エピソード 3ー5
「アイリス、すっごく怖い、落ちそうなんだけど!」
「なら、落ちないように捕まっててください! あと、しゃべると、舌、噛みますよ!」
私とアイリスは風を切り、月明かりに照らされた夜の街道を馬で駆けていた。
でも私には、宵闇の中で馬を駆けるほどの乗馬技術はない。なのでアイリスの後ろにしがみついているのだけど、暗闇でほとんど見えない景色が高速で流れる状況はすごく怖い。
シリル様のことがなければ、恐怖に屈していただろう。私はアイリスにしがみつき、周囲の景色から意識を逸らす。
「アイリスは、どうして私を運ぶ役目を引き受けてくれたの!?」
小柄なアイリスが候補に上がるのはわかる。でもこれは騎士の仕事だ。貴女は魔術師を目指しているはずなのにと、風に負けないように問いかける。
「ソフィア様が教えてくれたんですよ。どっちも諦めなくていいって!」
返ってきたのはそんな答え。
「……そう言えば、貴女は自分だけ夢を追いかけていいのかなって悩んでいたわね」
みんなが大変なときに、自分だけがやりたいことをする後ろめたさ。
それに対する答えがこれなのだろう。
「ソフィア様、なにか言いましたか!?」
風を切る音で、私の呟きは聞こえなかったのだろう。アイリスが声を張り上げて聞き返してくる。
「――アイリス、魔術師になるのを諦めた訳じゃないのよね!?」
「もちろんです!」
魔術師を目指しながら、騎士団長の娘としての役割も果たす。それはきっと、原作の彼女が選んだよりも険しい道だ。だが、それが彼女に答えなら言うことはなにもないと、私はアイリスにしがみつく手に力を込めた。
ふと、遠くを見れば真っ黒な闇が広がっていた。ランタン代わりの魔導具の灯りに照らされた景色がすごい速さで流れ、闇の中へと消えていく。
やっぱり怖い。
でも、逃げる訳にはいかない。私は明日の深夜までに瘴気溜まりを浄化して、シリル様を救わなくちゃいけないから。
……どうして、エリザベスは瘴気溜まりを浄化できなかったんだろう?
幸いにして、私は出立前、報告に戻ったエリザベスと話すことが出来た。
私はそのときのことを思い出す。
「ソフィア様、私は……」
既にこちらの事情を聞いていたようで、私のまえに立った彼女は酷く落ち込んでいた。
「エリザベス、貴女のせいじゃないわ。それに、いまは時間がない。少しでも情報が必要なの」
情報が欲しいと言い放つ。正直、優しくはなかったと思う。だけど、彼女は自分の罪悪感に打ち勝とうとするかのように拳を握り、それからはっきりと頷いた。
「ソフィア様は、魔石に込められた聖女の魔力を瘴気溜まりの中に解き放つと仰いましたよね? でも、私の魔力が瘴気溜まりに吸われてしまって、魔石に魔力を流せなかったんです」
「それって、もしかして……」
「はい。私の魔力不足かもしれません」
屈辱的なことのはずなのに、エリザベスは胸を張ってそう言った。でも、彼女の拳はきつく握られている。きっと、最善を尽くすために歯を食いしばってくれているのだ。
「ありがとう、貴方の努力、絶対に無駄にしないから」
そう言って、私はアイリスの乗る馬の後ろに飛び乗った。
「ソフィア様、現地までの道中に替えの馬を待機させてあります。どうか使ってください! 私も照明弾を上げる要員として後を追いかけます!」
「ええ、そちらのことは貴方に任せるわ!」
私がそう返すと、彼女は目を見張り――それから、わずかに瞳を潤ませる。彼女は淡い黄色の髪を揺らし、力強く頷いた。
――あのとき、エリザベスは自分の魔力不足が原因かもしれないと言った。
でも、そんなことはあるだろうか?
