事前契約に則りまして
ミモザ・シルヴァーレは公爵家の娘である。
本来ならば家を継ぎ女公爵となる予定だったのだが、王命によって王子との婚約が結ばれてしまった事をとても不本意だと思っている。
そもそも王子、顔はよろしくとも性格はあまり……と言った感じなので、アレと喜んでくっつこうと思うのは、アレの本性を知らない……それこそ普段あまり関わる事のない低位身分の娘や王子という言葉に憧れを勝手に持つ平民の娘くらいなものだろう。
高位身分の娘たちは皆知っている。
直接顔を合わせる事がない令嬢ですら、茶会などで友人から聞いているのだ。
顔だけは良いがそれを鼻にかけていけ好かないのと、能力的に優れてもいない事を。そのくせ口先ばかりが上手くて、プライドも人一倍。
結婚したところで苦労するのが目に見えている、まさしく不良物件である。
王族相手にそこまで言うと流石に不敬かな、と思わなくもないのだが、事実なんだから仕方がない。
面と向かって本人に「無能」だの「生きてる価値あります?」だのと言ってないだけマシだと思っていただきたい。
他の家に王子との婚約の話が持ち上がった時点で、うちの娘では王子を支えるなどとてもとても……と能力不足を前面に押し出されて断られ続けた結果、最初から優秀と評判のミモザの元へ話がパスされてしまった。
とんだキラーパスである。
娘可愛さに、ミモザの婚約はまだ決めなくたっていいよまだ早い! とかごねていた父のせいでとんでもないババを引かされたわけだ。
それでも最初の段階では婚約の話を断ったのだ。
うちは一人娘で跡取りだからねぇ……とのらりくらりと回避してなんとか話をうやむやにしてなかった事にしようとしたものの、しかし王家もここを逃せば後がないと思ったのか、最後の手段として王命というカードを切ってしまった。
ミモザからすればふざけんじゃありませんわよ! という気分である。
望んでない結婚。家の跡取りの座を奪われたというのもミモザが不快になる理由の一つである。
そもそも高位身分の令嬢たちの間で実しやかにクズ野郎の称号を得ている王子の人格矯正をしてから改めて婚約の話を持ち掛けてくればいいのに、それをしない時点で王家の怠慢ではなかろうか。
こちらばかりが一方的に被害を受けているかのような状況に、ミモザは不敬だろうとなんだろうと知らないわ、という気持ちで国王に話を持ち掛けた。
今後、王子が改心してまっとうに王族として相応しく在ろうとするならなんの問題も無い契約である。
だがしかし、もしこのままロクデナシであったなら――
国王も王妃も、ミモザの持ち掛けた契約を受け入れるしかなかった。
それができないなら亡命か、はたまた独立してこちらが新たな国を興すか。
そこまで言われてしまったのだ。
王子がマトモであればなんの問題もない契約。
王族として普通にして、そうしてミモザと結婚してそのまま続けば何一つ問題のない契約である。
それをしない、と言ってしまえば、つまり王子は今後もこのままであると国王夫妻が認めたも同然で、そうなればそんな相手を将来の王にするなどとんでもない!! となってしまうのである。
今はまだ、若さゆえの過ちであると言いたかった。
故にミモザの持ち掛けた契約は、王子本人の知らないうちに結ばれてしまったのである。
それから数年が経過して。
血の滴る床を見下ろして、王は深くため息を吐いた。
床には倒れてぴくりとも動かない王子の姿がある。
それを冷ややかに王妃もまた見下ろしていた。
ほんの数分前の事だ。
王子は意気揚々と二人の元を訪れて、そうしてとんでもない事を言い出したのだ。
曰く、真実の愛をみつけた――と。
顔を引きつらせかけた王妃は、しかしギリギリで留まってアルカイックスマイルを浮かべ続けた。
王もまた、こめかみが引きつるのを感じていたがどうにかそれを誤魔化した。
