エピソード 4ー3
翌朝、私は馬車で王城入りを果たした。それからさほど待たされることもなく、応接間へと通される。その部屋のソファに、シリル様が座っていた。
「ソフィアか、よく来てくれた」
「シリル様、どうかそのままで」
立ち上がろうとしたシリル様を止める。シリル様は十分な量の解毒ポーションを摂取できていない。峠を越えたとはいえ、彼を侵した毒は抜けきっていない。
だから安静にするべきなのに、彼は私の制止を聞かずに席を立ち、私のまえにやってきた。
「ソフィア、そなたに命を救われたのはこれで三度目だ。心から感謝する」
「……救われたのは、私の方です」
あのとき、シリル様が庇ってくれなければ、毒に侵されていたのは私だった。その場合、瘴気溜まりを浄化できる人間はおらず、私は解毒ポーションを飲むことが出来なかった。
私はきっと、そのまま死んでいただろう。
シリル様は私の命の恩人だ。
そして――
『……私は、シリル様のことが好きです』
浄化におもむくまえに告白したことを思い出す。
だけど――私は彼を見殺しにしようとした。それで好きだなんて、呆れられたって仕方ない。ただでさえ、ヒロインにとっての運命の相手に横恋慕している状態なのに。
……どんな顔をすればいいか分からないよ。
シリル様はどう思っているんだろう?
上目遣いで様子をうかがうと、彼は手の甲で頬を押さえていた。
「……シリル様?」
「い、いや、なんでもない。誤解などしていないから気にするな」
「誤解? なんのことですか?」
「なんでもない。それより、そなたはもう大丈夫なのか?」
シリル様がなにか誤魔化そうとしているのは理解するけれど、なにを誤魔化そうとしているかまでは分からない。私はひとまず質問に答えることにした。
「おかげさまで、熱はすっかり下がりました。そういうシリル様は大丈夫なのですか? 解毒ポーションを騎士と分け合ったと聞きましたが……」
「辛いが、動けぬほどではないな」
「……そう、ですか」
やっぱり無理をしているんだ。
大丈夫かな――と上目遣いでシリル様の顔を盗み見ると、ちょうどこちらを見たシリル様と目が合った。あまりにタイミングが完璧で、視線を外せなくなる。
な、なんか恥ずかしい。
「そ、そうだ。騎士達には大変よくしていただきました。アルスター隊長やアイリスはもちろん、マクシミリアン隊長にも助けられました。どうか、評価してあげてくださいね」
気恥ずかしさを誤魔化すために、騎士達に何度も助けられたことを捲し立てる。
「……そうか。そのおかげでそなたが無事なのなら、感謝しなくてはな」
シリル様が右手を伸ばし、私の髪飾りに触れた。髪飾りを通して、シリル様に触れられた感覚が伝わってくる。なんだかすごく恥ずかしい。
わ、私はどうしたら!? とパニックになっていると、不意に「待たせたな」という声と共に扉が開いた。私とシリル様が飛び上がって振り返ると、そこにアラン陛下が立っていた。
「……二人とも、そのように突っ立って、なにをしているのだ?」
「い、いえ、これから席に座るところです。そうですよね、ソフィア」
「え、ええ、その通りですわ」
とっさにシリル様に追従する。
アラン陛下は少し考える素振りを見せたあと、「ならば一息吐いて話をしよう」とソファに掛けた。でも座る瞬間、彼はぽつりと、「もう少し後で来るべきだったか」と呟いた。
ここで独り言に反応したら、意識してるみたいで恥ずかしいと沈黙を守る。ほどなく、アラン陛下はシリル様に視線を向けた。
「なにをしている、シリル。そなたが座らなければ、ソフィアが座れないではないか」
「し、失礼しました」
シリル様がアラン陛下の隣に座る。
私もそれに続き、二人の向かいのソファに腰を下ろした。ほどなく、ローテーブルの上に紅茶と、甘い香りを纏うイチゴのショートケーキが運ばれてくる。
私はアラン陛下に薦められ、ショートケーキを口にした。口の中にまろやかな甘みが広がり、私は顔をほころばせる。
それを見ていたアラン陛下が口を開いた。
「そなたはショートケーキが好きなようだな」
「ええ、大好きです!」
満面の笑みで答えると、なぜかシリル様が胸を押さえて呻き声を上げた。
「も、もしかして、毒の影響ですか?」
私が心配して立ち上がろうとするけれど、それより早くアラン陛下が「毒の影響ではないから心配せずともいい」と答えた。
「ですが……」
「それより、ケーキが好きなら遠慮なく食べるがよい」
「ええっと……では、遠慮なく」
