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29.レフィとメルクーリオ


-レフィ視点-



「はぁ……はぁ……っ!」



 何が起きたのか、わからなかった。



「メル様……! しっかりっ!」



 メル様が取り返しのつかないほどの大怪我を負い、倒れてしまってから。

 あれだけ瀕死の状態から。もうダメかと思った時。


 気が付けば、メル様が受けた傷は消えてなくなっていた。


 あの人形たちに襲われて。

 ボロボロになっていた、あの男が。


 メル様の傷を癒し……ワタクシたちを、あの地獄のような場所から逃がしてくれた。



 ――あとはお前がこいつを回復させろ



「メル様……! いま少し、頑張ってください……!」


 あの男が言っていた通り。


 メル様は傷が癒えたとはいえ、出血の影響が大きく、容態までは完全に良くなってはいなかった。


「急げっ! 早くここから逃げるんだっ!」

「あいつが、闘ってくれている間に……!」


 ワタクシたちの後を追って、エルフの兵士方も続々と建物の外へ向かって走っていく。


「回復いたしましたら、ここから早く……!」


 あの男が。


 あの、化け物を抑えてくれている間に。


 少しでも、遠くへ。

 メル様を避難させなければ……!


「う……うぅ……」


「――っ! メル様、お気をしっかりっ!」


「レ……レフィ……。私は……いったい……」


「申し訳ございません……! いま暫くお静かに願いますっ!」


 あぁ、目を覚まされた。

 本当に、あの男が助けてくださった。


 嬉しさと、あの時の恐怖が。

 ワタクシの中でごちゃ混ぜになってしまい。手の震えが、止まらない。

 

 しっかりしなさい、レフィ。

 あと少し……あと少しだけでも。


 ワタクシの力が持つ限り、メル様を……!


「タ、タキ……さん、は……?」


「あの男の治癒術により、メル様を助けてくださいました。いま、あの化け物を相手にお一人で闘い、こうしてワタクシたちを逃がしてくださっています」


 あの絶望的な状況からいまを考えたら。

 こうしていられるのも、本当に九死に一生を得たようなことで。


「レフィ……お願い」


 けれど、あの男が化け物に勝てるとも思い難い。


 だから、一刻も早く……。

 

 ここから遠くへっ!


「戻り、ましょ……う」


「…………え?」



 メル、様?



「メル様……?」



 いま、なんて……?



「いま……なんと、仰って……?」


「戻る……の、です……レフィ……」



 戻る……? どこへ?



「タキさんを……一人置いては。いけま……せん」


 あなたは、何を言っているのですか?


 意味が、分からない。

 どうして? 何故、そんなことを?


 メル様の仰っている意味が。

 ワタクシには、全く分からない。



 …………あぁ、そうです。


 

 きっと、ワタクシが聞き間違えたのです。

 えぇ、そうですよ、レフィ。


 戻りたいなどと。


 わざわざ再び。あのような、命が幾つあっても足りないような危険な場所へ。



 戻りたいと言うわけが、ないでしょう?



「メル様、こんな時に御冗談を」


「冗談、なんかじゃ……ない」


「…………」


「戻るの、です……レフィ」


「………………」


「あの方を……助けな、きゃ……」


「……………………」



 あぁ…………。

 どうして、この方は……。


 こんなにも、自らを大事にされないのですか?


 分からない。


「レフィ……」


 あなたは一度、死にかけたのですよ?

 こうしていられるのも、信じられないほど奇跡的なことなのに。


 また、あなたは自らの命を投げようとしているのですか?


 どうしてですか?


 こんなにも、おかしなことを。

 馬鹿げた行為だと。


 思っているのに。


「レフィ……戻りま、しょう……」


 あぁ……。

 どうして、ワタクシは。


 今この時もまた、頭のどこかで、心のどこかで。

 この方の言う事を、聴こうとしているのだろう。


「メル、さま…………」



 あなたには、大きな恩がある。

 ワタクシも、幼き頃に故郷をなくした者。


 魔族に攻められ、戦禍に巻き込まれたワタクシは。

 家も、家族も失い……。必死に、どこまでも逃げ続けた。

 

 命からがら逃げ切った後、ワタクシは王国に保護され、戦争孤児として生きていくこととなった。


 身寄りもない、たった一人で生きていく術も持っていない。


 生きる希望も、夢もないワタクシは、ただただ絶望の淵で立つことしかできない、ちっぽけで弱い存在だった。


 けれど。



 ――ねぇ、あたしのところに来ない?



