34.ヘスポリス探索
深呼吸を一つ。足踏みを二つ。眠っていた体を呼び起こし、楓はギュッと両の拳を作る。
吐いた息は白く溶け、ヘスポリスの街へと流れて消えた。
「よっし、行きますか。グーリットさん、シーティアちゃんお願いね。アランシエルに頼まれたんだもの、絶対見つけてみせよう!」
ぶん、と右手を軽く振りながら、見習いパティシエールは二人の魔族へ振り向いた。
グーリットが「おうよ、嬢ちゃんの言葉に従うぜ」と右目をウインクすると、シーティアは「頑張りましょうね!」と可憐にその場で微笑んだ。
二人の返事に励まされ、楓の表情が明るくなる。
「よーし、じゃあヘスポリス探検にしゅっぱーつ、目指すはもう一人の仮面の菓子職人ね!」
ふわりと外套の裾を翻し、楓は歩き出す。街の人々の好奇の視線は気になるが、そんなことも言ってられない。
"決闘まで実質二日しかないんだもの。もたもたしてられないよ!"
自分に喝を入れながら、楓は表情を引き締めた。肩まで伸びた黒髪がぱっとなびいた。
† † †
仮面の男とユグノーが去った後、早々にアランシエルは帰ってしまった。
来た時と同じように、転移魔法を使ったのである。
残していったのは「では三日後にな」という簡単過ぎる一言だけ。
けれど、楓はそれを前向きに捉えていた。
「えーと、もう昼を回るのよね。よし、今日はもうお休みにして、明日から探そう。中途半端に探しても疲れるだけだし」
意外に思いきりがいい。というか、そうするしかなかったのだ。
仮面の男の日本語に揺さぶられ、自分自身が動揺してしまった。そんな状態で見知らぬ街を歩きたくなかった。
「じゃあ今日はちょっと散歩程度にしましょう。カエデさん、一緒にアクセサリーのお店でも見ません? グーリットさんはどうするんですの?」
「俺ぁ、そういう場所は苦手だからよ。久しぶりに酒場でも行ってくるわ。先に寝てなよ」
「じゃ、決まりね。シーティアちゃん、後で一緒に行こう。グーリットさんには悪いけど、ここは女同士で」
そんな軽い会話の通り、三人は初日を思い思いに過ごした。
そして一晩明けた翌日、こうして街角に出たというわけである。
† † †
勢いこんで街へと繰り出したものの、早々簡単にはお目当ては見つからない。「この街広いからなあ。見つかったら儲けもんぐらいでねえと、へこむだけだぜ」というグーリットの言葉を、楓は噛み締めている。
「ヘスポリスって文化レベル高いのねえ」
「そうですわね。特に建築技術に関しては、私たちの魔族領よりも明らかに秀でてますわ......あ、あら、カエデさん? 目が泳いでますよ?」
「無理ねえよ。気張って歩き回ってるところに、あれ見たらよお。俺だって何回見てもすげえなと思うもん」
シーティアとグーリットの声をぼーっと受け流しながら、楓は目の前の光景に目を奪われていた。
自分の拙い表現力を呪いながら、目に映る光景を言葉にしてみる。
「すごいわねえ、ガラスの滝って感じ。どうやって水を持ち上げてるんだろ。周りの空気まで輝いてるみたいで、ほんと素敵」
「ははん、ガラスの滝ね。確かにそうも見えるよな。これな、数百年前に作られたらしいぜ。噂じゃ、リシュテイル王国の建国時にはすでにあったんだとよ」
「超古代文明の遺物なの?」
グーリットの説明に答えつつ、楓はあらためてゆっくりと視線を上下に動かした。
自分達が今いるのは、三階立ての喫茶店の三階部分だ。壁の一部が開け放たれており、そこから外を覗いている。
街並みを見下ろすだけかと思いきや、意外な建築物に釘付けになってしまった。
高い。水平に見ただけでは、その頂上までは分からない。
ぐっと上へと首を上げれば、ようやく頂上が見えた。透明なガラスが丁寧に積み重なっている。
これは建築物というよりは、アートと呼ぶべきだろうか。
ありえない高度から、清流が溢れている。
それが白い飛沫となりながら、大きなガラスの塔を流れ落ちていた。
建物の高さで測るなら、頂上は六階建てに匹敵するだろう。優雅というよりは、むしろ豪華な水のきらめきが舞う。
「落水硝子の塔と呼ぶんですのよ。あの塔の中心を水が通って持ち上げられて、頂上から流れ落ちる。ガラスの透明な輝きに、更に清流が加わる。敵ながら素晴らしい芸術ですわね」
「素敵な名称ねー。あー、ダメだあ、このままこの席に居座りそうな自分が怖い」
「おい、嬢ちゃんしっかりしろよ? まだ半日程度しか探してねえぞ」