その真実の愛が婚約が決まって以来、王子を支え続けてきたミモザの事で単に惚気話をしに来ました、であれば微笑ましかったのに。
それなら二人も、にこにこと取り繕わない笑顔を浮かべて談笑するくらいはできたはずなのだが。
しかし王子が告げた真実の愛のお相手は、ミモザではなかった。
正直名前を聞いてもすぐに二人の脳内に思い当たる事もないくらい、王家と関わりのない娘である。
聞けば、少し前に男爵家に引き取られた娘だという。
成程それなら自分たちの記憶にほとんどなくてもおかしくはない。
その娘を愛人にしたいのだろうか、と思ったが、しかし王子は。
「私は彼女を妃としたいのです」
頭の中身がお花畑な事を言う始末。
こっちが話を聞く前からペラペラと、その娘がいかにして自分の真実の愛であるかを語り始める王子に、国王と王妃は無言のまま目だけで会話し頷き合う。
このままここで反対したところで、間違いなく王子はすんなりその娘と別れるような事はしないだろう。
むしろ反対する事で恋の障害とばかりに燃え上がり、とことんまで暴走するに違いない。
何故なら、あまりにもミモザの話と一致しすぎていたからだ。
婚約を結んだ当時、まさかそんな事はあるわけなかろうよと思っていたのに――
念のため、婚約者であるミモザについてどうするつもりかと王が問えば、王子は婚約の解消でいいでしょうとあまりにも軽く言い放った。
その上で、今からマトモな結婚相手が見つかるとも思えないので、側妃に迎えても良いとすら。
人がどんな気持ちでミモザに婚約を持ち掛けたと思っているのか、これっぽっちも知らないのだろうとばかりの態度に、王は思わず王子をぶん殴りそうになったけれど。
その気持ちをぐっと抑えて笑みを浮かべた。
それはまるで、王子の真実の愛を認めるかのように。
王妃もまた笑みを浮かべたままだった。
どちらもにこにことしているからか、王子は自分の望みが叶うものだと信じて疑わなかった。
「そうだな、少し待て」
言って王は、自らの部屋に大切に保管してあったワインを持ってきた。
三つのグラスにワインが注がれる。
「そうか、お前も自分で相手を見つけるまでになったのだな……」
と、王ではなく父親としての表情を覗かせた王にグラスを差し出され、王子はそれを受け取った。
「貴方も成長したのですね」
と、王妃も感慨深いとばかりに言った事で、二人に認めてもらったのだ、と王子は感動さえしていた。
てっきり反対されるのではないかと思っていたのだ。これでも。
けれども予想していた事は起こらず、それどころか二人は王子の成長を祝うかのようで。
「あ、ありがとうございます……!」
なんて感極まって、グラスに口をつけ、ワインを飲んだ。
直後には、口から血を吐いて倒れ、そうして帰らぬ人となったわけだが。
「まさかここまでミモザの言っていた事がドンピシャで当たるとか、誰が思うかしら?」
「まったくだな……むしろこうも救いようがなかったとは……我らの教育の何一つとして身につかなかったなど……まさしく王家の恥さらしよ」
倒れた直後、王子はまだ生きていた。けれども、立ち上がる事はできず助けを求める声すら出せないまま、冷ややかな両親の声が頭上から聞こえて――そこで、ようやく気付いたのだ。
親に見捨てられた事を。
認めてなどいなかった。
まさか殺される事になるなんて……と思っても、声を出そうとすればそのまま咳き込んで口から血だけが吐き出され、喋る事すらままならない。
今からでも愛する人と結ばれるのを諦めてミモザと結婚する、などと宣言したところで手遅れであるとはわかっていても。
それでも助かりたいという気持ちからそう言おうとして。
けれども声は出ないまま。
そうして王子は自分が死ぬという現実を受け入れられないままに、意識を失い命を落としたのである。
