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事実も小説も奇なり  作者: Guru
真実の世界で
37/38

第37話 “約束”

 今の俺の言葉は相当響いたのか、興奮状態であった相澤さんの熱は、一気に冷めていた。


「……ごめんなさい。完全に私の都合だったね。源田光に……失礼なことをするところだった」


「いえ……構いません。きっと見た目は同じなのでしょうから。錯覚も無理はない」


 しばしの沈黙が流れた。

 あれだけ騒ぐ相澤さんを見ていただけに、あまりにも差が激しい。

 先程までの「この世界に留まる」と、意地を張っていた相澤さんの姿は、もうどこにもなかった。


「相澤さん。現実世界で俺……いや、源田が亡くなって、どれくらいが経ちましたか?」


「えっと……現実では十二月だから……二ヶ月くらいかな」


「まだそれだけしか経ってない。いずれ時間が解決してくれるはずです。俺としたら、相澤さんには別の人と付き合って、幸せになって欲しい。図々しいかもしれませんが、それが俺の願いです」


 俺の切実な願いも、相澤さんは小さく頷きながら、真摯に受け止めてくれている。


「……他の人と恋愛か……今は考えられないかな」


「きっと見つかりますよ。相澤さん、素敵な人だから」


「そうかな……“前の好きな人”が魅力的だから……そのハードルを越えるのは中々難しいかも」


「ははっ……なんだろ、これ……ノロケ?」


「うん、そうかも」


 雨降って地固まるとは、このことを言うのだろうか。

 不思議な空気感だ。いつの間にか、自然体で相澤さんとは話せるようになっている。


 俺はソファーの隣に座る、相澤さんの手をそっと握った。

 その俺の行動を見て、相澤さんは微笑む。


「普通に手、握れるようになったね、私達」


「えぇ……今更ですけど」


 あれだけカッコつけたことを言ったばかりなのに……こうして一緒にいると、相澤さんが恋しくなってくる。


 俺の心の中は揺れていた。

 相澤さんには元の世界に帰ってもらいたい……もちろん、それは俺の中にある、一番の望みだ。


 でも、相澤さんが俺と離れたくないように、俺だって離れたくない。気持ちは同じなんだ。

 出来ることなら俺だって一緒にいたい……そう俺のエゴを貫き通せれば、どんなに楽だったことか。

 

「っつ……」


「どうしました? 相澤さん!?」


「今、少し頭痛がして……けど大丈夫。すぐ治まったから」


 奇跡ってのは、長くは続かないものなのかもしれない。

 神様は再び俺らを引き裂こうとしている。


 近いんだ……タイムリミットが……

 相澤さんと別れなければならないときが迫っている……


「──相澤さん」


「何? 改まって」


「ひとつ、約束して欲しいんです」


「約束って……?」


「元の世界に戻っても……絶対に、この話の続きは書かないでください」


「えっ!? どうして!?」


「いつまでも俺に縛られて欲しくないからです。相澤さんは次のステップに進んで欲しい」


「そんなの私の勝手でしょ! 何で……? いいじゃない!! 第一、この世界から私がどうやって帰るかも──」


「いえ、迫っています。相澤さんが元の世界に帰るときが」


「──!!」


「だから……もう俺とは……作田とは、ここでお別れです」


 相澤さんは自分がどうやって、この世界に入ってきたのかを知らない。

 外の世界の相澤さんが乗り移ったとき、彼女は頭を抱えていた。

 今の相澤さんの状況と似ている……きっとこの頭痛は、そのサインなんだ。


 まさか相澤さんもこんなに早く、別れのときが訪れるとは思っていなかったのだろう。


「嫌だよ……寂しいよ……そんなの悲しいよ! こんなお別れの仕方、絶対嫌だよ!!」


 また相澤さんの目に、涙が溢れてきている。

 もう泣かせるもんか! 最後くらい、男を見せなきゃ!


