48.第一試合 アシェット・デセール その四
ユグノーは固まっていた。
彼の目の前には、ピレスが作ったアシェット・デセールがある。
それは赤、白、ピンクでまとめられた華やかなスイーツだった。
「ずいぶんと可愛らしい作りだな」
上から順に見てみる。
ピンク色のふわっとした花びらは、ホウセンカの花びらだ。
その下は、ピンクがかった白い泡だ。丸くまとめられたそれのおかげで、スイーツ全体の雰囲気が柔らかい。
「それはいちごの泡だね。大豆レシチンパウダーとグラニュー糖を溶かし、そこにいちごのピュレを加えた。空気を入れて泡立てると、そのようになるんだ」
「なるほど。その下に敷き詰められているのは、シャーベットか? 真っ赤な色をしているけれど、これもいちご?」
「いちごとバジルのソルベだね。バジルはちょっとした香り付けだから、ほとんどいちごと思っていい。その下にいちごのコンフィチュール......ジャムのようなものがある」
ピレスの解説を聞きながら、ユグノーは喉を鳴らした。
仄かに漂ういちごの香りに、もう我慢出来なくなっていた。
見た目も素晴らしい。
霜模様の入ったプレートが、このスイーツの存在感を引き立てている。凍りついた世界の中に、赤い花が咲いている――そんな錯覚を覚えた。
「いただきます」
まずソルベから一口。口の中に広がるのは、程よく冷たい甘さだ。
いちご独特の透き通るような甘さが冷やされることにより、より引き立てられている。
"極小の氷の粒、いや、結晶。その中にいちごの味が、これでもかと閉じ込められ"
キン、と舌に冷たい。
その冷たさが心地よい。バジルの爽やかさも加味されている。爽快感のある甘さと言っていい。
"なんという"
言葉を失いつつ、その上のいちごの泡をすくう。
これは舌休めだろう。
ふわりと空気を含んでおり、ゆったりとした甘さがあった。穏やかな気持ちになれる。
さらにスプーンを進めていく。
ソルベの下には、白く丸まったムースがあった。
ピレスから「マスカルポーネチーズのムースです」と聞いてから、これも食べてみる。そこにかかっていたクレーム・パティシエールも一緒にである。
「聞いていいか、ムッシュ・キャバイエ」
「どうぞ、ユグノーさん」
「このスイーツで俺を殺そうとしているだろ?」
「気に入っていただけたようで何よりです」
おかしいだろ、とユグノーは無言で毒づいた。
何をどう作れば、こんな美味しい菓子が出来るのだろうか。
マスカルポーネチーズのムースが、まろやかなこくを提供する。
クレーム・パティシエールのまったりとした甘さが、心地よい。
ソルベの爽快感溢れる甘さとは違い、こちらは穏やかな感じだ。
「見事なコントラストだ。いちごをこれだけ贅沢に使いながら、上下で全く違う甘さを作り出している。だが、それがきちんとまとまっている」
「自信作ですからね」
事も無げに言いながら、ピレスは微笑した。その笑いは、隣のアランシエルにも向けられている。
「どうかな、アランシエル君。私のアシェットも中々の評価のようだよ」
「中々どころか極上の、だろう。余が自分で味わえないことが残念だ。心の底からそう思う」
「それは私も同じだね。君のサヴァランは、本当に美味しそうだ。飾り付けも春の庭のようで、とても綺麗だった」
「そうか。だが、勝者は」
「ただ一人」
二人の会話が途切れた。
観客席はしんと静まり返っている。
アランシエルとピレス、この二人の卓越した技量は、観客にも十分伝わっているようだ。
そして、それは楓も同様だ。
「どちらが勝ってもおかしくなさそうですな」
「エーゼルナッハさん、見えたの?」
「ユグノーの気配で何となく察しただけです。どちらのスイーツに旗を上げるか、相当迷っている様子」
