考文献
・「オーボンヴュータン」河田勝彦のおいしい理由。お菓子のきほん、完全レシピ
著者 河田勝彦 世界文化社
・アシェット・デセール専門店の皿盛りデザート
著者 Calme Elan 松下祐介 河出書房新社




