52.第三試合 シュー・パリゴーとソルベ その一
闘技場を去る人々を見送りながら、ジューダスはコートの方を振り返る。
テーブルや椅子は片付けられており、ずいぶんと殺風景だ。
先ほどまでの熱戦が嘘のように、そこだけは静かである。
「並ばれましたな」
「申し訳ない、ジューダス大司教」
「いや、責めているわけではないのですよ。カエデ嬢が思いの外、頑張った。そういうことでしょう」
鈴村が頭を下げたので、ジューダスはとりなした。
この試合で勝負がつけば良かったのだが、悔やんでも意味は無い。それよりは明日の第三試合が重要だ。
「明日の菓子は、シュー・パリゴーとソルベでしたな。それを二十一人の一般から選出した審判役で判定する。ふむ、中々興味深い」
今さら分かりきってはいることを、ジューダスは口にする。
一言一言を噛み締めるようにして、彼は鈴村の背後を見た。
闘技場の出口の方へ、アランシエル一行が去っていく。
「粘るものよ。とはいえ、最後に勝てば問題ないか。ロゼッタ、勇者様は?」
傍らに立つロゼッタに声をかける。
「はっ、早々に帰られました。昨日今日とスイーツを堪能したので、少々胃が疲れたと申されまして。まったく、だったら私が替わりたいところです」
「それこそ言っても仕方なかろう。勇者ユグノーだからこそ、審判役としての判定に重みも出たのだからな」
「それは確かに」
ロゼッタも、別に本気で文句を言ったわけではない。
敵も味方も、ユグノー・ローゼンベリーには一目置いている。彼が審判役であれば、判定には文句は出ない。
「ユグノー殿には、ゆっくりお休みしてもらおう。明日は二十一人か、忙しくなりますね」
ピレスが会話に口を挟む。
「そうですな。頼みますぞ、ムッシュ・キャバイエ」とだけ、ジューダスは声をかけた。
「無論そのつもりです。さて、ユタカ。そろそろ帰ろうか。材料と器の確認だけして、今日は寝よう。疲れたね」
「分かりました。明日はきっちりと返してやりますよ」
「その意気だよ。ではジューダス大司教、ロゼッタさん、我々はこれで」
鈴村と共に、ピレスはその場を離れていく。二人を見送りながら、ジューダスは微かに笑った。
「まったく頼もしいことだ。ロゼッタ、私たちも引き上げるぞ。明日の審判役の方々に、念のために声をかけておこう。魔族領からも、十名選ばれているのであったな?」
「はい。拘束約定があるとはいえ、やはりそこは出来る限り平等にしたかったので。公平を期しております」
「結構。あとで文句を言われてはたまらぬからな」
より正確に言えば、一名だけリシュテイル王国から選ばれた審判役が多い。だが、それは割り切るしかないだろう。
「それではジューダス大司教、魔族の者達には私が声をかけておきます。大司教は、王国の民からの審判役をお願いします」
「うむ。おお、そうだ、ロゼッタ」
「何でしょうか?」
大司教の呼びかけに、ロゼッタは首をかしげた。その可愛らしい仕草に、ジューダスは目を細める。
「終わったら教会に来なさい。夕御飯くらいは馳走しよう」
「本当ですか? 喜んでいただきます。大司教の奥様の手料理、久しぶりですね!」
「娘が嫁いでから、うちも寂しくなったのでな。一緒に食べる者は多い方が楽しい」
何だかんだと言いつつ、ロゼッタには甘いジューダスであった。
† † †
勝利の余韻がまだ残っている。
目を閉じながら、楓はテーブルに突っ伏していた。
ここは樫の木亭の一階だが、個室を借りている。おかげで他の客の会話は聞こえてこない。
「疲れた」
ぽそっと呟いた。
うっすらと目を開ける。会議室にあるような、広い円卓が視界に飛び込んできた。貸切の個室なので、実際に会議室のようなものだろう。
死んだような目をした楓の前に、カップがゆっくり置かれた。
「ココアだが飲むか?」
「ありがと、アラン。ダメだ、どっと気が抜けちゃった」