王子がもう少し警戒心の強い人間であったなら。
王と王妃がワイングラスを手に取っても飲む素振りを見せないままであったなら、自分も飲まない、という選択肢を選べたかもしれない。
もっともその場合、二人は飲んだ振りをして誤魔化すつもりであった。
もし愛する者と結ばれたい、という言葉を二人が反対した上でワインを出されていれば、警戒したかもしれなかったが。
二人は反対する素振りを見せなかったからこそ、王子は完全に油断したのだ。
王も王妃も我が子を愛し、可愛がり、甘やかしたという自覚はある。
けれどもそれと同じくらい厳しく育ててもいたのだ。
幼い頃、王子は自分の立場をよく理解していた。それは悪い方向で。
自分が王子であり立場が上の人間であると子供ながらに察していて、自分より立場の低い者に嫌がらせをするなどしていた。
王も王妃も叱ったし、世話係にも注意をされて、他にも散々言われていた。
王子である自分に逆らった、なんて理由で世話係を解雇しようとしても、そこは王と王妃が許さなかった。
鞭ばかりでは王子とてずっと反発し続けるだろうと思ったから、飴と鞭のバランスは気を付けていたのに、それでも王子は猫をかぶる事で周囲を誤魔化し続けた。
その猫も完璧ではなかったからこそ、幼い時点で多くの令嬢たちから嫌われていたというのに。
王子という身分以外で、彼が誇れるものは幼い時点ではなかったのである。
顔は良いが、それ以外はからきし。
そしてそれを王子はよく理解していた。
わかっていても、受け入れられなかった。
自分の本来の能力と、自分の頭の中の理想の自分とがかけ離れすぎて、それもまた認められなかった。
プライドだけが馬鹿みたいに育って、身分以外で自分より能力の高い相手を恨んでさえいた。言わずもがな、逆恨みである。
幼い頃に側近候補や婚約者候補として高位身分の令嬢や令息たちと会う事もあったが、誰もかれもが自分は優秀だと言わんばかりの態度で、それが王子には鼻について許せなかった。
実際それは王子の被害妄想なのだが、王子がそう思っていた事など誰も知る由がなかったので結局正される事はなく、婚約者候補の令嬢たちは皆王子を見下していると思い込んでいた。
そのせいで婚約者が決まる事はなかった。
王子が見下していると思い込んでいる令嬢たちを、自分の方こそ上なのだと知らしめるべくやらかした事のせいで、令嬢たちからは思い切り嫌われたからだ。
ミモザはその時点では将来の跡取りであったから、幼い頃に婚約者候補として会う事がなかった。
そのせいで、成長してから婚約者に据えられる事になってしまったのだが。
しかし、幼い頃から性格最悪と噂されている王子との婚約など、ミモザとて望むはずがない。
能力的な面が平凡であろうとも、お互いそれなりに協力し合える関係であればいいが、王子は自分に尽くす事が当然であるとして、こちらが尽くすなどするわけがない、という考えだった。
他の王位継承権を持つ相手に次の王の座を譲った方がマシだとすら思われていたのだ。実に多くの貴族たちに。
実のところ、王もそれを薄々考えてはいた。
いたのだけれど、そうして自分が王になれないと知った王子がどういう行動に出るかもわからなかった。
成長して猫をかぶるのが上手くなっていたのなら、水面下で革命を起こす準備をする可能性もあった。
ミモザがどうにか王子を己が掌の上で転がしていくことができればよかったのかもしれないが、そもそも最初の段階でミモザの事を嫌っていた王子である。
そんな事にはなりそうになかった。
ミモザが優秀であるという話を聞いて、王子はそれすら気に入らず、またミモザの見た目が王子の理想と異なるが故にそれも気に入らず。
王家から頼み込んだ婚約であるが、しかし王子が望んだわけではない。
それもあって、最初の段階でミモザと王子の仲は既に最悪だった。
