44.開幕
その朝の目覚めはいつも通り。
ぱちりと目を覚まし、楓は隣のベッドのシーティアと挨拶を交わす。
「おはよ、シーティアちゃん」
「おはようございます、カエデさん」
今日は特別な日だなどと、分かりきったことは言わない。今さらだ。
「行こうか」
真新しい礼装を着込みながら、楓はシーティアに声をかけた。
黒を基調としたコートのような上着に、下はタイトな同色の絹のパンツに長革靴だ。
「ええ、行きましょう、カエデさん。似合いますわね、その服」
「コックコートの方がいいんだけど、そうも言ってられないのよね」
苦笑しながら、階段を下りる。
樫の木亭の一階には、既に皆がいた。
男性陣四人の方が、やはり準備に時間はかからないようだ。
「おはよう、ルー君」
「おはようございます、カエデさん」
インキュバスの執事見習いは、優雅に一礼した。蜂蜜色のふわりとした髪が揺れる。少し背が伸びたと思ったのは、楓の錯覚だろうか。
「おはようございます、グーリットさん」
「おはよ、嬢ちゃん。よく寝れたかい?」
「おかげさまでぐっすりと」
楓が笑うと、グーリットもにやりと笑った。頼もしい、とその笑みだけで思わせる。
「おはようございます、エーゼルナッハさん」
「おはようございます、カエデ殿。ご武運を」
楓の声に、盲目のダークエルフが反応する。その顔はフードで隠れているが、声はいつもと同じように暖かい。
そして楓は最後の一人の方を向く。長身を漆黒の魔王専用の礼装で包んでいる。その姿はこの一年、楓のもっとも近くにいた人だ。
「おはよう、カエデ。いよいよだな」
「おはよう、アラン。うん、そうだね」
目を合わせ、楓は心持ち背筋を伸ばした。
異世界へ来て一年弱、全ての日々はこの日の為だ。
「では行くか。臆することはない。余とお前なら必ず勝てる」
「うん」
魔王アランシエルが先頭に立ち、樫の木亭の出口を開けた。
堂々と出ていく魔王一行の背に「あんたら頑張るんだよー」という声がかかる。
振り返ると、樫の木亭の夫婦が手を振っていた。
「おいおい、いいのかよ。俺らリシュテイル王国の敵だぜ? それを応援しちゃってさあ」
「宿に泊まる客に敵も味方もないんですな。ともあれ、この日を待ちわびました。せっかくの大いなる菓子の祭典だ、派手に戦ってください」
「はっ、気前のいいことで。アラン、嬢ちゃん、なんか一言言ってやったら?」
グーリットの軽快な問いに、アランシエルが答える。
少しだけ振り返り、魔王はその右手を上げた。
「期待しておけ。歴史に残るスイーツ決闘を、貴様ら全員が目にすることになるのだからな」
「うわ、その台詞って完全に悪役ね」
「魔王という存在は悪役と決まっていますよ、人間にとってはね」
「その通りですな。故に気にすることも無し」
口々に楓、ルー・ロウ、エーゼルナッハが呟く。石畳を歩きながら、楓は視線を巡らせた。
ヘスポリスの街はいつも通り、いや、いつも以上に活気があった。ざわりとした熱気が、街のざわめきに混じる。
「泣いても笑っても、ここで決まるのよね。よーし、早く会場へ行きましょう、アラン!」
「ちょっと待て、なぜお前が命令するのだ!?」
「え、何となくノリでこう。いいじゃない、別にー」
いつものやり取りを重ねる内に、緊張がほぐれていく。
それはアランシエルも同様らしい。「ふん、まあいい。それくらい言えるなら問題なかろう」と呟き、楓の横に並んだ。
† † †
パン、パパンと高々と花火が上がる。華やかな闘技場の雰囲気を、人々の歓声が盛り上げる。
自分の四方を包む音に、楓は「うわあ」と小さく声をあげた。
「この祭典に両陣営の命運がかかるんだよね。そう思えば当然かあ」
「公式なスイーツ決闘の中でも、格が違うからな。流石に観客の数が違う」
「うん。新人コンクール以来だよ、こんなの」
アランシエルに答えつつ、楓は息を吐いた。少し、ほんの少しだが緊張していた。
