55.第三試合 シュー・パリゴーとソルベ その四
ため息か歓声か、そのどちらかが二十一人の口から漏れる。
「これはまた美味しそうなお菓子だねえ」
「こんなものが食べられるなんて、審判役に選ばれて良かったわー」
彼らの前に置かれたのは、二種類の菓子のセットプレートだ。
最初はリシュテイル王国側からなので、シュー・パリゴーとカシスのソルベである。
「前にシュークリームという菓子を食べたことがあったけど、このシュー・パリゴーというのは?」
「基本的にはシュークリームと一緒だよ。パリゴーというのは、パリ野郎って意味。地球の都市のパリにかけた、一種の愛称だね。アーモンドダイスがふりかけられているのが、特徴かな」
「ほほう」
審判役の一人が、鈴村の説明に頷いた。かりりと焼き上がったシュー皮を持つと、そのままかぶりつく。
香ばしさがまずは口の中で溢れた。それから間もなく、クレーム・パティシエールのまろやかな甘さが広がる。
「すごいね! こんなお菓子、食べたことない!」
「見た目は地味だけど、美味しい!」
ここまでは上々と言うべきか。
そして、カシスのソルベにも手が付けられる。
「どうすれば、こんなに綺麗な紫色になるんだワン。それにこの綺麗な球形。崩すのがもったいないくらいだワン」
コボルトの審判役が、不思議そうにソルベを観察している。
犬耳をピクピクさせつつ、そのコボルトはソルベを一口すくった。
果物の匂いに酔いそうになりながら、それをぱくり。
「ひゃっ! 冷たくって、こう、パアアッと爽やかな感じっ!美味しい、このカシスという果物!」
「大人のお菓子って感じだね。お酒が効いてるのかなあ。溶けていく時に、余韻が広がる」
全員が好意的な反応だ。
ピレスは当然ということなのか、表情を変えない。
「喜んでいただければ幸いです。判定のことは忘れ、どうか存分に召し上がってください」
かけた言葉はこれだけだ。このあたりは、鈴村とはキャリアが違う。
審判役は皆満足そうな顔である。
自分のカシスのソルベも、鈴村のシュー・パリゴーも堪能したらしい。
組み合わせとしても、この二つは良かったのだろう。
"これで満足ではないが、パティシエとして一定の成果は収めたか"
ピレスが振り向く。
その視線の先には、大小二つの人影がある。背の高い方が口を開いた。
「それではこちらの番だな。この大いなる菓子の祭典の最後を彩るセットプレートだ」
癖のある金髪が風に揺れる。
白いコックコートにより、男の褐色の肌は一層精悍さが引き立てられていた。
観客席の視線が、その男――魔王アランシエルに集中する。
「精一杯作ったから、皆で楽しんでね!」
その横で声をあげたのは、里崎楓だ。
肩までの黒髪を払いながら、アランシエルの横に立つ。小柄ではあるけれど、それを感じさせない凛としたたたずまいだった。
「では用意いたしましょうね。ルー・ロウ、そっちからお願いですわ」
「承知してるよ、シーティア」
シーティアとルー・ロウの二人が、手際よくプレートを並べていく。
ライチのソルベの器は、菓子には珍しい黒である。
しかし、これが純白のソルベを見事に引き立てていた。
「やりおるな、アランシエルめ」
むぅ、とジューダスは唸る。
「良い器のセンスですね。ああ、しかし美味しそう」
「お前、何見てもそればっかりじゃないか」
「うるさい! 審判役として美味しい思いをしてきたユグノーには、言われたくはない!」
ロゼッタとユグノーがにらみあうが、それは長くは続かなかった。
プレートが全部並べられた後、アランシエルがそこに近づいたからだ。
「おい、あいつの手にあるのって鍋か?」
「そう見えるけれど、中に入っている金色のものは何だろう」
ユグノーとロゼッタだけではない。この闘技場の全ての人間が、アランシエルを見つめていた。
あとは審判役が食べるだけなのに、一体何をしようというのか。
「あれはまさか」
その行動の真意に気がついたのは、ピレス・キャバイエだった。
左手には鍋を持ち、その中には黄金色の液体が沈んでいる。まず間違いなく、あれは火にかけて溶かした砂糖だろう。
右手に持つのは、泡立て器の先端を切り落としたものだ。とすると、何をするのかは明白だ。
「飴細工だと!?」
「ご名答だ、ムッシュ」
にやりと笑い、アランシエルは右手の器具を鍋の中に付けた。
「最後の仕上げだよ」と言い放ちながら、それを素早く振り抜く。
「わあっ、綺麗」
誰かの歓声、その一言だけで十分だろう。溶けた金色の糸が空中に引かれ、それは一瞬で固まっていく。
細い飴細工の糸を数本ごとにまとめ、アランシエルは白いライチのソルベにかぶせた。
黄金色の糸の下から、純白のソルベが透けて見える。
「この祭典のフィナーレだ。華やかに飾らせてもらったよ」
「粋な真似を......」
お互いの言葉が聞こえたかは分からない。
けれども、アランシエルとピレスの視線は切り結ぶ。
その間にも、審判役の二十一人は目の前のスイーツに取りかかっている。
楓の作ったシュー・パリゴーに歓声が上がる。
「うわっ、このシュー皮、すごいパリパリで香ばしいね!」
「中のクリームもしつこすぎなくて、美味しいっ! ほんの少しだけラム酒を効かせてて、それもまた良し!」
「ほわっと、口の中で焼いた皮とクリームが混じっていくねー」