いずれこの関係は破綻すると、婚約を結ばれた時点でミモザは察していた。
もしかしたら奇跡的に今までの自分の事を振り返って、これではだめだと改心してくれる可能性もあったかもしれないし、そうなればミモザだって王子を支えるつもりではいたけれど。
そんな淡すぎる希望に縋って結局駄目でした、ではミモザが報われない。
そもそも、本来なら公爵家を継ぐつもりだったのに、その未来を捻じ曲げる事になったのだから、自分ばかりが我慢するつもりは勿論なかったのである。
だからこそミモザは国王夫妻に契約を持ち掛けた。
王子が王族として問題のない態度であれば、王族として自らの役目を理解してミモザと結婚して王として努力していくのであれば、何も問題のない契約だった。
けれどもその契約は、守られなかったが故に。
王子は死ぬことになったのだ。
ミモザが持ち掛けた契約は、まず市井で娯楽小説として出回っていた中の一冊を読んでもらうところから始まった。
内容はそこまで難しくもない、王や王妃からすれば内容が薄すぎて速読でササッと読めるような代物だ。
政略結婚で結ばれた婚約者が気に入らず、下の身分の娘と恋に落ち、婚約者を蔑ろにした挙句冤罪をかぶせて大勢の前で婚約破棄を突き付ける王子が破滅する――そんな、一歩間違ったら不敬判定を食らいそうな内容の本だった。
王や王妃からすればあまりにも低俗で鼻で笑ってしまいそうな、有り得ない話。
実際にこんな事が国で起きたらその時点で国はもうおしまいだと思われるもので、王家がこれと同じ扱いをされたら不敬となるけれど、しかし創作であって現実の王族はここまで愚かではないのだ、と民衆もわかった上で楽しんでいる代物。
民からすれば上の者が転落する話もまた娯楽であるとわかっているからこそ、王も王妃もこの本を見ても目くじらを立てる程ではないと理解している。
そんな薄くペラペラした内容の本を見終わった矢先に、ミモザが言ったのだ。
「殿下が将来こんな風になったなら、その時は潔く処分して下さい。
望まぬ婚約を結ばれた以上、私とて貴族の端くれ、役目はこなしましょう。
ですが、それは仕えるに値する者である事が最低条件です。
どうしようもない相手であると判断して、その上で訴えてなおそちらが何の対処もしないのであれば、その時は我が公爵家一門、王家に見切りをつけて独立も已む無しだと考えています」
王や王妃に対して不敬となりそうな発言であったが、しかし無理に婚約を結んだような状況だ。
むしろそれくらいは言われても仕方がなかった。
具体的な契約内容としては――
まず、お互いに婚約者として歩み寄る事。
ところがこれは最初の時点で既に破られている。ミモザは婚約者として非のない行動をしていたが、王子の方はミモザが自分を立てる事もなければ可愛げもないと勝手な理由で嫌っていた。
次に、間違っても王子に与えられた執務をこちらに押し付けない事。
いずれ結婚して夫婦になるんだから助け合おうぜ、なんて都合の良い言葉で仕事を丸投げされるのは困る。
婚約が何らかの事情で解消されたら、王子の仕事で知ってしまった王家の機密などがあった場合、ミモザの人生は最悪毒杯で幕を閉じる可能性も出てしまう。
もしそういった事があれば即座に報告するし、押し付けられた仕事は一切しないがその結果に生じる問題に関して、ミモザは一切責任を取らないと宣言した。
だがこれも、当たり前と言えば当たり前の事だ。
王子に与えられた執務は王子がするべきである。
それを婚約者や部下といった相手に押し付けるなど、本来なら有り得ない事である。
それから、婚約者がいながら他に恋人を作った場合。
それが運命の恋などと言って、愛人や側妃といった立場ではなく正妻の座に据えようとするのなら。
その時の相手はどう考えても身分的に正妃にはなれないだろう事が予想される。
