40.魔王と天才は対峙する
「何故だ、ムッシュ。自分からわざわざ素顔をさらすなんて」
ロゼッタは自分の目が信じられなかった。
確かに正体がばれても、大いなる菓子の祭典の本番には差し障りはない。あくまで重要な事は、審判役の者がスイーツを気に入るかどうかだけだからだ。
けれども、謎の仮面の菓子職人というだけで、無言のプレッシャーをかけることは出来る。その利点を放棄するとは。
「パティシエとしての誇りが、ピレス氏に語りかけたんだろうなあ。一度負けた相手を前にして黙っているのは、我慢出来なかったってとこか」
「ユグノー、しかし」
赤髪を振り乱し、ロゼッタは言葉を詰まらせる。
そんな女騎士をなだめるように、ユグノー・ローゼンベリーは「俺はピレス氏の気持ちが分かるよ」と優しく言った。
その紫色の目は、対峙する魔王と天才パティシエに向いている。
「本当に自分が全力を出せる相手、出さなきゃいけない相手を前にしたらさ。理屈じゃどうしようもないもんがあるんだよ。俺だってそうだ。アランシエルと出会ったら、剣を突きつけたくなる」
どこか独り言っぽく、ユグノーは話す。
「けど、時代は直接戦闘の時代じゃないからな。スイーツで戦うってなら、俺の出る幕じゃない。だからロゼッタ、あとはピレス氏に任せようぜ。俺らが無理矢理連れてきたんだ、これくらい許容範囲さ」
「む......くっ、仕方あるまい。だが、一つだけ私は言いたい」
「何だよ?」
ユグノーがロゼッタに問う。
その隣から、ジューダス大司教が「そろそろ静かにしないか」と小声で注意してきた。けれどもロゼッタは。
「あの残ったタルト・オ・シトロンはもらえるのか!? アランシエルは残ったら食べていいと言っていたぞ! 私はそれが気にかかる!」
ただ、ひたすらに残念だった。
† † †
ロゼッタらが何やら話している。
それを横目で見つつ、アランシエルは注意を正面の男に向けた。
人間で言えば、三十代前半か。自分よりは少し背が低いが、かなりの長身だ。
綺麗に整えたあごひげが、端正な顔に渋さを加えている。
「ピレス・キャバイエか。名前は忘れかけていたが、顔は覚えていたよ。そうか、まさか貴様がこちらに召喚されていたとはな」
アランシエルは自分の記憶を探る。
出会ったのは、四年前にただ一度だけだ。
ニースで開催されていたコンテスト、その決勝戦で戦った。何とか勝ったものの、その差はごく僅かに過ぎず冷や汗ものだった。
「あの時は不覚を取ったよ。名も知らぬパティシエに優勝をさらわれるとは、予想もしなかった。私もアシェット・デセールには自信があっただけにね」
ピレスは高ぶりを隠そうともしない。彼はプライドの高い男であり、また高潔でもある。
アランシエルに恨みは無いが、こうして会えば黙ってはいられない。
「ナノ・バースに来たのは偶然か? それとも自ら望んでか」
「どちらかと言うならば偶然だよ。勇者と名乗る男に、ユタカと共に連れ去られてね。最初は何の冗談かと思ったものさ。だが君が相手と知って、気が変わったよ」
「それほどあの負けがショックだったと?」
「そうじゃない。所詮は休暇先のコンテストだ。引きずるほど気にしていない。ただ、そうだな......勝負は勝った方が楽しいだろう? それだけだよ」
「同意しよう。余も魔族領を率いる者として、負けられないものはあるからな」
「気が合うね。ならば私は最高峰の肩書きにかけて、君に挑戦状を叩きつける。二度の敗北は無い」
ピレスが言い切り、そこで会話はしばし止まった。
他の者も動きを止め、二人を見守る。
里崎楓もその一人だ。スイーツ決闘の勝利の喜びなど、どこかに吹き飛んでいた。
「鈴村先輩、ピレス氏と一緒にこちらに来たんですね」
どうしようもない緊張をほぐすために、何となく話しかけた。
鈴村豊は「ん、そうだよ。三ヶ月前くらいかな。最初はびっくりしたけど、まあ時差なく戻してくれるならいいかなって」と軽い調子で答えた。
意外に普通な感じで言われ、楓は拍子抜けする。
「馴染むの早いですね。あ、そういえば、魔王の下にあたしがいるのって知ってたんですか?」
「知っていたよ。ユグノーが映像見せてくれたから。ムッシュはアランシエルの映像を見て、顔色変えていたね。個人的な因縁が絡んできたから、俺達もここにいるわけだ」
「ほんとにね。まさか先輩と戦うことになるなんて」
「どういう試合形式かにもよるけどさ。あ、魔王さんとムッシュの話し合い、おわったみたいだな」
