33.響く言葉
スイーツ決闘をしかけることを、最初から目論んでいたわけではない。
"だが、こいつの顔をみた途端に"
アランシエルは奥歯を軋らせる。
どうにも抑えられない感情が、彼の体内でチロチロと燃えていた。
炎まではいかない、ごく小さな火だ。だがそれは確かに熱を放っている。
"どうにも抑えられぬとあってはな"
こいつは強い。間違いなく強い。
エーゼルナッハからの報告もそう考える根拠だ。
けれど直接対峙した今、自分の勘が告げている。
この仮面の男は自分と近い領域にいる、と。
魔王としての責任感。そしてパティシエとしての競争心。
その二つがアランシエルを煽った。楓が見上げるのは見えたが、今さら止められない。
「へえ、それはつまり俺と仕合うってこと――そう受け止めて構わないんだな」
仮面の男が答える。くぐもった声はさっきと変わらない。
だが仮面の奥から、ぴりぴりした雰囲気が放たれ始めた。
「おい、本気か」とユグノーが声をかけるが、それに対しても頷くだけだ。
「魔王様直々に勝負しようというんだ。尻尾巻いて逃げるのもな。いいとも、その勝負受けよう。作る菓子と方式はどうする?」
「その心意気に感謝しよう。タルト・オ・シトロンを二人両方が作る。試食人はカエデ、お前に頼もうか」
「いっ、あたしっ!?」
アランシエルからいきなり話をフラれ、楓はびくっと体を震わせた。
当然アランシエルの助手だろうと思っていたのに、試食人とは予想していなかった。
出来れば逃げたい。「でも試食人って中立の立場の人がやるんじゃないの?」と抗ってみる。
「そうでもないぜ。どうせ拘束約定かけるから、舌に嘘はつけねえからな。誰がやっても同じさ」
「そういうことだな。せっかくだ、うちの菓子職人の菓子も味わっていけよ。何せそいつは――おっと、口が滑りそうに」
グーリットの説明には納得した。
楓が不信感を抱いたのは、ユグノーの言葉だ。
あからさまに何かを隠している。少なくともそう思わせる何かがある。
「そういえば、その人のお名前も聞いていないんですけれど。顔を見せられない理由はあるにしても、お名前もダメなんですか?」
「私からも一つ。仮面の職人の方はお二人いるとお聞きしましたわ。もう一人はどこにいらっしゃるのですの?」
楓が尋ねると同時に、シーティアも質問を飛ばした。
これに答えたのは、当の仮面の男だった。ユグノーを片手で制し、金属質の声を響かせる。
「悪いが名前も秘密なんだ。そうだね、大いなる菓子の祭典の前には、きちんと正式発表するよ。いや、もし俺がこの勝負に負けたら名前と顔を明かそう」
「っ、おい、そんな勝手に」
「遅かれ早かれの違いだろう、ユグノー。あとそこのピンクの髪の女の子。もう一人の仮面の職人は確かにいる。今日はこの場に来ていないだけ。ヘスポリスを探せば、きっと見つかるはずさ」
仮面の男の口調には余裕があった。手の内がばれても、別に問題ないと考えているのだろう。
アランシエルが「やはりお前が祭典に出るのか」と聞くと、男は無言で頷いた。楓はその様子を観察する。
"どこかで見たことある?"