 そんなワタクシを、あの日。あなたは手を差し伸べ拾ってくれた。



 ――お友達になって欲しいの!



 そんな、単純な理由で。

 みすぼらしい恰好で、街の隅で座り込んでいたワタクシを。あなたは迎え入れてくれた。


 もちろん、当初は周りからも猛反発を受けていたあなただったけれど。



 ――なんでそんなこと言うのっ!



 家の者へ、あなたは。



 ――この子をお家に入れてくれないなら、あたしもお家には帰らないっ!



 ワタクシを拾ってくれるよう。



 ――この子とずっと、一緒にいるっ!



 必死になって、説得してくれた。


 信じられなかった。

 最初は、何かの冗談かとさえ思った。


 上級の身分の者が遊び半分のつもりで、こんなワタクシを揶揄っているのだと。


 そう、思っていた。

 でも、そうじゃなかった。


 あの日、あの時。

 あなたがワタクシと、家の者に向けていた眼差しは。


 一人の少女が向けるものとは到底思えないような、真剣で真っ直ぐなものだった。



 あぁ、そうだ……。


 いま、あなたがワタクシへ向けているその眼も。

 あの時と、全く変わらない眼差しをして。


 こうなっては誰の言うことなど聞いてくれない。

 あなたはとても、頑固者だから。


 それは、ワタクシがこの身を以ってよく知っている。


 かつて、家の者がみな観念したほどに。

 あなたの意志は、いまこの時も固いのでしょう。


 ワタクシは、あなたから受けた恩に報いたいと。

 そんな想い一つに、これまであなたへと尽くしてきた。


 何の縁か、ワタクシにもあなたと同じ治癒士としての才があると言われ。さらには何百万人に一人とされる、転移術を扱える者であることも明かされて。


 その持って生まれた才を、全てあなたの為に努力し、使っていこうとここに決め。ワタクシは従者として、ここまで付き添ってきた。


 こんなことを言ってはならない。

 ワタクシは、常にあなたのことを想い、願って。行動をとってきた。


 いまもワタクシは、あなたの命に従おうとしている。

 あなたが望むのなら、あなたの心がそう決めているのなら。ワタクシは、それに付き従うまで。


「申し訳、ありません……」


 だけど。


「メル様……」


 そこまでしてでも、大事にしたいと想う方を。


「嫌………です」



 ワタクシは、失いたくなどなかった。



「どうして……」


「レフィ……?」


「どうしてそんなことを言うのですかっ!!」


「――っ!」


 あぁ、嫌だ。


「あなたは先ほど死にかけたっ!!」


 そうやって、あなたはいつも、一人でどこかへ行こうとする。


「あの男が助けてくれなければっ! 今頃あなたは死んでいたのですっ!!」


 ずっと、一緒にいると。そうワタクシに言ってくれたのは、あなたなのに。


「ワタクシは怖かったっ!! 目の前であなたを失ってしまうとっ! ワタクシの腕の中、あなたの温もりが消えていくことがっ!! とても怖かったっ!!」


 あぁ……。

 嫌だ………………。


「ワタクシはっ! 幼き頃からあなたの従者として付き従ってきたっ! それは生きていくため、仕方なく? いいえっ!! ワタクシは、ワタクシがあなたを心から慕っていたいとっ! 己がそう想ったからっ! ここまで支えてきたっ!!」


 ねぇ……お願い…………。


「だけどあなたはワタクシを置いてどこかへ行こうとしたっ!!」


 もう、どこにも行こうとしないでよ……。


「どうしてっ!! 平然とそんなことが出来るのですかっ!? 言えるのですかっ!!」


 ワタクシを、一人にしないでよ……。


「いい加減っ! 自分の命を無下にしないでよっ!!」


 ずっと……。


「あなたを失うのはっ!!」


 傍に、いてよ……。


「いや、なのよ……」


「レフィ…………」



 頭が割れるように痛い。

 胸も、呼吸も苦しい。


 初めての、心の底からの怒り。


 視界に映るなにもかも。

 メル様のお顔でさえも、ぼやけてしまって見えない。


 ……ごめんなさい、メルさ


「ありがとう、レフィ」


「――っ!」


 メル、様……?