そこまで子供ではないのだけれど……と思いつつも、私はケーキを口に運んだ。
前世の私は重い病気で、お菓子を食べる機会はほとんどなかった。だから、ショートケーキを味わって食べられる余裕が出来たのは転生してからだ。
そしてもう一つ、この世界のケーキは現代のケーキと比べても遜色がない。世界観のベースは中世のヨーロッパだけど、乙女ゲームが舞台なだけに色々と現代的な部分があるからだろう。その辺り、原作の設定を考えた人に感謝している。
……ケーキのレシピなんて、わからないものね。
前世の私は生きるのに必死で、学校で習わない知識を身に着ける余裕はなかった。もしも自分でケーキのレシピを考えろと言われたら絶望していただろう。
そんなことを考えながら紅茶を一口、顔を上げるとアラン陛下が孫を見守るおじいちゃんのような優しい目で私を見つめていた。私はなんだか恥ずかしくなって咳払いをする。
「んんっ。……そういえば、ナイクティス教団はどうなりましたか?」
「その件だが……主要なメンバーは押さえられなかった。末端は捕まえたが、どうやら連中は最初から、実行犯の貴族を捨て駒にするつもりだったようだ」
「……そう、ですか」
「むろん、警戒は厳にするし、引き続き捜査もするつもりだ」
原作続編でセシリアにちょっかいを掛ける厄介な存在。出来れば排除しておきたいけれど、私も構成員や隠れ家を知っている訳じゃない。捜査をしてくれるというのなら、任せるしかないだろう。私は「よろしくお願いします」と頭を下げた。
それから、あらためてアラン陛下に顔を向ける。
「それで、本日のご用件はやはり、浄化の方法について、でしょうか?」
「うむ、なぜエリザベスが失敗し、そなたが成功したのかを教えてくれ」
「かしこまりました。まず、聖女がセシリアであることは間違いありません。それと、エリザベスが浄化に失敗した理由ですが……これは、私の推測が間違っていたためです」
混乱を招いて申し訳ないと頭を下げる。
「そなたの助言がなければ、聖女以外に浄化をする方法があるといまも知らずにいただろう。ゆえに、情報の精度について責めるつもりはない。ただ、詳細については把握しておきたい」
私はもう一度かしこまりましたと頷いて、説明するべき情報を纏める。
「まず、瘴気溜まりに聖女の魔力を触れさせることで浄化できる、という認識は間違っていませんでした。ですが、瘴気溜まりの中では、放出した魔力が瘴気溜まりに吸収されてしまいます。それゆえに、魔石の魔力を、自分の魔力で追い出すことが出来ないのです」
「なるほど、エリザベスの報告と同じですね」
シリル様が相槌を打つ。それに続いて、アラン陛下が「では、どうやって魔力を放出を放出させればいいのだ?」と口にした。
私はその答えを口にすることにわずかなためらいを抱いた。
元聖女候補達は、聖女に選ばれなかった地点でお役御免となるはずだった。だけど、聖女の魔力を使って瘴気溜まりを浄化できる存在として、再び名誉ある役目を与えられた。
なのに、聖女の魔力が込められた魔石を砕けば、誰でも浄化できるなどと明らかになれば、聖選の癒し手の存在意義が失われてしまう。
それはつまり、必死に努力していた仲間達の努力が泡となって消えるという意味。
出来れば彼女達を傷付けたくない。でも、嘘を吐いてみんなを、世界を危険に晒すことも出来ない。だから――と、私は太ももの上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
「瘴気溜まりの中で魔石を砕けば、浄化することが可能です」
絞り出すように告げると、アラン陛下は「よくぞ話してくれた」と口にした。シリル様も「私はそなたの高潔さを尊いと思う」と続く。
その反応に、私はもしやと顔を上げた。
「……既に、ご存じでしたか?」
「マクシミリアン隊長からおおよそは聞いている」
「そう、でしたか」
考えてみれば当たり前。どうやら、私は冷静じゃなかったようだ。
人がよさそうに見えても、アラン陛下は間違いなくこの国の王なのだと思い知らされる。
彼は、自分たちが不利になるようなことでも打ち明けるか、私を試したのだ。
「ソフィアに一つ聞きたい。瘴気溜まりの中で、魔石の魔力を押し出す方法はあるか?」
「え? ええっと……それ用の魔導具を作れば、おそらく可能ですが……っ」
魔石を簡単に砕く道具を作る方が早く、誰にでも使うことが出来る。なのに、どうしてそんな方法を模索するのかと疑問に抱いた私は、一つの結論に至って息を呑んだ。
