エピソード 2ー1
乙女な悪役令嬢には溺愛ルートしかない
一巻好評発売中!
二つ目の瘴気溜まりの浄化に成功した。それを成し遂げたのは、一度目と違う人物。その事実が私達の帰還と共にもたらされ、王都は瞬く間にお祭り騒ぎとなった。
詳細な発表はまだだけど、じきにセシリアが浄化したと広まるだろう。これでセシリアが陰口を叩かれることはなくなるはずだ。
それに危険な浄化の作業も、今後は原作と同じように元聖女候補――聖選の癒し手がおこなう流れになるはずだ。セシリアが危険な目に遭うこともなくなり、世界が破滅するバッドエンドからも大きく遠ざかったと言える。
だから、いま心配すべきなのはアナスタシアだ。
騎士団の者達もカーストファングから毒を受けているが、幸にして魔力が低い者たちだったために大事には至っていない。
だが、アナスタシアの容体は思わしくない。このままなら、私達は瘴気関連で初の犠牲者を出すことになるかもしれない。
早急に解毒ポーションを生成する必要があるということで、王宮の研究機関が取り組んでくれた。
材料がわかっているのでそう時間は掛からないだろう、とのことだ。
でも、私達には時間がない。だから、私は念のためにと保険を掛けることにした。
――という訳で、屋敷に帰還した私は兄様の部屋へ向かう。ノックをして部屋に入ると、ブラウスのボタンをすべて外した状態の妖艶な姿のお兄様がソファに座っていた。
彼は私の姿を見るなり立ち上がり、目の前へと駆け寄ってきた。
「ソフィア! ずいぶん無茶をしたと聞いたが、ケガは……ないようだな」
私の頭のてっぺんからつま先までを見回し、お兄様は大きく息を吐いた。
「おかげさまで。お兄様からいただいたお守りがとても役に立ちました」
「そうか。よく無事に戻った」
お兄様が私の頭を撫でてくれる。
そのくすぐったさに身をよじりつつ、私は照れ隠しで「それより、お兄様。そんな格好で、はしたないですよ。セシリアに見られたらどうするんですか?」と口にしたのだが――
「セシリアならさっき来たぞ。ボタンがほつれているなら縫いましょうか? と言ってたな」
セシリアが強すぎて、思わず吹き出しそうになり、私は無言で顔を背けた。
そうして咳き込んでいると、アルノルトお兄様が「それで、なにか頼み事か?」と口にした。
「何故そう思うのですか?」
コテリと首を傾げると、「おまえが帰宅してすぐ俺の部屋に来たからだ」と口にした。
「それだと私が薄情者みたいじゃないですか」
「では、頼み事じゃないんだな?」
「違い……ませんけど」
ぼそりと呟くと、お兄様は声を上げて笑った。
「……もう、笑いすぎですよ」
「すまんすまん。それで、どんな頼みだ?」
「えっと……実はお兄様の伝手に、解毒ポーションの生成方法に詳しい人はいませんか?」
「解毒ポーション? それはまた……なぜだ?」
「実は――」
と、私はアナスタシアや一部の騎士が毒に侵されたことを打ち明けた。
「なるほど、病人の娘を一人、我が家で預かると聞かされたが、そういう訳だったか」
「ええ、瘴気由来の毒なので、聖女の治癒魔術が有効な可能性がありまして。それを検証するという名目でアナスタシアを預かりました」
「なるほどな。しかし、幻影蝶にカースドファングか、初めて聞く魔獣だ」
「古い文献に載っていたんです」
「ソフィアは努力家だな」
お兄様が誇らしげに微笑む。
でも、これは原作の知識だから少しだけ後ろめたい。私は誤魔化すように、「その毒を中和するために必要な素材は載っていたんですが、製法が分からなくて……」と続けた。
「それを研究する人を探している、という訳か? そういう事情ならば、王家やルミナリア教団がなんとかするのではないのか?」
「まぁ、そう、なんですけどね」
たぶん、王宮の研究機関に任せておけば大丈夫。ただ、原作で解毒ポーションを開発したのは、兄が見つけてきた伝手だった。
だから、万一に備えて保険を掛けておきたいのだ。とはいえ、原作ではお兄様がなんとかしたから、とは言えない。だから私はもう一つの理由を口にする。
「アナスタシアはセシリアと私の友人だから、私もなにかしておきたいんです」
「……そうか。そういう事情なら協力しよう」
お兄様はそう言って、少しだけ考える素振りを見せた。
「……ふむ、そうだな。あてはあるが、素材はどうするつもりだ?」
「それなら大丈夫です。森で採取したアンチュリスの花を一部譲っていただきましたから」
あくまで保険という形で説得したのでそう多くはない。けれど、栽培をしつつ、解毒ポーションの開発に回せる程度の量は確保できた。
私がそう言うと、お兄様は「なら、紹介状を書いてやろう」と言ってくれた。