鈴村の言う通り、アランシエルとピレスが距離を開ける。
にらみ合うように話していた二人だが、一応この場はこれで終わりらしい。
ジューダスの方を向いて、ピレスが口を開いた。
「ジューダス大司教。祭典の試合型式に注文をつけたいが、よろしいか? 二本先取の三セットマッチでどうだろう」
「ふむ、面白い提案ですな。ですが内容によります。そこは何か考えがありますか?」
「ええ。第一試合は私、ピレス・キャバイエと魔王アランシエルの一騎討ち。競うスイーツは、アシェット・デセールでお願いしたい」
このピレスの提案に、ジューダスは驚いた。
こだわっていないとは言うが、四年前の勝負を再現しようとしている。
アランシエルも同意したということは、祭典に臨む二人が同じ考えということでもある。
「それは......アシェット・デセールといえば、数々のスイーツを組み合わせた芸術品のような菓子でしたな。祭典を飾るに相応しいスイーツですが、しかしムッシュもアランシエルもそれでよろしいのですか?」
「余は問題ない。何を作るのであれ、スイーツには違いないからな。ピレス氏がこだわるのであれば、受けて立つまで」
「ありがとう、アランシエル。君の堂々たる姿勢には敬意を表する」
アランシエルとピレスは一瞬だけ視線を交錯させ、そしてまたそれを離した。
じわりと緊張感が闘技場に満ちる。
その固い空気を破るように、アランシエルが楓に声をかける。
「というわけだ、楓。お前とユタカ・スズムラで第二試合だな。スイーツの種類は勝手に決めろ」
「何が、というわけだ、ですかっ!?」
楓が怒るのも無理はない。本人の知らないところで、勝手に決められているのである。
けれど、名前を呼ばれた楓の先輩は「いいんじゃないの、別に。じゃあ何作るか決めようぜ」と平然としていた。
度胸が座っているのか、鈍感なのかは分からないが、少なくとも表情は落ち着いている。
「後で話し合って決めようか。この場で決めなくてもいいんだろうしさ」
「分かりました。まだ一日くらいはいるし、いいですよ」
楓が鈴村に答える。その間に話は次の試合に飛んでいた。
「そうすると、あとは第三試合の内容であろうか。どういう形式がいいのやら」
「タッグマッチとかいいんじゃね? 師弟で組んで、どれだけ美味なスイーツ作ること出来るかとかさ」
エーゼルナッハの問いに対して、グーリットは何となく自分の意見を言っただけである。
だが結局これがそのまま通った。
第三試合のスイーツは、シュー・パリゴーとソルベの二つ。ソルベの種類は問わず、とまで決まったところで、ユグノーが手を挙げる。
「よし。それなら審判役も組み合わせて考えよう。第一試合、第二試合の審判役は俺がやる。これでも菓子にはうるさいつもりだ」
「む、貴様、ほんとに信用出来るのか? 重大な役割だぞ?」
アランシエルの懐疑的な質問にも、ユグノーは「俺は勇者だぞ。それなりのものを食べている」と胸を張って答える。
そして「第三試合は、一般人から二十一人選ぶってのはどうだ。菓子は皆で楽しむものだ。一部の特権階級だけのものじゃない」と続けた。
へえ、と感心したようなため息が誰かから漏れた。
割りと傍若無人なユグノーにしては、まともな提案だったからだろう。
もっともそれを口に出す必要はどこにも無い――のだが、ある女騎士はそれをやってしまう。
「ユグノー、私は感服したぞ。まさかお前にそんな良識があるなんて! 俺は勇者だ、すごいだろと肩で風を切っているお前がっ、まさかこんなまともなことをっ......!」
「う、うるさいな、感涙にむせぶなよな! 俺はまともだし、肩で風も切ってねえよ!」
ロゼッタとユグノーのかけあいに、その場の雰囲気が和む。ふと気になり、楓はアランシエルを見上げた。
「どうした、余の顔に何かついているか?」
アランシエルが眉をひそめる。ピレスとにらみ合ったせいか、まだその目つきは厳しい。
だが楓にとっては、そんなことは問題ではなかった。
「アランが作ったタルト・オ・シトロン、ほんとに美味しかった。今までで一番ってくらいに。改めてすごいなあと思って」
敬意を表して、楓は一礼する。
それで気が抜けたのか、アランシエルはようやく表情を崩した。
「いや、礼を言うのは余の方だ。いい顔で食べてくれたからな。ただまあ、そう言ってくれると、パティシエとして作った甲斐があるよ」
答えながら、魔王は手の中でコック帽をもてあそぶ。今だけは勝利の余韻に浸っても、さほど罰は当たらないだろう。