であれば、それを認められるはずもない。
だが、認めなければ。
許されない恋とやらに燃え上がり、次に王子がやるべき行動は――
「その娯楽本のような事が、現実になるかもしれません」
本を読んだだけなら、現実にはあり得ない展開だなぁあっはっは、と笑い飛ばせそうだったのに、しかし王子の言動を鑑みると有り得ないと言えなくなってくる恐ろしさよ。
「ですから、婚約者として歩み寄らず、またこちらに仕事を押し付けようとしたところまではギリギリこちらも我慢しますが。
その状態で他に恋人を作るようなら。
その時は王家の終焉を殿下が紡ぐ事になりかねません。
ですから、もしそうなった場合、その時は潔くお二人で幕を引いて下さい。
それをお約束していただけるのでしたら、私もそうならない間は誠心誠意お仕えいたしましょう」
そんな契約を結ぶつもりはない、とは言えなかった。
言ってしまえば、王子はこの現実にはあり得ない内容の娯楽本と同じことをやらかす可能性を二人とも信じていると見なされてしまうし、仮にそうなったらこの国はおしまいだ。
先王から国を任されて、自分もまた次に繋ぐはずがしかし滅亡への道を作り上げていた、なんて事になれば愚王どころの話じゃない。
流石に我が息子がそこまで愚かではない、と思いたかったし、そこまで人間性が終わっているとは思っていなかったからこそ。
その契約は密かに結ばれたのである。
ところが実際、最初の時点で一つ目が絶望的で、二つ目の仕事の押し付けも起きてしまった。
押し付けられた書類を持ってやってきたミモザを見てしまった時の王と王妃の気持ちは、どう言葉で言い表せばいいか……怒り、失望、そういったものすら既に通り越してしまったようで。
それでもこの段階ではまだ、王子が他の女と恋に落ち、ミモザを除外しようとしなければまだ助かる道はあったのだが。
王子はミモザが国王夫妻とそんな契約を結んでいる事など知らなかったからこそ、身分違いの、おべっかが上手な少女にまんまとのめり込んで――破滅への道を突き進んでしまったのである。
ミモザとの婚約をどうするつもりなのかと聞いた時、王子は何故ミモザと婚約が結ばれたのか、その意味すら理解せずに王妃になるには何もかもが不足している、ただ王子が好きだという理由しかない女を妃にしようと言い出した。それどころか側妃にしてやってもいい、などと。
ミモザよりも身分が下の娘を正妃にして、ミモザを側妃になどできるはずがないというのに、そんなバカげた事を本気で言ったのだ。
好きな人ができた、というところまでは、それでもまだ二人は穏便な方法を考えていた。
せめて臣籍降下するだとか、そういう事を言い出したのであれば。
次の王の座を捨てて、ひっそりと愛する者と過ごしたいと言うのなら、その望みを叶えられるようミモザと交渉するつもりでもいた。
けれど王子は次代の王の座を捨てるつもりもなければ、ミモザを側妃として面倒な仕事を押し付けるつもりでもあったのだろう。
それは、許される事ではない。
ミモザに押し付けた仕事は、突き返して自分でやれと言ったところでやらないどころかミモザに八つ当たりする可能性もあったからこそ王と王妃が密かに片づけはしたけれど。
それでもその後で改めて教育をしっかりやり直させたりもしていたのに。
全く何一つとして身につかなかったのだと思うばかりだった。
つまり王子はミモザに仕事を押し付けてそれをミモザがやっていると思い込んでいたに過ぎない。そうして次から次に仕事を押し付けていったのだ。
どのみちやらない事が判明してからは、王子へ渡す仕事は減らしていったけれど、きっとあの様子では王子はそれすら気付いていなかったのではないだろうか。
幼い頃に乳母に甘やかされたとか、教師に誤った思想を植え付けられたとか。