――という訳で、お兄様に紹介状をもらった私は、スノーホワイト家の応接間にいた。ローテーブルを挟み、向かいのソファには、スノーホワイト家のご令嬢、ナビアが座っている。
ゆったりとしたプラチナブロンド、穏やかな緑色の瞳。お兄様の学友なので歳はお兄様と同じ十五歳。なのに、胸の発育がとてもいい。泣きぼくろがとってもチャーミングな彼女は、お兄様の火遊び相手――と思っていたけど違うらしい。
「その節は、魔力を込める魔石に救われました」
「こちらこそ、貴女のお兄さんに出資していただいたおかげで魔石が完成したばかりか、王家から受注までいただき、とても助かっています」
穏やかに微笑む。どうやら彼女自身が研究者らしい。
それも学生の域ではなく、お兄様が出資をするくらいにはすごい研究者。しかも、お兄様が今回の件で紹介してくれたってことは、薬草学にも精通していると言うことだ。
……原作では名前を見ない人にも、やっぱりすごい人はいるんだね。
そんなことを考えながら彼女が用意してくれた紅茶を口にすると、上品な香りが広がった。うちで飲むのと遜色がない、良質な茶葉で入れた紅茶だ。私はそれを楽しみながら、さりげなく部屋の内装に目を向ける。
灯りの魔導具は最高級のようで、光の強さがとても安定している。
だけど、部屋に使われている調度品はそれに比べるとずいぶんと劣っていた。子爵家の屋敷であることを考えても、少し低いグレードが使われている。
彼女の優先順位がよくわかる――と、周囲を見回す。そんな私の視線に気付いたのか、ナビアは恥ずかしそうに身をよじった。
「ソフィア様をお迎えできる環境になく申し訳ございません」
「そんなことはありませんわ。手入れが行き届いた素敵な部屋だと思います」
私がそう口にすると、ナビアは軽く目を見張った。それから、「そういう口が上手いところ、アルノルト様とそっくりですね」と笑う。
「……お兄様がそんなことを?」
やはり火遊びの相手かと眉を寄せる。
「そんな顔をしなくても、私は貴女のお兄さんを取ったりしませんよ?」
「いえ、それは別にかまわないのですが、貴女がお兄様に弄ばれないかが心配で。なにかあったら言ってくださいね。ちゃんと責任を取らせますので」
私がそう言うと、ナビアはクスクス笑う。
「アルノルト様も、ソフィア様に掛かれば形無しですね。お気遣いは受け取っておきますね。それより、貴女の相談に乗ってあげて欲しいと、書いてありましたが……」
ナビアが、お兄様に書いてもらった紹介状をテーブルの上に置いてそう言った。
「実は――」
と、私はお兄様に伝えたのと同じ内容を繰り返す。それを聞いたナビアの緑色の瞳がわずかに鋭くなった。穏やかな雰囲気が、一瞬で研究者のそれへと変わる。
「……確認ですが、必要な素材は分かっているのですね?」
「はい。確定ではありませんが、それを前提に考えてくださって問題ありません」
「確証がないのであれば、完成できるとは限りませんが……?」
「完成せずとも費用はお支払いします。ルミナリア教団と国の研究機関が共同で研究を進めてくれるはずなので、どちらかが先に完成させた時点で研究は終了です」
ナビアは少し考えたあと、「私は保険、という訳ですか?」と呟いた。
「気分を害したのなら謝罪します。ですが、重要なことだから保険を掛けるのです。そして、どうせなら最高の保険を掛けたいと思い、お兄様に貴女を紹介していただきました」
「……さすが、アルノルト様の妹、人を乗せるのが上手いですね」
ナビアはそう言って苦笑、「いいでしょう」と頷いた。
「ということは、引き受けてくださるんですか?」
「……ええ。私どもにお任せいただけるのなら、全力で研究させていただきます」
「私ども、ですか?」
貴女は個人の研究者なのではと、私は首を傾げた。
「そう言えば説明していませんでしたね。ついてきてください」
そう言ったナビアに案内されたのは、屋敷の外――離れにある建物だった。大きくはないが真新しい建物で、揃えた調度品などのグレードは高い。
本宅より立派な離れというのは珍しいなと、そんなことを考えながらナビアの後に続く。そうして案内されたのは、様々な試薬や試験官、魔石などが並ぶ立派な研究室だった。
そして、その部屋では研究者らしき者達がなにかを話し合っている。
「ここは私の研究施設です。魔力を込めることが出来た魔石も、ここで開発したんですよ」
「……すごい。ナビアさんは、その歳で研究所をお持ちなんですね」
少し意外だった。
個人で開発する天才。あるいはどこかに所属する研究者だと思っていたから。
「驚いていただいて恐縮ですが、これはアルノルト様に多額の出資をしていただいたおかげなんですよ」
「……まあ、そうだったんですね」
相槌を打ちつつ、私はおおよその事情を理解した。