たしかに、私が浄化したときも、瘴気溜まりに魔力を吸われるような感覚はあった。けど、原作のストーリーでは、聖女候補が普通に浄化をしている。
原作で聖女に次ぐ魔力を持つであろうエリザベスが魔力不足とは思えない。なにか、他に理由があるはずだと、私はアイリスの後ろで馬に揺られながら考え続けた。
そうしてしばらく街道を進むと、道中で待機する騎士達を見つけた。私達は予定通りそこで馬を乗り越え、護衛も半分ほどを入れ替える。
そうして、私達はペースを落とさずに街道をひた走った。それを何時間も続けていると、やがて遠くの空が明るくなって、進む先の地面が見えるようになった。
更にペースを上げるが、それでもなお目的の場所は遠い。私達は食事休憩もそこそこに、ただひたすらに走り続ける。
途中で何度も馬や護衛を入れ替えながら、だけど私とアイリスだけはそのまま駆け続ける。
そして午後になり、ようやく瘴気溜まりが発生した森へと到着した。
「……ここは、もしかして」
「なにかご存知なのですか?」
「ええ。前回の瘴気溜まりが発生したのもこの森なの」
「そうだったんですね」
と、そんな会話を交わしつつ、私は森の奥に向かう準備をする。護衛の騎士達と共に、アイリスも森に入る準備を始めるけれど――
「アイリス、貴女はここまでよ」
「なにを仰るのですか。私も瘴気溜まりまでお供します」
「いいえ、貴女は私を乗せて夜通し駈けたことで疲れているでしょう?」
「そんなことは――」
ないと言おうとした彼女の肩を軽く押す。たったそれだけで、彼女は倒れそうになった。
実際のところ、護衛の騎士は馬ごと途中で入れ替わっている。一度も休憩していないのは、私を乗せてくれたアイリスだけ。その疲労の濃さは想像に難くない。
「アイリス、貴女はアルスター隊長の娘として、立派に役目を果たしてくれたわ。でも、まだ終わってない。次は、魔術師を目指す貴女の活躍を見せてちょうだい」
浄化成功の知らせを届ける方法は魔術の光を用いた狼煙。
つまり、魔術師が必須になる。
エリザベスを始めとした聖選の癒し手や、王宮の魔術師が手伝ってくれる手はずだけど、どれだけの人数がこの短時間で街道に展開できるか分からない。
正直、いまは一人でも魔術師が欲しい。
だから、次は魔術師としての貴女が必要なのと訴えかける。
アイリスが軽く目を見張ると、一陣の風が吹き抜けた。次の瞬間、午後の日差しを受けたアイリスの瞳の奥で、かすかな光が輪を描く。
「……分かりました。ソフィア様の合図を待ち、ここで照明弾を上げます」
「ええ、ここは貴方に任せたわ」
「はい。ソフィア様もどうかお気を付けて」
姿勢を正したアイリスに見送られる。私が踵を返して歩き始めると、背後からとさっという音がして、アイリスと共に残った騎士達の少しだけ慌てる声が聞こえて来た。
とっさに振り返りたい衝動に駆られる。でも、きっとアイリスはそれを望んでいない。なにより、彼女は騎士団長の娘としての役割を立派に果たした。だから、次は私の番だ――と、森へ向かう足をわずかに速めた。
――と、格好を付けて森の中へ向かった私はいま、女性騎士の背中に背負われていた。
いや、その、アイリスの背中に掴まっていただけとはいえ、私も徹夜明けには変わりがない。それに、激しく揺れる馬にしがみつくのは結構な重労働だったのだ。
以前、限界が分からずに走り続けて意識を失うという経験もあったことから、少しでも休んで欲しいという騎士の提案を受けて甘えることにした。
そうして女性の騎士に背負われた私は、ほどなくして眠りに落ちた。
次に私が目を覚ましたのは、瞼越しに強い光を感じたときだった。ぼんやりと目を開くと、薄暗い森を照らす魔導具の灯りが目に入った。
「……もう、日が落ちたのね」
つまり、いまが三日目の夕暮れ時だ。日付が変わってしまえば、シリル様を救う機会は永遠に失われる。私は自分を背負ってくれていた騎士にお礼を言って、地面の上へと降り立った。
「ソフィア様、もう大丈夫なのですか?」
「ええ、おかげさまでずいぶんと楽になったわ。ここはどの辺りかしら?」
私の問いに対して、女性の騎士は少し向こうの木に結ばれた赤い布を指さした。
「隊長が構築した野営地はあの印の向こうです」
「そう……なら急ぎましょう」
あと少しと、私は足を速める。ほどなくして、周囲を警戒する見張りの騎士と、その向こうに設営された天幕が見えてきた。
見張りの騎士がこちらに気付くと、ほどなくしてマクシミリアンが駈けてきた。
「戻ったか! 聖女様は――」
視線を巡らせた彼は、私の他に同行者がいないことを理解して口を閉じた。それから表情を険しくすると「なぜ聖女様がいらっしゃらない?」と口にする。
だが、護衛の騎士達は途中で何度か入れ替わっているので詳細は伝えていない。私は一歩まえに出て、「セシリアは幻影蝶の毒で伏せっています」と口にする。
「なっ!? それで、聖女様はご無事なのか?」
「……はい。解毒ポーションが一つだけ残っていましたので。ただ、最初に毒に倒れたアナスタシアの魔力がようやく戻ったばかりです。セシリアの回復は早くとも数日かかるでしょう」
「数日、厳しいですな。一体なにがあったのですか?」
「実は――」
と、ナイクティス教団のしでかしたことを伝えると、彼は苦々しい顔をした。
「ナイクティス教団、ですか。そういった教団が存在するとは報告を受けていましたが、まさかそのように危険な思想を持っていたとは……っ」
