表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
召喚され損ねたこの世界で、ありのままに生きてみる  作者: オオマンティス
迷宮都市ランパード編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

107/108

ショウユとコメと賢者

「……むっ。これは……!」


 上空を飛ぶピヨの背中で、私は鼻をひくつかせた。  風に乗って漂ってくる匂い。それは先ほどの焼き菓子のような甘い香りではない。もっと複雑で、香ばしくて、そして私の奥底にある「記憶」を猛烈に刺激する香り。


「エリスさん、進路変更です! あっちの市場に向かってください!」

「はぁ!? あんた、まだ食べる気なの!?」

「これは……運命の出会いの予感です!」


 私はピヨの首をポンポンと叩いて合図を送る。  ピヨは「キェッ!」と短く鳴くと、器用に翼を傾け、ランパードの東区画へ向けて急降下を開始した。


「ちょ、ちょっと! 急すぎるわよぉぉぉ――ッ!」


 エリスさんの悲鳴を置き去りにして、私たちは風になった。



 ◇



 東区画の広場に降り立つと、そこは異国情緒あふれる市場だった。  

様々な国から集まった行商人たちがテントを張り、見たことのない香辛料や織物を並べている。  

ピヨの巨体に周りの人たちがざわついているけれど、今の私にはそれどころじゃなかった。


「……こっちです。間違いない」


私はふらふらと、何かに吸い寄せられるように歩き出す。  

そして、一軒の古びた露店の前で足を止めた。


店主は東方の出身らしい、浅黒い肌の老人だ。  

彼の店の棚の隅っこに、それはひっそりと置かれていた。  

小さな陶器の壺に入った、黒い液体。そして、麻袋に入った白い穀物。


「……見つけました」


私は震える手で、その壺の蓋をそっと開けた。  

ふわっ、と立ち上る独特の香り。  


「うっ……なにこれ? なんか変な匂いがするんだけど……」


隣でエリスさんが鼻をつまんで顔をしかめる。  

私はそんな彼女に向かって、真剣な顔で力説した。


「何をおっしゃいますか、エリスさん! これは腐っているんじゃありません。『発酵』という奇跡です!」

「はっこう……?」

「ええ。時間をかけて旨味を凝縮させた、いわば『黒い黄金』ですよ!」


私の前世の記憶が告げている。

これは『醤油』だ。

そして隣にあるのは『米』。  

エルフの里では主食ではなかったけれど、私はこの味を知っている。


「おじさん、これ、売り物ですか?」

「あいよ。遠い東の島国から仕入れた調味料だが……こっちの人間には人気がなくてねぇ。独特の臭いがあるだろう?」


「全部ください」


「へ?」


「ここにある在庫、全部です。あと、その白い穀物も」


私が革袋から金貨を取り出すと、店主の目が点になった。  

エリスさんが慌てて私の肩を揺さぶる。


「ちょっとリィア! 正気!? こんな得体の知れない黒い汁と草の実を買い占めてどうすんのよ!」


「どうするもこうも……今日の夕飯にするんですよ」


私は壺を愛おしそうに抱きしめ、うっとりと呟く。


「炊きたての白い穀物に、新鮮な卵を落として、この黒い雫を垂らすんです……。想像しただけで、魔力が回復しそうです」


「……卵を生で? 穀物にぶっかけて?」


エリスさんが、信じられないものを見る目で私を見た。  


まるで、私がゲテモノ食いの野蛮人だと言いたげな顔だ。


「ふふん。食べてみれば分かりますよ。この組み合わせが、間違いないってことが」


私は上機嫌で代金を支払い、大量の壺と麻袋をピヨの背袋に詰め込んだ。


「――おや。随分と、マニアックな買い物をされるんですね」


背後から、凛とした、それでいてどこか冷ややかな声がかけられた。  


振り返ると、雑踏の中に一人の少女が立っていた。  


勇者パーティの“賢者”――


彼女は私の抱える壺をじっと見つめ、探るように目を細めた。


「その調味料……こちらの世界では、ただの臭い汁として捨てられることも多い代物です。まさか、その使い道をご存じなのですか?」


「……使い道、ですか?」


私は壺を見て、小首を傾げた。  

目の前に立つ高坂静流の視線は鋭い。


(なるほど。この黒い液体と白い穀物の正体を知っているエルフ……確かに、不自然に映るかもしれませんね)