お兄様がナビアに出資したのは、私に護りの魔導具を贈るため。そしてお兄様の出資があったから、彼女は原作より早く魔石を生み出した。
結果、研究所を作ることが出来た。
それらはここ最近のこと。だから、部屋の家具にまで管理が行き届いていない。
……つまり、私がお兄様に可愛がられていなかったら、私達は浄化に失敗していた訳ね。
その結果が、人類の滅亡に繋がったかと思うと……やはりかなりの綱渡りを強いられている。
些細なことも無視しないように気を付けよう――と、そんなことを考えていると、見覚えのある、色のない魔石が机の上にいくつか並んでいた。
「これは、もしや?」
「ええ。魔力を込めることが可能な魔石です。聖女様の魔力を流用することが可能だとわかり、国から発注を受けて、大急ぎで増産しています」
「なるほど……なら、こっちの魔石は?」
同じく色のない魔石なんだけど、少しだけ透明度が違う。
こちらの方が純度が高いイメージ。
「それは改良中の試作品です。現行品は衝撃に弱いという欠点がありまして。もう少し強度を上げることが出来ないかと、試行錯誤しているんです」
「衝撃に弱い? 砕ける、ということですか?」
少し意外に思い、自分の胸元で金色に輝いている魔石を摘まみ上げる。
「魔石が砕けたら、そこに込めていた魔力は破片に残ったりするのですか?」
「いえ、保存する能力を失い、そこにあった魔力は周囲に霧散します」
「……なるほど」
もしも砕けていたら、私たちの命はなかったかもしれない。戦闘中に砕けずによかったと安堵する。
直後、ナビアが手を叩いて職員の注目を集めた。
「みんな、手を止めて聞いてください。ソフィア様からの依頼です。このアンチュリスの花という素材を使って、解毒ポーションの開発をすることになりました」
「アンチュリスの花、ですか?」
ナビアの言葉に、研究者達が集まってくる。
「必要な素材は分かっているものの、製法は分からないという状況です。ですが、解毒ポーションの製作手順はどれも似通っているはずなので、まずは似た効果のあるポーションの製法を確認しましょう」
「かしこまりました。では資料を集めてきますね」
職員の一人がどこかへ走って行く。それを見送ったあと、私は侍女のクラウディアに命じ、栽培用の株をナビアに渡した。
「並行して、こちらの栽培もお願いできますか?」
「これはアンチュリスの苗ですか?」
「ええ。群生地が魔獣に荒らされ、現状では私達が持ち帰った分しか残っていないんです。一応、これの他にも苗はありますが、決して枯らさないようにお願いします」
「それは、責任重大ですね。では、花が咲いていた環境を教えていただけますか?」
ナビアに聞かれた私は、アンチュリスの花が鉱石が風化して混ざった土壌にしか咲いていなかったことを伝え、その場所にあった土と風化した鉱石を渡す。
「……助かります。それだけ情報があればおそらく栽培できるでしょう」
彼女はそう言って、苗を職員の一人に運ばせた。それから私へと向き直り、「それでは早速作業に掛からせていただきます」と微笑んだ。
その瞳が輝いている辺り、実験が大好きなタイプなのだろう。
「解毒ポーションの開発には、どのくらいの時間が掛かりますか?」
「基本的な手順の確認に半日から一日程度。並行して、アンチュリスの核の加工法を調べたいと思います。素材が少ないので少し慎重にならざるを得ませんが……そうですね。通常の制作手順なら、解毒ポーションの完成まで一週間といったところでしょうか」
一週間か……と、私はスカートを握りしめる。
原作乙女ゲームはダークな部分をマイルドに表現しているために、毒に侵されたものがどのくらいの期間で死亡するのか、詳しいことは分からない。
ただ、アナスタシアの容態を考えると厳しいと言わざるを得ない。
「もう少し早くすることは出来ませんか? 友達が、毒に侵されているんです」
絞り出すような声で懇願すると、ナビアは少しだけ考え込んだ。
「必要な素材を考えると、アンチュリスの花の核に解毒の効果があることは間違いないと思います。であるのなら、擦り潰した核を服用することで多少の解毒作用はあると思います」
「多少、ですか」
「はい。ですが、時間稼ぎにはなるはずです。反面、ただでさえ少ない素材を消費することになりますが」
メリットとデメリット、どちらも無視できるものではない。でも、私がためらったせいで、アナスタシアになにかあればきっと立ち直れない。
「お願いします、時間稼ぎの薬も作ってください」
「わかりました、少しお待ちください」
これが正解かはわからない。
薄氷の上でワルツを踊るよう。オラキュラ様の使った比喩を、私は痛いほど実感させられた。