そこでエーゼルナッハは口をつぐむ。
しぃんと空気が張り詰めた。
拘束約定がかかっているため、ユグノーは自分の舌に嘘はつけない。
それでもこれだけ迷っているということは、純粋に両方のスイーツが素晴らしいということなのか。
永遠とも思われる時間が過ぎた。そしてユグノー・ローゼンベリーが口を開く。
「勝者、ピレス・キャバイエ。彼の作ったいちごとバジルとフロマージュのコンポジションに、俺は一票を投じる」
その瞬間、二人のパティシエは勝者と敗者に分けられた。
一人は天を仰ぎ、もう一人は小さくガッツポーズを取った。
「――及ばなかったかっ」
アランシエルはその赤い瞳を歪め。
「よし!」
ピレスは歓喜の声をあげた。
† † †
「嘘ですよね、カエデさん。アランシエル様が負けるなんて。う、そ」
「シーティアちゃん、しっかりして」
シーティアが小刻みに震えている。
彼女の小さな肩を抱きながら、楓はアランシエルの方を見た。コック帽を取りながら、魔王はこちらに歩いてくる。
「アランシエル様、あの」
「ルー・ロウ、慰めはいらん。余は負けた。恐らく僅差ではあるが、負けた。それが唯一の事実だ」
目を閉じ、首を振りながら、アランシエルはルー・ロウに答える。見慣れた二本の角も、どこかしおれて見えた。
どう声をかけるべきなのか、楓は迷った。結局「残念だったね」という無難な言葉しかかけられなかった。
「ああ。一番大事な初戦を取られた。全て余の責任だ。言うまでもないが、相当不利になった」
「うん」
「お前にプレッシャーを与えるような事態にしてしまい、すまない」
アランシエルが頭を下げる。
その声は震えていた。敗北の痛みがどれほど彼を責めているのか。
そして、それだけではない。
「次の試合は、お前とユタカ・スズムラだ。兄弟子を相手にしては、流石にきつかろう。それだけに余が勝っておきたかったのだが――」
責任を感じていたのだろう。
楓が負けることを計算に入れた上で、第一試合、第三試合で勝利しての二勝一敗。
それがアランシエルの描いていたシナリオだった。
楓はそれを察した。気持ちは分かる。彼の考えは分かる。
「やめてよ、そういう気遣い」
だけど、感情が納得しなかった。とくん、と心臓が鳴り、体の奥底が熱を帯びる。
「しかし、お前に重責を負わせるわけには」
「だから、いらないわよ。そんな気遣い。なによ、あたしが負けることが前提で考えてたの? 一人で全部背負う気だったとか、そんなこと言わないでよね」
バン! と大きな音が鳴った。
楓がアランシエルの右肩を思いきりはたいたのだ。いや、勢いからすれば殴ったに近い。
「お前たち、仲間割れか?」と思わずロゼッタが声をあげたほどだった。
「相手が鈴村先輩? 一敗したから崖っぷち? そうね、だから何だって言うの。あたしが勝てば問題ない、そうでしょ。だから、アラン。顔をあげて」
「カエデ、お前」
「しょげてるんじゃないわよ、魔王様。この一年であなたにどれだけ鍛えられたと思ってるのよ。次の第二試合、絶対取り返してくるから。だからそんな顔しないで」
軽く、楓はアランシエルの肩を抱いた。身長差があったから、まるでしがみつくようになったけど。
それでも、そうせずにはいられなかった。
アランシエルの「頼む」という呟きに「任せといて」と答え、そして背後を振り向いた。
視線の先、そこにいるのは自分に仕事を教えてくれた先輩だ。
「という訳で、鈴村先輩。次のビスキュイ・ショコラ、勝たせてもらうから覚悟しといてね!」
「ふん。やれるもんならやってみろよ、里崎。こっちも簡単には負けてやらないからな」
二対の黒い瞳が視線を交錯させ、見えない火花を散らす。