 彼女の瞳には、明確な疑念がある。「あなた、向こう(日本)の人間でしょう?」という問いかけが、言葉の裏に見え隠れしている。  


「ええ、なんとなくですが。私の鼻がそう告げているんです。この香ばしい香りと塩気……これは、肉や魚の脂と合わせれば、爆発的な旨味を生むはずだと」


「……勘、だと言うのですか?」


「『直感』と言ってください。美食への探求心は、時に知識を凌駕するのですよ」


私が堂々と言い放つと、静流は呆気にとられたように瞬きをした。  


隣のエリスさんが「また始まったわよ、この子の変な理屈……」と頭を抱えているのが、いい具合に信憑性を高めてくれる。


 静流は、ふぅ、と小さく息を吐き、壺に視線を落とした。


「……それは『醤油』、そしてそちらは『米』と呼ばれるものです。東の果ての島国では、主食として親しまれています」


「へぇ、ショウユにコメ、ですか。素敵な響きですね」


 私は初めて聞いた単語のように装って頷く。  彼女は私から視線を外さず、畳み掛けるように言った。


「その食べ方――生卵を落として食べるという発想。こちらの世界ではまず見かけません。……まるで、どこか別の世界の風習を知っているかのようですね」


どうやら先程の会話を聞かれていたらしい。


「別の世界? ふふ、大袈裟ですね」


私は肩をすくめ、壺をのぞき込んだ。


「エルフの里には、木の実を発酵させた似たような調味料があるんです。だから、懐かしくなってしまいまして。……もっとも、あちらはもっと野性味あふれる味で、あれはあれで美味しかったですが」


「……」


嘘は言っていない。エルフの里には実際に木の実のソースがあった。

私の淀みない返答に、静流は探るような目を細め――やがて、ふっと口元を緩めた。


「……なるほど。あくまで『エルフの勘』と言い張るわけですね」


 彼女の中で、私が「転生者」であるかどうかの確信は持てなかったようだ。  あるいは、「正体が何であれ、話ができる相手なら構わない」と判断したのかもしれない。  彼女の纏う空気が、尋問のそれから、密談のそれへと切り替わる。


 静流は一歩、私に近づいた。  周囲の雑踏にかき消されるほどの小声で、囁く。


「……リィアさん。あなたに一つ、忠告しておきます」


「忠告、ですか?」


「ええ。クラウスには気をつけて。……いえ、王都の連中全てに、と言った方がいいかしら」


 その瞳から、先ほどまでの探究心が消え、冷徹な光が宿る。


「彼らは私たち勇者を、『魔王討伐』のために呼んだと言っています。でも……調べていくうちに、妙なズレが見つかるのよ」


「ズレ?」


「ええ。歴史書、地理、物流の記録……どれを照らし合わせても、魔族が人間に侵攻しようとした形跡が見当たらない。

彼らが私たちに求めているのは、『世界を救う剣』じゃない。……もっと別の、薄汚い目的のための『駒』よ」


 静流はそこで言葉を切り、私の目をまっすぐに見つめた。


「あなたは、第20階層の番人を倒したことで、彼らの『計画』の邪魔をした可能性があるわ。……あるいは、逆に利用価値を見出されたか」


「……怖い話ですね。私はただ、美味しいご飯を食べて、世界を眺めて旅をしたいだけなのですが」


「平和ボケしたふりをするのは勝手だけれど……巻き込まれるわよ。あなたのその力が、本物である限りね」


 静流はそれだけ告げると、踵を返した。  黒髪をなびかせ、雑踏の中へと歩き出す。


「……また会いましょう、不思議なエルフさん。その『ショウユ』の味、感想を聞かせてちょうだい」


 最後に一度だけ振り返り、彼女は薄く笑って去っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
異世界ものの元日本人って味噌・醤油・米に異常な拘り持たせないと駄目なのかってくらい執着してばかりだよな
>「……また会いましょう、不思議なエルフさん。その『ショウユ』の味、感想を聞かせてちょうだい」 >最後に一度だけ振り返り、彼女は薄く笑って去っていった。  その時に出す感想は嫌味たっぷりに、ひたすら…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