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桜さん、顔を上げて。  作者: 虹色
第二章 抜刀!
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11 ---- 桜


◇◇◇ 桜 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



誘っていただいた……みたいだけど。


まだよく飲み込めないまま、通話を終えたスマホを見ている。あっという間に決まってしまって……、何か勘違いだったりしない?


明日、風音さんと出かけるということは……間違いなさそう。待ち合わせの時間と場所が決まっているから。その理由は、わたしが元気が無かったから? うん、たぶんそう。やさしいね。


疲れ切ってぼんやりしていたところに電話が来て……、滅多に鳴らない着信音にびっくりした。表示された風音さんの名前を見て、間違えて掛けてきたんじゃないかと思いながら応答した。でも間違いじゃなくて。


風音さんの声。落ち着いた、気遣いを感じさせる声は、いつもわたしの心を安らかにさせてくれる。だからようやく、この一週間のことを少し距離を取って話すことができた。


この一週間……、つらかった。


電話に出るたび罵声、罵声、罵声。直接電話に出ていないときでも同僚が浴びているであろう罵りの言葉が聞こえるような気がして、苦しいのは同じ。それらの声と言葉が耳どころか全身に積み重なってくたびれて、今夜は動くことも億劫になってしまった。翡翠も心配して連絡をくれたけれど、だからと言って、何度も同じ愚痴を聞いてもらうのは申し訳ない。


こういうのはとても苦手だ。


怒鳴られると、いつまでも記憶が鮮明に残ってしまう。たった一回でも何日もダメージが続く。それが今回は毎日。何も説明できず、怒鳴られながらひたすら謝るだけの……。


……だめだ! 思い出したらまた記憶に捕まってしまう。それよりも、今は急がないといけないことを考えよう。


急がないといけないこと。明日のことだ。


風音さんと出かける。


お昼から夜まで。


美味しいものを食べて、楽しく過ごすために。


これは、元気が無いわたしを慰めるため。


うん、そうだ。


これは例えば、元気が無い同僚に「ランチ行こうよ」と声をかけるようなもの。いや、大人だから「飲みに行こう!」かな? まあ、どちらでもいいか。とにかくそういうこと。


風音さんは本当にいいひとだ。親切で優しい。でも、だからと言って甘えてはいけない。気を引き締めなくちゃ。


わたしが彼女の座を望んでいるなどと思われないようにしないと。せっかく親切にしてくれているのに、そんな勘違いで引かれてしまったら困る。今後の稽古にも差し支える。


女っぽさを出さないように……と言っても、もともと女っぽいところなんて髪をのばしているところくらいだけど。


前の職場のあの子……。


顔はもちろん、口調や仕草も可愛くて、同僚だけじゃなく窓口に来た人にまでデートに誘われていた。それを嫌味なく断るあの子に、わたしはただ感心するばかりだった。どういう育ち方をすればああいうものが身に付くのだろうと、何度も考えてしまった。


翡翠はその子とは違ってみんなの憧れの的で、まるで女神。何か頼まれるだけで嬉しいという男性職員がたくさんいた。でも、翡翠はそれに甘えることもなく、自立した格好良い同僚だった。


そしてわたしは――《仲間》だ。恋愛対象として意識される存在ではない。十代のころからずっとそう。


ちゃんと分かっている。だから。


触らない。頼らない。期待しない。


まあ、触ってしまう心配はないよね。もともと他人との距離が広めだから。でも一柳さんくらい仲良くなると――そんなに仲良くなるはずがないか。


でも、油断は禁物。風音さんとは気が合う、という感覚はあるし、仲良くなれるんじゃないかという予感もある。だからうっかり、という可能性は否定しきれない。


だけど風音さんは……そう、格が違う。わたしは仰ぎ見る立場だ。自分と同格には考えられない。だとしたら、緊張感を持って接するから、うっかりはないかな。


とにかく、今回はせっかくのお申し出。楽しく過ごしたい。風音さんを困らせないように言動に気をつけて。……あ!


早くランチのお店を探さなくちゃ!


今何時? 大変だ。経験値が低すぎて全然分からない。スマホで探せるといっても……葉空駅周辺だと数が多すぎる。どうしよう?!


食べ物の好き嫌いとか予算を聞いておけばよかった!



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


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