楓の心がざわつく。既視感というのだろうか。この仮面の男の仕草や動作に、覚えがある気がする。
そんな馬鹿な、気のせいだと自分で否定はする。
けれど、この奇妙な感覚は何だろう。
気がつけば口を開いていた。
「ユグノー......さん。さっきあなた何か言いかけてましたよね。何せそいつはって。それ、どういう意味ですか」
勇者の紫色の眼は、その問いに反応する。強い光が灯り、楓は思わず身を強張らせた。「な、何よ」と必死で強がる。
「今は知らない方が身の為だと思うよ、カエデ・サトザキ。これは嫌みでも何でもない。敵とはいえ、無駄にプレッシャーはかけたくないという気遣いだ」
「それって、つまり」
この仮面の男は、何か楓と繋がりがある。そう認めているようなものだろう。つまり。
その時、アランシエルが一歩前に出た。まるで楓をかばうように。
「カエデと同じ地球人、か」
魔王の声は低く、けれどもよく通る。
ユグノーも当の仮面の男も答えない。だが、明確に否定もしなかった。
言葉の代わりとばかり、仮面の男は一歩進み出る。アランシエルとの間合い、僅かに三歩の至近距離だ。
「知りたければ、俺に勝ってみろ。勝負は三日後の正午。大いなる菓子の祭典に使う会場が、ここヘスポリスの郊外にある。そこで会おうか」
「よかろう。自分のキッチンを使いたいので、余は転移魔法で一旦帰る。勝負の場にいるならば問題あるまいな?」
「ああ。タルト・オ・シトロンだ、間違えるなよ。執行官の手配などはこちらで行っておく」
アランシエルの赤い眼光が注がれるが、それは冷たい金属の仮面を貫くことはない。二人のパティシエはしばし無言でにらみ合い、どちらともなく視線を外した。
「よし、ならば勝負に向けて準備するのみだな。カエデ、グーリットとシーティアと共にヘスポリスに滞在しておけ。余は魔王城に戻る」
「えっ、あたしが手伝わなくていいの?」
「今回はいい。それよりお前にはヘスポリスの調査を頼みたい。もう一人の仮面の男を見つけ、雰囲気だけでもつかんでこい。見つからなければ、その時はその時だ」
アランシエルの突然の指示に、楓は戸惑った。
確かに自分がいなくても、アランシエルは菓子作りは出来る。だけど、いきなり離れて敵情視察だ。
そんな楓の不安を感じたのか、グーリットとシーティアが彼女の肩を叩いた。
「んだよ、そんな不安そうなツラすんなって。嬢ちゃんの安全は俺らが保証するからよ。せっかくのリシュテイル王国だ、この機会に楽しまなきゃ損だぜ」
「そうですわ、カエデさん。この私、シーティアがいる限り、危険なことなんかありませんわ」
「とのことだ。心配するな、たかが三日だ。それとも何か。余がいなければ、それほどまでに不安か?」
アランシエルにまで言われては、仕方がない。
楓は「グーリットさんとシーティアちゃんには迷惑かけるけど、うん、大丈夫」と答えた。そして仮面の男の方を向く。
「正体を教えてください、と言ってもムダみたいね。一応ダメもとで聞くけど、あなたは地球の人?」
「答える義理は無いね」
「そう、か」
確信に近い推測だったが、ここまでのようだ。
だが諦めようとした楓の耳に、一つの音が飛び込む。それはこう聞こえた。
里崎楓と。
"今の発音、カエデ・サトザキじゃない。こっちの世界の言葉じゃない"
混乱しつつも、楓は頭脳を働かせる。
言語変換を施された場合、地球人の話す言葉は自動的にナノ・バースの共通語に変換される。
だが、仮面の男の今の発音は違う。明らかに日本語の発音だった。
「言語変換を通していない日本語で......あたしの名前を?」
「カエデ、お前何を言ってるのだ」
「え。うん、大丈夫。アランは気にしなくてもいいよ。ちょっとあの人がね」
アランシエルの怪訝そうな顔を認め、楓は確信した。
アランシエルには、先程の自分の名前の発音は聞き取れていない。
彼は日本語はある程度理解出来るが、いきなり聞かされても準備が出来ていないのだろう。
「日本人ですか。しかもあたしをよく知っている人」
日本語を意識しながら、楓は仮面の男に問う。「そうだよ、ご明察」という返答も、確かに日本語の響きだった。
楓の勘違いではない。その証拠に、アランシエルらは二人の会話についていけていなかった。
それを把握しながら、里崎楓は自分の何かがぐらりと揺れたことを自覚した。シーティアと話していた時とは、比較にならない。それほどの重みのある感傷だ。
日本に残してきた家族、友人、そして職場が脳裏に甦る。
ドラマも長い間見ていない。
よく立ち寄っていたコンビニにでは、期間限定の菓子を買っていた。
久しぶりに聞いた日本語は楓の感情を揺さぶり、そして最後に一番大きな部分を刺激する。
自分の店を持ちたいという、この道へ踏み出した時の夢を。
「もういいかな?」
ぐらつきかけた楓の意識を引き戻したのは、紫眼の男の一言だった。ユグノー・ローゼンベリーは「やることは決まったんだ。これ以上のおしゃべりは無用だろう」と告げる。
アランシエルは「こちらに異論は無い。ユグノー、決闘の条件の確認書は後で送ってもらおう。署名して返す」と冷静に答えた。
楓はその様子を把握はしていた。
だが、さっき感じた動揺は、まだ自分の中から去っていかない。
忘れかけていた夢、いや、忘れたふりをしていた夢が彼女を揺さぶっていた。
"そっか、あたし、やっぱり"
自分の両手を開き、眺めた。薄力粉やバターを練り、卵をいくつも割ってきた手だ。この手で掴むものを、自分は忘れていなかった。
"自分のお店、やりたいんだ。それも日本で"
その願いの再確認は嬉しかった。
けれども、その願いが楓の顔をうつむかせていた。アランシエルの顔を見ることが――出来なかった。