「気を張っていた証拠だ。少し休めよ」
「うん、ごめん」
アランシエルに礼を言いつつ、楓はカップに手を伸ばす。何とか体を起こし、ゆっくりと飲んだ。
淹れたばかりなのだろうか、少し熱めだ。
「じんわりくるなあ。結構ああいう場に出るの、疲れるね」
「人前で作ること自体、普段とはプレッシャーが違う。それに崖っぷちだったということもあるからな。疲れて当たり前だ」
「だよね。ココアが美味しい......」
肩が張っているし、背中も痛い。試合の時はまったく気にならなかったが、今になってじわじわくる。
アドレナリンが切れたのかと思いつつ、もう一口だけココアをすすった。
「一休みしたら、明日の確認をしよう。今まで散々やってきたから、あくまでおさらいだ。いけるな?」
「もちろん」
ココアのカップを置きながら、楓はアランシエルに答えた。
多少疲れていようが、明日が最後の試合なのだ。疲れなど精神力で克服する。
「いい返事だ。作るスイーツは、シュー・パリゴーとソルベ。ソルベの種類は任されていたので、こっちで勝手にライチのソルベと決めたな。セットメニューとしてのスイーツという点はともかく、最大の問題は」
「全部で二十一人分という量よね。一つもムラがなく、全部均質に保って提供しなくちゃいけなくって」
「一つ一つを丹精に作るのも大事だが、出来る限り多くの人に食べてもらうのも大事だ。そういう意味では、的確な試合ではある」
そう言った後、アランシエルは椅子に背中をもたせかけた。
ぎし、とそれを揺らしながら、膝の上で指を組む。
「予定通り、シュー・パリゴーはお前に任せる。余はソルベの担当をしよう。シュー・パリゴーの大事な点は?」
「卵を加えた後の生地の固さを確認すること」
アランシエルの問いに、楓は即答した。 シュー・パリゴーの生命線は、オーブンの中で生地がちゃんと膨らむかである。
全ての材料を入れてからの生地の固さを、きちんと確認しなければならない。
「一度木べらで持ち上げて、傾ける。そこからポタッと落ちた後、残りの生地がゆっくり後を追うように。これが原則ね」
「うむ。何度も練習したから、そこは大丈夫だな。よし、ではクレーム・パティシエールだけは先に作るか。ルールによれば、あれは前日に作って持ってこいということだったからな」
「うん。そもそも一晩寝かせないと、美味しくないものね」
アランシエルに促され、楓は「よっし」と席を立った。
事前に樫の木亭の一部を借り、空間魔法でそこを魔王城と接続している。そのため、一時的にキッチンへ向かうつもりだった。
「じゃ、作ってくるわ」
「待て、一人で行く気か?」
「え、うん。だって、シュー・パリゴーはあたしの責任だから」
当然そのつもりだった。けれど、アランシエルは楓の先に立っている。
ちょっとだけ振り向いたその顔は、どこか不満そうだった。
「ソルベは明日全ての工程を行う。今日は暇だから、余も手伝おう。それとも何だ、余がいては邪魔か?」
「いえ、邪魔なわけないけど。あ、じゃあお言葉に甘えて、手伝ってください」
見上げる。
アランシエルと目があった。
考えてみれば、もう彼と菓子作りをする機会も無くなるのだ。そう思うと、何だか寂しい。
「ねえ、アラン」
「ん、どうしたのだ。急に静かになって」
「あたし、あなたとこうしてお菓子作ることが出来て、良かったなって。皆の責任を背負って作るって大変だけど、それさえも嬉しいなって思って」
言葉にするうちに、寂しさは感謝となった。
明日はきっとこんなことを言う暇はない。だから、今しか言えないだろう。
そんな楓の気持ちを知ってか知らずか、アランシエルはその手を伸ばす。そして楓の頭をぽんと軽く撫でた。
「最後の挨拶にしては少し早いな。気持ちは嬉しいが、まだ取っておけよ」
「そうだね。うん、ごめん」
楓は隣の魔王を見上げる。その姿を目に焼き付けるかのように。