そういう事があればまだしも、そういった事もないのに何故そうなってしまったのか。
王も王妃も、甘やかす事しかしていなかったわけではないのに。自分が育てられた時のように、厳しい事を言ったりやったりした事もたくさんあったのに……
このまま彼を王にはできないし、かといって臣籍降下を告げたところで素直に従うかもわからない。ミモザが何かを仕組んだのだと思い込んで逆恨みで彼女を害そうとされても困る。
だからこそ、穏便になんて考えていたのも束の間、ミモザを側妃に、なんて言ったところで王と王妃の覚悟は決まったのであった。
「毒を仕込んで用意しておいたワインなど、使う機会が永遠にこなければいいと思っておったのだがな……」
「やらかしてから病気療養という名目で幽閉した後の毒杯であったとしても、素直に口にしたかはわからないもの。残念だけど、こうするしかなかったのよ」
王妃の脳裏に、幼い頃の王子の姿が蘇る。
あの頃はまだ、可愛い我が子であったのだ。少しだけ我侭で生意気なだけの。
けれども、自分より立場が下の相手に対する態度は、そんな可愛らしい言葉で表現できるものではなくなってしまった。
我が子の良い思い出は確かにあったはずなのに、しかし思い出そうとしても気付けば自分の人間性の劣悪さを上手い事隠しているつもりになっている姿ばかりが思い出されてしまって。
「……きっと最初から間違えたのね」
こういう風に成長するとわかっていたのなら、もっと早くに処分すればよかった。
とは流石に口に出さなかったが。
事切れてしまった王子を見下ろす王妃の目には、既に親としての情などこれっぽっちも残っていなかった。
「貴方、ミモザに婚約がなくなったと連絡をしなくては」
「そう、だな……」
突然の不幸で王子が死んだ、と公表したとして。
果たしてどれだけの人が彼の死を悲しんでくれるだろうか。
そう考えた王は、しかし直後に頭を振った。
悲しむどころか喜ぶ相手の方が多いだろうな、と漠然と察してしまったのと。
死んだ事にホッとする者の方が多そうだと思ってしまったからだ。
今まで目を逸らし続けていた部分を、今更のように直視した事に気付く。
側近として仕えていた者たちとて、苦言を呈した時点で遠ざけて王子の事を持ち上げるだけの口先だけが達者な者を近くに置いていたくらいだ。
王子が死んだ事で、そういった者たちは自分の将来が崩れたと文句を言うかもしれないが、そんな者たちの事まで王は手を差し伸べてやる義理などない。
むしろそんな相手がそのまま王子の側近になっていたら、国は傾いていく一方だっただろう。
「あぁそうだ、弟にも連絡を。
次の王を任せる、と話せばどういう反応をするだろうな」
臣籍降下する準備だけはしてあった王弟も、まさか王の座が転がり込んでくるとは思っていなかっただろう。
恐らく色々なところで小さな混乱は起きるだろう事は間違いない。
けれども、ミモザに読まされた娯楽小説のような展開を王子がやらかしていた場合を考えれば。
その程度の事は許容範囲内だと思うしかない。
大勢の前での婚約破棄も、ましてや無理矢理罪を着せるような真似をミモザがされる事も未然に防ぐ事ができた。実際にそんな事が起きていたならば、公爵家がどう動くかなんて考えるまでもない。
争いは避けられなかっただろう。そうなった場合、最悪自分たちの首すら断頭台の露と消えたかもしれないのだから、無理に良かった事を考えるのであれば。
犠牲は最小限で済んだ。
そう思うしかなかったのである。
次回短編予告
自分はマトモだと思っているけれど、しかし周囲はそう見てくれなかった。
だが男は何が悪いのか理解ができない。
次回 ずれて空回っていた男の話
以前の短編 婚約解消後の噂は私関与しておりません のロブソンの話になります。
まぁそっちは読まなくても多分問題ないはず。