「アラン陛下、この事実を秘密になさるおつもりですか?」
「うむ。いくつかの理由により、そうするべきだと考えている」
「私としては歓迎するべきお話ですが、その、いくつかの理由と言うのは?」
みんなのことを思うとありがたい。
でも、世界を危険に晒すのではと不安な思いもあると、私はアラン陛下の真意を尋ねる。
「一つ目は、優秀な治癒魔術師でもあるそなたらの力が必要だと言うことだ。今後も力を借りる上で、そなたらの名誉を貶めることは、双方にとってマイナスでしかないと判断した」
「それは理解できます」
たとえばアナスタシア。
聖選の癒し手として、家の復興に繋がると信じて努力を続けている。もしも事実が明らかになれば、彼女は家の復興のために他の道を選ぶかもしれない。
そうなると、困る――という意味。
「ですが、魔石を砕くだけならば魔術師である必要すらありません。公開してしまった方が、瘴気溜まりへの対策は進むのではありませんか?」
全国に聖女の魔力入りの魔石を配備するだけで事が済む。そう思ったから、「いや、そうとは言い切れない」とアラン陛下が否定したのは予想外だった。
私は「何故でしょう?」と首を傾ける。
「魔石の生産量や、聖女の魔力量に限度があるからだ」
「……あっ」
聖女、あるいは聖選の癒し手を瘴気溜まりに派遣する。いまはこの方法をとっているが、魔石だけでいいとなると話は変わる。
いざというときのために魔石をよこせと、各地、各国から詰めかけてくるだろう。
「ゆえに、事実を公表するのは聖選の癒し手を始めとした一部の人間として、当面のあいだは、浄化が可能なのは訓練を受けた治癒魔術師だけが扱えるという風に公表する」
「承知いたしました」
原作でもそういう処理がなされたのだろう。
だから魔石があれば誰でも浄化できるという話がストーリー上で語られなかった。
やはり、原作のストーリーを額面通りに受け取るのは危険だとあらためて確認する。
「これで、嫌な流れが止まってくれるといいが」
不意に、シリル様が誰にともなく口にした。その言葉に違和感を覚え、私は「なにかあったのですか?」と尋ねる。
「そなたが、さきほど言葉を濁した理由と同じだ。既に、いくつかの家で縁談が纏まっている」
「……そう、でしたか」
聖選の癒し手としての評価が下がるまえに――という理由。貴族とはそういうものだと思う反面、出来れば私の知り合いには幸せな未来をと願ってしまう。
私は、無言で窓の外へと視線を向けた。窓の向こうには青い空が広がっている。けれど、太陽には雲が掛かっているのか、少しだけ薄暗いように感じた。
◆◆◆
ソフィアが退出した後、アランはソフィアが出て行った扉をしばらく見つめていた。それから、一息吐いてシリルへと視線を向ける。
「そなた、彼女とよい関係を築けているようだな」
「――っ。ごほ、ち、父上、急になにをおっしゃるのですか」
紅茶を飲もうとしていたシリルが咽せた。だが、咳がわざとらしいと感じるのは気のせいではないだろう。アランはそんな息子をまえに、ふっとめを細めた。
「私がカルラを口説いたのはそなたくらいの歳だったぞ?」
「だ、だからなんだと言うのですか?」
「うかうかしていると逃げられるぞと、忠告してやっているんだ」
聖選の癒し手はなにかと話題に上がっている。様々な思惑が絡み合い、いまのうちにと聖選の癒し手に縁談を持ちかける家や、焦ってその縁談を受ける家も少なくない。アランが聖選の癒し手の存在意義が失われないようにしたのも、その流れを止めたかったからだ。
「おそらく、彼女には数え切れないほどの縁談が舞い込んでいるはずだ」
「それは、分かっていますが……」
小さな溜め息を吐く。
シリルの整った顔は、十四歳とは思えないほどの苦悩に満ちていた。それに気付いたアランが言葉を選んでいると、シリルがぽつりと口にした。
「実は、ソフィアに好きと言われました」
「ほう、それはなによりだ!」
アランが手を打ち合わせるが、シリルの表情は険しい。
「シリルよ。告白されたのなら、なぜそのような表情をしているのだ?」
「記憶が定かではないからです。あのときの私は、意識が朦朧としていたので、前後の会話をあまり覚えておらず。貴方を救えないと言われたことは覚えているのですが……」
シリルの言葉にアランは息を呑んだ。そして、自分が命じたことへの結果に苦悩を抱く。