"大丈夫、自覚しているから"
そのための深呼吸だ。
それに今日は自分の出番ではない。アランシエルを応援し、この場の雰囲気に慣れればいい。
それが明日の自分の試合につながる。
「余も地球で参加したコンクール以来となるかな。ふん、中々の人数ではないか。やりがいがある」
「確か収容人数は三千人だったわよね。観客席からの距離が近いせいか、熱気が伝わってきそう」
「数万の軍勢に比べれば、そうでもないがな。カエデ、来たぞ」
アランシエルの視線を追った。
見つけた。
控え室からコートへと続く通路、そこに二人の人影がある。
「ピレス氏と鈴村先輩......」
思わず楓は呟いた。
威風堂々、彼ら二人の様子はそう形容したくなる。
まとう礼装は白銀を基調とし、複雑な刺繍が施されている。それを同色のマントで覆っていた。
"ここが異世界でなければ、ただの仮装大会なんだけど"
けれどもこれは現実だ。スイーツを武器として、お互いの誇りと利権を争う戦いだ。
ワッと観客が沸く。熱い雨のように、その歓声が降り注ぐ。
その中を二人のパティシエが近づいてくる。
「おはよう。アランシエル君、お嬢さん。ご機嫌はいかがかな」
「おかげさまで大変結構だ。そちらも良い顔をしているな、ピレス・キャバイエ」
「ああ、よく眠れたよ。君と再戦できるこの機会を存分に楽しみたいからね。体調不良で全力を発揮出来なかったなど、私のパティシエとしての誇りが許さない」
「同感だ。その心意気に応えると誓おう。この魔王アランシエル、己の全力、全技術をもってしてこの場に臨むことをな。大いなる菓子の祭典で貴様のような強敵と戦える――武人にとってこれほどの名誉はない」
ピレスとアランシエルの言葉が交錯し、見えない火花が散った。
その圧力に押されながら、楓は鈴村の方を見る。
「おはようございます、先輩」
「おはよう、里崎。緊張してないか?」
「してなくはないですよ。思ったよりましですけど。先輩は?」
「正直言うと緊張してるね。こう見えても、俺小心者なんだよね」
ハハ、と鈴村は小さく笑う。
「意外です、先輩いつもひょうひょうとしていたから」と楓は肩をすくめた。
「そりゃお前を指導していた時は、緊張なんかしないさ。可愛い後輩だったもんな」
「お世辞でも嬉しいですね。だった、ということは今は違うと?」
「同格の相手として見ているよ。昔の後輩だったとしても、今は違うからな。魔王の元で腕磨いたなら、俺もウカウカしてられない」
「あれ、油断も隙もないんですね」
見込み違いだったらしい。
楓としては、鈴村が少しでも自分を甘く見てくれた方が良かった。
スイーツを作る際に、ほんの僅かでも作業が甘くなる可能性があるから。
"けれどそれも見込めない"
心が引き締まる。襟を正し、楓は鈴村に対峙する。
「あたしたちの試合は明日ですから。その時はよろしくお願いします。鈴村先輩」
「ああ、こちらこそな。全力を尽くそう」
どちらともなく歩み寄る。
軽く握手を交わすと、横ではアランシエルとピレスも同じように握手をしていた。双方が別れ、間合いを開いた時だった。
「さて、リシュテイル王国の国民よ。そして魔族領の方々よ。本日、予定通りに大いなる菓子の祭典を開催する。国王より全権を委任されたこの私、ジューダス・デニオンの名においてそれを宣誓しよう」
朗々たる声は、聞き覚えがあった。
コート端で厳かに声を張り上げるのは、あのジューダス大司教だ。
付き添いなのか、ユグノーとロゼッタも傍にいる。
シン、と観客達が静まりかえる。
それも数瞬に過ぎず、反動のようにワッと声が弾けた。突き抜けるようなその声が、闘技場を染め上げる。
「よろしい。それでは早速だが第一試合を開始しよう。ピレス・キャバイエ氏、そして魔王アランシエル。両者はコックコートに着替え、コート中央へ!」
ジューダスの声が、その熱気を貫いて高らかに響いた。




