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01

 歌が聞こえる。


「――朝の光りでかたどられたのは」


 足を止め、声の聞こえる方を向いた。

 歌声の持ち主と思われる女は、清楚な修道着に身を包む後姿を晒していた。


「――なあに、なあに? それはね、それはね」


 青々しい緑の元、濡れた衣類を叩き、はためかせ、ロープに吊るしていく。

 洗濯物と同じ色のスカートの裾が、ひらりと揺れる。


「――白いふわふわ。とろぉり、ほどけて」


 隣を歩く従者が、驚いた声を出す。背にあたる感触で、彼に抱き抱えられていることに気付いたが、それが何故だかまではわからなかった。


「――なあに、なあに? それはね、それはね」


 その時にはもう……――


「――湯気がもくもく、ミルクたぁっぷりの……パンッ」


 パン、のところで、洗濯物が叩かれた。


 従者の腕の中。叫ぶ彼の声も聞こえない。

 すでに、意識はなかった。




【 眠れない侯爵と歌う小鳥 】




「え、婚約、え……ん? ……お相手は、デビューしてから決めるって、お父様おっしゃっていなかった?」

 客をもてなす際に使われる部屋で、シャンテは久しぶりに訪れた両親の顔を見ながら、丸い顔を右に傾けた。


 ここは、質素な修道院にしては格段に豪華な誂えの客室。主に、寄付金の代わりに息女を行儀見習いに預けようとする貴族――つまり、一応男爵家の位を持つ、シャンテの両親のような者達を迎えるための部屋だ。

 シャンテは3年前、13の頃からこの修道院に行儀見習いの一環として預けられていた。


「そうだ、だが事情が変わった」

「ええ、そう。事情がね」

 両親に落ち着きがないのはいつものことだが、今日はいつも以上に忙しない。父は幾度となく薄くなってきた頭皮を撫でつけるし、母は扇子を開いたり閉じたりしている。どちらも、もう初秋だというのに、うっすらと汗をかいていた。


 わざわざ領地から、両親揃って迎えに来るほどの何かがあったに違いない。

 最近めっきりと白髪が目立ち始めた修道院長から、突然「両親が来た」と告げられた時は訝しく思ったが、事態は何やら深刻だ。

 これは長くなるぞ、と覚悟を決めたシャンテは、髪から三角巾を外す。


「お父様、お母様。最初から、順序立ててお話してくださいまし」

「ええ、そう、そうよね。ええと、だからねシャンテ……」

「失礼するよ」

 シャンテは慌てて立ち上がった。両親が、まるでバッタのようにソファから飛び上がったからだ。


 修道院長に導かれて部屋に入ってきた御仁は、輝くような男だった。整った顔立ちに、スラっと高い身長。伸びた背筋に、磨き込まれた靴。シャンテは目を丸くして、彼を見つめた。


「僕の話をしてくれていたのかな?」

 穏やかな笑顔と声で、彼は両親に座るように合図する。両親は、しずしずと腰を落とす。

 シャンテに合図はなかった。その代わり、彼はシャンテの前に跪くと、ぎょっとしている彼女の手を取り、熱い瞳で見つめてきた。


 まさか、婚約って……いやいやいやいや、まさか。


 自分の妄想を、心の中で笑い飛ばす。

 その間にも、彼はシャンテの赤切れた指先にそっと口付ける。


 いやいやいや、いやいやいやいや……?


 絶句するシャンテに、男はその形の良い唇を動かした。


「ご機嫌麗しく。レディ・シャンテ……一目で心を奪われた。どうか、僕と結婚してほしい」


 シャンテは、気を失わなかった自分を、褒めてやりたかった。




***




 とんとん拍子に話は進んだ。

 シャンテはまるで攫われるようにして、修道院を後にした。

 ハンカチを振る同期と……両親に見送られて。


 そう、シャンテは突然現れた男――若き侯爵ドルミール・リトゥリの屋敷に連れてこられていた。

 先に両親に話を通していたため、シャンテは我が家に戻ることもなく「一刻も早く彼女と共に暮らしたい」というドルミールの強い願いにより、持参金と共に両親の手で馬車に詰め込まれたのだ。


 馬車の中で詳しい話をしてもらえるはずだ、と思っていたシャンテを待っていたのは、座席から溢れんばかりに積まれた、書類。

 あろうことか、書類様に断わりを入れ、人間が小さくなって座らなければならなかった。


 心身ともに肩身の狭い思いで揺られている間、ドルミールの視線は書類から外れることはなかった。声をかけることも憚られ、シャンテは書類が揺れで落ちないように押さえることにだけ、心血を注いだ。


 そして。

 辿り着いた屋敷でシャンテを待っていたのは――


「なななな……な、な……」


 埋め尽くさんばかりの、土下座であった。


「こ、侯爵様……こ、これは……」

 

 藁の代わりに、ドルミールの腕にシャンテはしがみ付いた。馬車で一切会話がなかったとはいえ、さすがに土下座する初対面の使用人よりは頼りになると信じたい。


「皆、君に期待しているのだよ」

「期待……?」

「そう。それと僕のことはドルミールと、そう呼ぶように」

「ドルミール様……」

 何も明らかになっていないが、淑女として育てられたシャンテは、これ以上の追及することが出来なかった。ドルミールはシャンテに向け一つ頷くと、使用人に手を向ける。


「全員顔を上げるように。こちらが、レディ・シャンテ――僕の婚約者だ。本日よりこの屋敷でお世話をさせていただくことになった。皆、僕に仕えるように、よくしてやってくれ」

 最上級の口添えと共に、シャンテの身柄が侍女に引き渡される。


 あ、あ。このパターンはまた……


「ではシャンテ、また夜に」


 ですよね。





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