口々に感想を言いながら、シュー・パリゴーを食べていく。
観客席からは羨望のため息が漏れた。そして、それは観客席からだけではない。
「あああ、羨ましい羨ましい羨ましいいい!」
「お前はもうちょい理性を覚えろ、ロゼッタあああ!」
「とは言いつつ、勇者ユグノーよ。あなたも物欲しそうな顔をしているがな」
「大司教様には言われたくないねえ。そっちも似たような顔だよなあ!?」
ロゼッタ、ユグノー、そしてジューダスの三人がわいわいと騒ぐ。
その間に審判役達は、次の菓子へと進んでいた。
いくぶんまったりとしたシュー・パリゴーの甘さに、この白いソルベがどう働くのか。それは食べてみなければ分からない。
「いや、それにしても綺麗な菓子だねえ。この金色の糸は、砂糖なんだろ?」
「飴細工っていうらしいけど、砂糖を溶かしただけでこんな風になるんだね」
「金糸を散らした雪原みたいでお洒落!」
見た目のインパクトは抜群らしい。
最後の菓子ということもあり、いやでもムードは高まる。
最初の一人のスプーンが入る。さくりと軽くソルベが砕け、スプーンに乗った。それがゆっくりと舌の上に落ちていく。
「――これは、何と言っていいのか」
ライチという果物を、ナノ・バースの民は知らない。
けれど、その透き通ったような甘さは、この上なく美味だった。
「凍らせたおかげなのかな。軽くて、けどきちんと存在感のある冷たい甘さ!」
「軽いけど、味気ないんじゃなくて、純粋に甘い! 自分の言語能力の乏しさが悔しいっ!」
「果物の純粋な甘さを、氷に封じ込めてるよねー。これ好きー」
次々に聞こえてくる賞賛に、アランシエルは表情を緩めた。
小さな立方体を積んだ形もまた、興味を引いたらしい。
「すごく面白い形してる。パズルみたいだね!」と誰かが叫んだのだ。
"狙い通り、だが、これで勝ちきれるか"
勝利を確信するには至らない。
ピレスと鈴村のプレートも、こちらが作ったそれに比肩する。
もし自分が審判役でも、どちらに一票を投じるかは迷うだろう。それだけハイレベルの勝負である。
「二十一人全員の菓子を、全く損じることなく作ることが出来ているかどうか」
鈴村豊はコック帽を取る。里崎楓の方を見れば、彼女もまたコック帽を取っていた。
「ダメだわ、全然分からない。うう、どうしよう、自信なくなってきたなあ」
「ここまできて、今さらそれか。あとは審判役に委ねるしかなかろうが。なあ、ピレス・キャバイエ?」
楓をなだめながら、アランシエルはピレスに声をかけた。
砂色の髪をかきあげながら、ピレスは「そうだね。互いに死力を尽くしたのは間違いない」とだけ答えた。
その蒼氷色の目には、驕りも無ければ悲観も無い。
† † †
全ての審判役が菓子を食べ終わった。
ソルベもシュー・パリゴーもまったく残っていない。残っているのは、微かな甘い匂いだけだ。
「さて、どちらが勝つやら」
「ここまで来てそれはなかろう、グーリット。嘘でも魔族領が勝つと言わねば」
「けど、相手もかなりのものだったからなあ」
グーリットも、好きでこんなことを言っているわけではない。
エーゼルナッハが指摘したように、絶対にこちらが勝つと言いたい。
だが、容易な勝負でないのは確実だ。
「だ、大丈夫ですわ! あのアラン様の飴細工、あのインパクトがあれば!」
「そもそもカエデさんがあんなに頑張ったのに、負けるわけないのです」
その横で、シーティアとルー・ロウは必死に祈る。
その姿を見ている内に、グーリットも反省した。
「んだな。俺らが信じてやんねーとな」
「......さて、投票が始まったようだぞ」
エーゼルナッハの声に従い、皆が視線をコートの中央にやる。
ロゼッタが持った箱に、審判役達が紙を入れている。より美味だと感じた方の名前を、あの用紙に記入しているのだ。
全ての投票用紙が箱の中に収まる。ロゼッタがそれを取り出し、集計をしていくのが見えた。
シン、と静まり返った闘技場に、紙がかすれる音だけが響く。
ごく短い時間ではあったが、待つ者には殊更に長く感じられた。
ロゼッタが席を立つ。周囲を見渡しながら、彼女は口を開いた。
「アランシエルとカエデ・サトザキ、十票」
リシュテイル王国の国民が喜びの声をあげた。
反対に魔族領の民は、落胆の声をあげる。
審判役は二十一人。つまり十一人以上の票を取らなければ、その時点で負けだ。
「よおしっ! 俺たちの勝ち――え?」
勢い込んだ鈴村だが、そこで気がついた。ロゼッタの表情が固いままであることに。
「ムッシュ・キャバイエとユタカ・スズムラ、十票」
ガタッと音を立てて、ジューダス大司教が立ち上がる。「まさか」と呟くその顔色は蒼白い。
「白紙、一票。よって、大いなる菓子の祭典は引き分けだ」
赤髪を払いながら、ロゼッタは高らかに宣告した。
静寂は一瞬だった。闘技場の全ての観客が立ち上がる。
「白紙っ!?」
「引き分けだとっ! そんなことが!?」
「こ、この大いなる菓子の祭典が勝負無しだなんて、そんなことがありうるのか!」
どう受け止めていいのか、全員分からないらしい。
だがその異様な空気の中で、楓は大きく息を吐いた。その黒い瞳は微かに潤んでいる。
「よかった、負けなくて......本当によかった」
それだけを強く思った。