「そうですわ、カエデさん。アラン様のためにも頑張らねばですのっ!」
二人の励ましと共に、楓はお茶を喉に流し込む。
果物の風味を効かせているらしく、かなり甘い。だが、歩き疲れた体には効果がありそうだ。
「ふう、そうね。疲れたなんて言ってられないわ」と自分を叱る。
けれど、視線は落水硝子の塔へと吸い寄せられていた。
"ほんと綺麗ね、これ"
パシャリパシャリと水が落ちていく。硝子の表面を伝い、その冷たい輝きを和らげるように。
二重の透明が冬の弱い日光をはじき、光の粒を霧散させていた。サアアアとその粒は水滴を含むかのように流れ落ち、一気に地上の静かな水盆を叩いていた。
それを見つめる。
目を閉じる。
音と光景を自分の中に封じ、また一口お茶を飲んだ。
心が落ち着いていく。
「よし、元気出た。行きましょうか」
「待ちな、嬢ちゃん」
立ち上がりかけた楓の動作が止まる。
グーリットの方へ振り向くと、彼は「右側だ。目だけゆっくり動かしな」と囁いた。
シーティアの方を見ると、彼女も何か気がついているようだ。
そろそろと椅子に座り直しながら、楓は視線を店の中に通す。
女給が軽食の盛られた皿を運び、客達はそれぞれの会話を交わしている。
室外からのガラスの光が斜めに射し込み、時おり影を揺らしていた。どこから見ても平和な光景だ。
けれど、その中の一点に楓の注意力は引き付けられた。
「あの赤い髪の女の人、もしかして」
記憶が刺激された。
あの時とは違い、小綺麗な服装をしている。けれど、楓はその女性の印象的な赤髪を覚えている。
約八ヶ月前、アランシエルのケーク・マーブルと楓のココナッツアイスクリームの前に、完膚なきまでに叩きのめされたあの女騎士だ。
「ロゼッタ・カーマインですの。偶然ですわね」
「んで、俺らには幸運の女神さまってやつだよなあ。嬢ちゃん、シーティア。そのまま静かにしてな」
「えっ、何なの」
楓の小さな抗議を無視して、グーリットは自分の髪の毛を一本抜いた。
小さな声で「捕捉しろよ」と呟くと、それを指から離す。
髪の毛一本だ。楓の視界からすぐに消えた。
けれどもシーティアにはその行方が見えていたらしい。
「あぁ、なるほど。そういうことですのね」
「おう。細かい説明は後でするさ。嬢ちゃん、引き上げだ。明日には俺らの獲物に出会えそうだぜ?」
楓は目をぱちくりする。だが、グーリットが嘘を言っているとは思えない。
席をそっと立ちながら、ロゼッタの様子を伺った。
赤髪の女騎士はまだそこにいた。時折窓の外を見ながら、時間を潰しているようだった。
† † †
グーリットの「全部明日には分かるからさ。とりあえず戻ろうぜ」という言葉を信じ、三人は樫の木亭に戻った。
彼が言うには「仮面の男の探索は今日はもう終わりさ」ということらしい。けれども楓は全く理解が出来ていない。
「説明を求めまーす、グーリットさん」
「だよなあ。ちゃんと説明しますって。俺さ、耳がいいんだよ。だからロゼッタとあれだけ離れていても、女給との会話が拾えたわけさ」
大きく伸びをしながら、グーリットは笑う。偶然がもたらした幸運は最大に生かせ、だ。
「あいつな、明日その仮面の男と会うんだってよ。名前は言ってなかったけど、アランと仕合う方じゃねえと思うんだ。俺らが会った方は、アランとの決闘に手一杯だろうから」
「そこまでは分かったよ。でも何でさっさと退散したの? 尾行とかしなくてよかったの?」
「その尾行をするのが、グーリットさんが抜いた髪の毛ですわ。でしょ? 探知魔法をかけて、あの女騎士に放ったんですわね」
シーティアが口を挟む。
楓が「あっ、そういうこと」と驚くと、グーリットは「正解。何にもしなくても、あのロゼッタ・カーマインが俺らを連れてってくれる。そういう訳さ。だからあくせく歩かなくていいってこと」と肩をすくめた。
「つまり明日まで待てば、その髪の毛の魔力を追えばいいってこと? あたし、魔法はよく知らないんだけど」
「そんだけ分かってりゃ十分さ」
これだけグーリットが自信ありげなのだ。信用していいと判断して、楓は肩の力を抜いた。
そのほっとした背中に、シーティアが覆い被さる。
「ねー、カエデさーん。暇になったから、またお買い物行きませんかー? 中々リシュテイル王国までは来ないですもの、行きましょうよー」
「元気ねー、シーティアちゃんは」
困ったなと思いつつ、それでも楓は思う。自分はいい仲間に恵まれたなあと。




