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桜さん、顔を上げて。  作者: 虹色
第三章 正眼の構え
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「わたし、自信がないんです」


視線を落としたまま、そっと彼女が言う。


「とにかく、とことん、徹底的に、自信がなくて。だから、風音さんにきっと迷惑をかけるに違いないと思ってしまいます」


そこで大きなため息をついた。


「自信がないって言うと、たいてい『自分も同じだよ』とか『みんなそうだよ』って言われます。けれど、そう言った人たちも会話にちゃんと参加できていたり、どこかに居場所を持っていたりしていて、わたしだけ明らかに違うんです。頑張ってみたこともありますが、それも結構辛くて、もう努力することも説明することもやめました……」


桜さんの「自信がない」は普段の生活に関する部分のようだ。人見知りもそれが原因なのかも知れない。


彼女の自己評価の低さは分かっていたつもりだ。けれど、それを本人がどう感じているのかまでは考えが至っていなかった。


「自信がないと、会話では基本的に相手に合わせることしかできません。考えに自信がないだけじゃなくて、相手と対立するのが怖いからです」


つまり、あの受付嬢の微笑みは、今までの苦労を乗り越えて編み出した対処方法なのだろう。でも、「怖い」という言葉が少し引っかかる。


「それに、他人の厚意に甘えることもしません。手助けを申し出ていただいても、これを頼んだら迷惑かもと悩んでしまうので、自分ですべてやってしまう方が楽だからです。だから……周囲には<いい人>で<しっかり者>に見えるみたいです」


観察眼に優れている桜さんは、自分の行動や心もしっかり分析できている。けれど、自嘲気味に笑う桜さんはすべてを見ているわけじゃない。


「ほら、また下を見てるよ」


ぱっと、桜さんが顔を上げた。


「そ、そうでした。前を向こうって思っていたのに」

「そうそう、顔を上げて。……確かに何でも自分でやる人はしっかり者に見えるよね」


気軽な口調で言うと、桜さんは俺の微笑みに応えておずおずと微笑んだ。


「はい。でも、別にそれほどのことはありません。普通です」

「じゃあ、さっきの俺と同じだ」


不思議そうに首を傾げる様子に普段の彼女らしさが戻り始めている。


「ほら、花山さんたちが……俺のことを褒めていたけど、別に俺が飛びぬけて優秀なわけじゃないし。ただ仕事に対して誠実に向き合おうと決めて、そのとおりにやってるだけで。それって当たり前のことだよ」

「でも、風音さんにはプラスの要素があります」


妙に確信を持って彼女が言った。


「プラスの要素?」

「はい。見た目です」

「見た目って――ふっははは!」


思わず大きな声で笑ってしまった。だって、本人に向かって大真面目に言うから。


「そんな感じで言われることもあるけど、自覚したことないし。でも……、桜さんもそう思ってくれてるなら嬉しいけど?」

「そうですね、整った顔立ちだと思います。評価は人それぞれですが、イケメンだと思う方が多いと思います」

「くふっ」


真面目な返答が微妙に可笑しい。まるで他人事だ。桜さんだけには格好良いと思ってほしかったのだけれど、一般的には整っていると判断してくれるならいいかな。適当に誤魔化さないところが桜さんの良いところだから。


「でも」

「でも?」


期待しちゃうけど?


「全体の雰囲気が素敵です。爽やかさとか凛々しさがあります」

「え……、あ、そう?」

「先ほどの方も仰ってましたね、『凛々しい』って。それは本当だと思います」


おお! つまり、桜さんもそこを気に入ってくれているってことか。だって、「素敵」って言ったよ。


「実はわたし……見たんです。風音さんを」

「見た? いつ?」


桜さんがまた視線を伏せた。けれど、今はもう悲しそうではない。思い出し笑いなのか、くすくす笑っている。


決心したように顔を上げた桜さんを見て、ふと、今からとても大事なことを聞くのだという予感がした。桜さんが心の中にずっと抱いていた――秘密?


「入門前に。風音さんが梅谷駅から出てきたところを」

「入門前?」

「はい」


まだ知り合う前。梅谷駅といえば――そうか、稽古の日か。


「袴姿で颯爽と、わたしを追い越していきました。その後ろ姿に、わたし、感動したんです。みんなと違う服装なのにまったく気にしないで、堂々と歩いていたから」

「ああ……」


袴姿が格好良かったということではなく、平気で歩いていたから……。ちょっとポイントが違っているかな。でも、後ろ姿だけで俺を覚えていてくれたというのは嬉しい。運命の人みたいかも。


「まあ、服装は慣れだから」

「そうかも知れないですけど」


一旦言葉を切った彼女が、瞳をきらきらさせて身を乗り出した。


「わたしもあんなふうに生きたい! って思いました。周りの顔色を気にしないで、自分のやりたいことを迷いなく」

「――ん?」


これは……、桜さんは俺に一目惚れしたのではなくて、生き方のお手本にしている、という話? もしかして、恋とは違うのか?