「私は……嬉しい、よ……?」


「メル様……ワタクシ、は」


「こんな、にも……あなたから愛されて、いたのね」


 違う、そうなんかじゃない。

 これは、ただのワタクシの我がままな気持ち。


「そんな、ワタクシは……」


 でも、ほんの少しでも。

 胸中にある願いが伝わるのなら、叶うのならば。


 言えずには、言えなかっただけ。


「……でも。それでも私は……行くわ」


「――っ!」



 あぁ…………。



「メル、さま……?」


 どうして望み通りにならないの?

 こんなに想いを吐露してもなお、言う通りにならないの?


「あなたは、ここで死んではならない御方なのに……?」


 もう、ワタクシは何を言えば。


「えぇ……。重々、分かっています……」


 あなたはこの気持ちに振り向いてくれるのですか?


「ならばなおさらっ!!」


「ですが……それはあの方も……同じなのです」


「――っ!!」


 あの、方……。


「今、こうしている間にも……あの方は……。タキさん、は……。かの敵に対し、決死の想いで闘っておられます」


 そんな……また、あなたは……。


「私は……知っています。タキさんは……あの方は、己が身を犠牲にすることに……全くと言っていいほど……厭わない、人です……」


 ワタクシではなく、あの男のことを選ぼうというのですか?


「そんな、必死に闘うあの方を……見捨てることは、できません……」


 理解したくない。

 ワタクシは、今すぐにでもあなたを連れて、ここから逃げ出したい。


 それでもあなたは、あの男を求め。あの場所へ戻ろうと言うのですか?


「ねぇ、レフィ……覚えて、る?」


「…………え?」


「あの日、あの教会で……初めて、あの方の演奏を、聴いた日の……こと」


 それって……。


「あの時……彼の演奏を聴いた時、私は。あぁ……こんなにも。素敵な音を奏でる御人が……この世にいらっしゃるのかと……心から感動しました……」


「………………」


「私は……彼が奏でる音色を……心から好いています……。そんな彼を……私が好いた者を……もう二度と、失いたくないのです……」


 どうして。


「ねぇ、レフィ……」


 どうしてそこまでして。


「どうか……彼を。タキさんを助ける為……私に力を、貸してください……」


 従者であるワタクシに、あなたが深々と頭を下げてまで願い、請うのですか?



 あぁ、そっか……。



 この人はもう、あの時から。


 あの男を強く想い、慕いたいほど心を奪わてしまったと。



 ダメだ……。

 ここまで来てしまったのならば。



 もう……。



「……せん」


 …………でも。


「許しません……」


 それでも、ワタクシは。


「――っ! レフィ……」


「そんなこと、許せるわけがないでしょう」


 認めるわけ、ないでしょう。


 だけど。


「だったらば……」


 もう、ここまで言っても。何を言っても聞く耳など、あなたは持たないでしょう。

 それは、昔からの長い付き合いの中で。


 この身をもって。嫌というほど、知っている。


 ならば。


「約束してください」


 ワタクシは、あなたを決して許しません。


「必ず、生きて帰るということを」


 だからこそ、ワタクシは。最期まであなたに付き従います。


「あなたも、ワタクシも。あの男も」


「レフィ、それって……」


 それが、たとえこの世であっても。


「誰一人、欠けることなく。あの化け物を倒して」


 あの世であっても。


「絶対に、生きて帰るということを」


 もし、あなたが死んでしまったら。

 ワタクシは、心の底から恨みます。


 ずっと、あなたの傍について。あなたがもう嫌だと言ったとしても。


 どこまでも、ついていきます。


「レフィ……」


「では……動けるようになるまであと少し治療が必要になりますので。いまはじっとしていてください」


「…………ありがとう」


「今更のことです」


 だから、絶対に。


「全く……」


「ごめん、なさいね……」


 生きることを。


「あなたは昔から、頑固者なのですから」



 誓って、ください。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

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