ぎりっと、拳を握りしめる音が聞こえてくる。
そのとき、騎士の一人が声を上げた。
「マクシミリアン隊長、聖女が快復するまで数日かかるというのなら、ここは一度体勢を立て直すべきではありませんか?」
「……たしかに、いまのまま交戦するのは危険か」
突然始まる騎士とマクシミリアンの会話。そこに不穏な空気を感じた私は、「待ってください、なんの話ですか?」と割って入った。
「ソフィア嬢は先日ご覧になりましたね。あのカースドファングが現れたのです」
「あの魔獣、ですか……」
最悪だった。
幻影蝶と同じ、そしてそれよりも強力な毒を持つ魔獣。解毒ポーションに必要な素材がない現状ではもっとも交戦したくない相手である。
だけど、私には時間が残されていない。
「マクシミリアン隊長、カースドファングを回避して瘴気溜まりに近付く方法はありますか?」
彼は何故そんな質問をという表情を浮かべたが、すぐに「カースドファングは瘴気溜まりの近くを好んでいるようで、いまのままでは難しいでしょう」と答えてくれた。
「近くを好んでいる? その魔獣は、前回撃退した個体でしょうか?」
「ええ、斬撃の傷が残っていましたから」
「だとしたら、瘴気の回復を試みているのかもしれませんね」
瘴気由来の、瘴気を纏う魔獣。聖女の魔力で瘴気を失って弱体化した魔獣が瘴気溜まりの側を好んでいる。その理由は、こちらにとってあまり嬉しいことではなさそうだ。
「……早く倒さねば、力が戻る、ということですか?」
「可能性はあります。ただ、私が焦っているのはその件じゃありません。なんとかして、今日の深夜までに、瘴気溜まりを浄化する必要があるのです」
私がそう口にした瞬間、マクシミリアンはピクリと眉を動かした。私がここにいる理由を、彼はなんとなく察していたのだろう。
「……浄化を急ぐ理由をお聞かせいただけますか?」
「さきほど、セシリアが毒に倒れたといいましたが、実はもう一人、私を庇って毒に侵された人物がいます」
「それは、まさか……」
「はい。この国の王太子、シリル殿下です」
「……シリル殿下が毒に? ――っ、お待ちください! さきほど貴女は、一本だけ、解毒ポーションが残っていたと、そう仰いましたね?」
私は無言でコクリと頷いた。
「では、まさか……」
「……シリル様は、解毒ポーションを飲んでいません。そして容態は悪化をしており、解毒ポーションを服用しなければ……」
その先は口にしないけれど、危機的状況なのは十分に伝わったようだ。周囲を取り巻く空気が一気に重くなり、誰かが、「なんてことだ……」と悲嘆に暮れた声を出した。
私は右手を振り、「ですが――」とその重苦しい空気を切り裂いた。
「まだ終わっていません。セシリアが飲むはずの解毒ポーションの一部をシリル様に分けることで、二人共に救うことは可能だという結論に至っていますから」
「解毒ポーションを分ける、ですか。しかし、それでは……」
「――はい。セシリアの魔力の回復は確実に遅れるでしょう。それが数日程度なのか、あるいは数週間に及ぶのか分かりません。そして、その期間を持ちこたえられる保証も……ありません」
マクシミリアンは「人類の滅亡をベッドした危険な賭ですね。それをアラン陛下は?」
「それ自体はお認めになっていません。ですが――」
マクシミリアンを見上げる。
彼はエリザベスの父親だ。もしここで、エリザベスが浄化に失敗した瘴気溜まりを私が浄化したら、彼にとってかなりの痛手となるだろう。
彼はここで無茶をすることに否定的な態度を取るかもしれない。もしそうなったら――と思うと、協力を求める言葉が口を出なかった。
だけど、彼はそんな私の迷いからすべてを理解した。
「……なるほど。瘴気溜まりを浄化することが出来れば、解毒ポーションをシリル殿下に分けることをお認めになったということですか?」
「……ええ、その通りです。だから、私がここに来ました」
「貴方になら、可能なのですか?」
私の娘が出来なかったのに? と、彼の青い瞳が問い掛けてくる。
「……可能性は、あると思っています」
浄化失敗の原因が、貴女の娘にあると疑っていると言ったも同然だ。
侮辱だと受け取られても不思議じゃない。
彼が悪人なら、都合の悪い事実を隠蔽するために、私をここで亡き者にしようとするだろう。だが、積極的に手伝うことで、名誉挽回の機会とするかもしれない。
どっちに転ぶか、固唾を呑んで待っていると、彼はふっと息を吐いた。
「……最近、娘が貴女の話ばかりしているんですよ。ソフィア様の容姿や魔力、その立ち振る舞いに至るまでベタ褒めで、きっとあの方も聖女だと、娘は言っておりました」
「それは……」
マクシミリアンの思惑が読めなくて返答に迷った。あるいは、私をもう一人の聖女と祭り上げることで、エリザベスの失敗を緩和しようとしているのだろうか?
「そんな顔をしないでください。事実を伝えたまでです」
「それは、つまり……」
「日付が変わるまでに、必ずや貴女を瘴気溜まりのまえにお連れすると約束いたします。私は、娘に嫌われたくありませんから」
答えはまさかの第三の選択肢。
私を亡き者にするのではなく、協力と引き換えに貸しを作るでもない。娘のために私を助けるという選択だった。
私は、彼のことを見誤っていたのかもしれない。
「マクシミリアン隊長、貴方が協力的な立場を取ってくださったこと、私は決して忘れません」
だから、必ず瘴気溜まりを浄化しましょうと、私は彼と握手を交わした。