「シリルよ。それは、私がソフィアに、解毒ポーションを聖女に飲ませるように命じたからだ。決して、彼女がそなたを見捨てようとした訳ではない」
「そんなことは分かっています! ……ただ、その流れで、なぜ好きと言われたのかが思い出せず。友人として、という話だったかもしれない、と」
「……なるほど」
たしかに不自然だ。
好きだから、王の命令に背くというのなら分かる。だが、想いを告げるほどの好意を抱きながら、世界を救うために貴方を救えないと告げるのは意味が分からない。
もし、十四歳の彼女に、それが出来るほどの強い意志があるのだとしたら――と、その可能性に至ったアランは、戦慄して身を震わせた。
アランは息子を励ますための言葉を探す。
「……そういえば、彼女の付けている髪飾りの宝石の色は、淡いブルーだったな。あれは、そなたが彼女に贈ったものではなかったか?」
自分の瞳と同じ色の宝石を贈るという愛情表現がある。それを贈り、相手が愛用しているとなれば、好きという言葉は、告白の返事なのではないか? と口にする。
だが、シリルは「これは彼女の侍女から教えてもらったのですが……」と言葉を濁す。
「なにを、教えてもらったのだ?」
「それが、その……ソフィアは気付いていない、と」
「は?」
「私の好意に気付いていない、と」
理解できず、アランは愕然とした。
そして、なにかの比喩、貴族らしい迂遠な言い回しかと考えるが、最終的にはそのままの意味以外にはあり得ないと結論づけて、やはり意味が分からないと首を捻る。
「あり得るのか? 宝石のことは知らないとしても、異性から髪飾りをもらったのだぞ? そもそも、そなたの態度は分かりやすすぎると思うが……照れ隠しなのではないか?」
分からない振りをしているのではと指摘するも、シリルは力なく首を横に振った。
「その侍女曰く、本当に分かっていないようだ、と」
「そ、そうか」
励ますつもりがトドメを刺してしまったかもしれない。気まずさを覚えたアランは「だ、だが、好きと言われたのだろう?」と原点に立ち返った。
だが、それでも、シリルの表情は暗い。
「父上、さきほどの、ソフィアの言葉を忘れたのですか?」
「さきほどの言葉?」
「ケーキが好きかとお聞きになったでしょう? そのとき、なんと返されましたか?」
――大好きです! と、ソフィアは答えた。
それを思い出したアランは「ふむ……」と頷く。
「そうか、ケーキ以下か」
「うぐっ」
シリルは、胸を押さえて呻き声を上げた。
さすがに慰める言葉が思いつかず、アランは同情の視線を向ける。だが、「まぁ、そういう無垢なところも可愛いんですが」とシリルが呟いたので、放っておいても大丈夫そうだと判断した。
そうして紅茶を一口飲んだアランは不意に思案顔になり、再びシリルに視線を向けた。
「……そう言えば、彼女はどうやって瘴気溜まりを浄化したのだ?」
「え? ですから、魔石を砕いたのでしょ?」
「それは二度目だ。一度目はその方法を使っていないはずだ」
「そう言えば……そうですね」
二度目の浄化で、瘴気溜まりの中では魔石の魔力を押し出せないと気付いた。つまり、一度目の時は気付かずに浄化したことになる。
「私が見た限り、彼女は魔石を握る手を瘴気溜まりに叩き込んで浄化していました」
「つまり、一度目も魔石の魔力を押し出した、ということか?」
「そう思っていました。でもいまにして思えば……あのとき、浄化を終えて意識を失ったソフィアが握っていたネックレスの魔石は、金色に光っていたような……?」
その直後、落下の衝撃から身を守るために、魔導具が発動して魔石からは色が失われた。ゆえに、金色に見えたのは気のせいだと思っていたけれど――と、シリルは口にした。
「待て。では、ソフィアは聖女の魔力を使わずに、瘴気溜まりを浄化した、と? そのようなことがあり得るのか?」
「分かりません。……あぁいえ、十数人分の魔力があれば、聖女の魔力じゃなくとも、瘴気溜まりを浄化することは可能なはずだと、彼女は言っていましたね」
「……だとしたらなにか? 彼女の魔力量は十数人並み、だと?」
シリルとアランはその可能性に思い至って息を呑んだ。そうして無言で見つめ合った後、シリルが溜め息交じりに思っていたことを口にする。
「やはり、ソフィアも聖女なのでは?」
「いや、この場合は魔女と言うべきではないか……?」
呆れつつも、空恐ろしい事実に戦慄しつつ顔を見合わせるが、二人の仮説を否定する者はどこにもおらず、ただ、窓の外に広がる空で太陽だけが燦々と輝いていた。