軽く落胆した俺に彼女はちらりと微笑み、今度は穏やかに続けた。


「風音さんが手に持っていたものが気になって、何なのか知りたくて、次の週にスポーツセンターの掲示板を見に行ったんです。風音さんと知り合いになりたいとか、同じことをやりたいとか、そんな高い望みはなくて……ただ知りたくて。そこで水萌さんと雪香さんにお会いして」


刀ケースのことを尋ねた――。


あれは雪香たちの刀ケースを見て尋ねたわけではなく、もともとあれを探していたのか! 俺が持っていたから。


そういえば……。


いつだったか、桜さんは言った。「探していたんです」と。あれは、桜さんが入門したきっかけが話題だったのではなかったか。何か秘密があるような微笑みにドキッとしたっけ……。


「入門なんて思ってもみなかったんですけど……、誘っていただいたとき、頑張ればあの人みたいになれるかも知れない、それならやってみたいって思ったんです。あんなに強く何かをやりたいと思ったのは初めてです」


俺みたいになれるかも? それだけ? そこがどうしても気になる。


「ねえ、桜さん」


名前を呼ぶと、彼女は目が覚めたようにぱちぱちと瞬きをした。


「もしかして、変わった格好をして堂々と歩いていたら、俺じゃなくてもよかったのかな?」

「え? まさか……、え? そういうことですか?」

「悩むのか……」


がっかりしていると、すぐに桜さんが「大丈夫です」と力強くうなずいた。


「今まで個性的な服装の人に近寄ろうと思ったことはないですし、誰かの後ろ姿が記憶に残ったこともありません。風音さんだけです。それに」


言葉を切った彼女が一旦視線を外した。再び向けられた微笑みはやわらかくて優しくて……。


「入門してからも、風音さんの印象はあのときのままです。爽やかで凛々しくて、それに剣術と向き合う姿勢もわたしの憧れ、いえ、尊敬の対象です。こうやってご一緒できることがとても楽しくて」

「桜さん……」


いろいろな思いが胸の中を駆け巡って、言葉にならない。桜さんの言葉はシンプルなのに、どうしてこんなに心が揺さぶられるのか。


それはきっと、彼女の言葉には嘘がないからだ。思うことをまっすぐに伝えてくれるから。


だから俺は――桜さんを裏切らない。絶対に。


「ただ……」


ふっと彼女から表情が消えた。


「いつも頭の片隅に、これが長く続くはずがないっていう思いがあるんです……」


――ああ、そうか。


それが桜さんの「自信がない」という問題。


相手の心を繋ぎとめることができないと、つまり、俺が心変わりする可能性が高いと考えてしまうということだ。


自分に価値がないと思い込んでいることが原因だと分かっているけれど、俺が長所を並べても、けっこう頑固な桜さんは、きっと片っ端から否定するのだろう。だとしたら……。


「ごめんなさい。ネガティブ思考で」

「いや、謝る必要はないよ。気持ちが変わる可能性は確かにあるんだから。でも、それは桜さんも同じことだよ?」

「……え?」


やっぱり気付いていなかった。


「桜さんが俺に我慢できなくなる可能性だってあるよ? だって、桜さんは俺のすべてを知っているわけではないんだから」

「そうですけど、風音さんを嫌いになるなんて、めちゃくちゃ性格の悪い人です! 普通なら絶対に有り得ません!」


俺についての信頼度はすごいみたいだ。これはこれで嬉しいし、信頼を損なわないようにしたい。でも今は。


「はは、信じてくれて有難いけど、そうだな、例えば……例えばだけど、ものすごく嫉妬深い性格だったら?」

「え」


桜さんが身を強張らせた。


「それは……嫌です。とても嫌です。ごめんなさい」


ふるふると首を振って、本気で引いている。少し不安なので、「あくまでも例だからね」と念押ししておく。


「とにかく、そういうことなんだよ。お互いに対等。俺はできれば、お互いに尊敬の気持ちを持っていたいな」

「尊敬……しています」

「俺も桜さんを尊敬してるよ。大人になる前から家族のことを背負ってきて、自由が制限されてきたのに、他人を妬んだり僻んだりしないところ、すごいなあと思ってる」

「妬んでもどうにもならないですから……」


言葉を切って、何かを推し量るように、無言で俺をじっと見る桜さん。そして慎重に口を開いた。


「たいとうって――」

「刀を腰に差すことじゃないよ?」

「分かりました!?」


桜さんが目を丸くして手で胸元を押さえた。


「なんとなくね」


黙ってこちらの顔を見ているときは何か考えていると、今では知っている。照れ隠しに軽口をたたいたり、気のない態度を見せたりすることも。


桜さんが肩の力を抜いて笑った。諦めたように。


「風音さんと一緒にいると、何でも上手くいきそうな気がしてきます」

「じゃあ、俺は桜さんにとって必要な相手ってことだ」

「それなら……嬉しいです」


桜さんとならきっと楽しくやっていける。真面目さと好奇心と根性とユーモアと素直さと……とにかくいろいろな部分がごちゃ混ぜになっている桜さんとならきっと大丈夫。


だって。


桜さんは自分で思っているよりもずっと前向きなひとなのだから。





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