「──大丈夫。悲しい別れには俺がさせない」


「えっ? どうやって……」


「覚えてますか? 映画デートのときのこと。言いましたよね? 俺、バッドエンドは嫌いだって」


「うん……物語の最後は、ハッピーエンドで終わるべき……そう言ってた」


「だから、この物語も笑顔で終わらせようと思うんです。なので……俺の最後のわがまままを、今から言ってもいいですか?」


「は、はい……」


 俺は一度立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。二回ほど深呼吸をし、相澤さんの目を見つめた。


「──俺は、作田明は、相澤美幸が大好きです。だから、俺と付き合ってください!」


 俺は目を瞑りながらお辞儀をし、右手を差し出した。


「何それ……お別れなのに……今から付き合うの?」


「はい! 正確には、今の相澤美幸さんというより、この世界の相澤美幸さんに対してです! 紛らわしくて、ごめんなさい」


 俺の耳には、相澤さんがソファーから立ち上がる音が聞こえた。


「小説の世界の私にね……そういうことなら──」


 微かに相澤さんが笑う声まで聞こえた気がする。そして……


「喜んで。私からも、お願いします」


 相澤さんは俺の手を取って、握手を交わした。


「やったーー!! ありがとう! おかげで人生初の告白、成功しました!」


「変なの! こんな告白、どのカップルにもない……うっ……」


 満面の笑みを見せていた相澤さんは、突如バランスを崩した。

 俺は相澤さんが倒れぬよう、自らの体を使って支え、そのまま抱き締めた。


「大丈夫ですか!?」


「うん……平気。でも、本当にお別れのときが近いんだね……戻るんだ、私は元の世界に……」


「──俺は幸せ者です! 二度も素敵な体験を味わうことができたんだから!」


「そうかもね! 現実と小説の世界……二回も私とデートしたのだから。ずるいよ! 作田さんだけ」


「はい、これは俺だけの特権ですから」


「じゃあ……一回しか味わえないこと……しよっか」


「──えっ?」


 完全に俺は不意をつかれていた。

 目を開けたまま、相澤さんの顔を間近で(・・・)見ながら……


 俺は人生で初のキスをした。


「えっ……えーーっ!!?? 目瞑るの忘れちゃった!?」


「いいんじゃない? きっと一生忘れない思い出になるよ」


「だ、だめですよ! そこまでしろなんて言ってないのに! 相澤さんには、この世界の相澤さんのフリをしてもらえれば……それだけでよかったのに……」


「いいの! 私が許可します! だって、きっと()なら、こうすると思ったから」


「そう……ですか、それなら……はい」


 そう言われたら、俺も言い返せない。

 相澤さんから貰った、最高のプレゼントだ。素直に受け取っておこう。


「ねぇ、それより作田さん。何か口に付けてた? 唇に触れたとき、何か付いてた気が……」


「えぇ、これです」


 そう言って、俺はズボンのポケットからリップクリームを取り出した。


「リップ? しかも、結構甘い匂いする」


「なにせ、俺のファーストキスですからね。“ファーストキスはイチゴ味”って言うじゃないですか! だから、リップはイチゴの香りです!」


「なにそれー。用意周到すぎー!」


「ほら、元々は家デートも兼ねてましたから。もし相澤さんが犯人じゃなかったら、純粋にデートを楽しんでやろうと思って! こうして髭も綺麗に剃ったし、新品のリップも事前に買っておいたんですよ!」


「それにしてもさー、いくらなんでも……うっ……」


「──相澤さん!!」


 どんどんタイムリミットは迫ってきている。

 ついには相澤さんは立てなくなり、その場にしゃがみ込んだ。

 眉間にシワを寄せ、とても辛そうな顔をしている。


「はぁ……はぁ……さすがに苦しくなってきちゃった……」


「あまり無理をしないでください」


「ううん……少しでも、一緒の時間を過ごしたいから……カップルの時間を少しでも長く」


「相澤さん……」


 俺らは床に座り込み、抱き合った。

 俺の耳に、相澤さんの息づかいが聞こえる。相澤さんの呼吸は激しく乱れている。


「俺は本当に本当に幸せ者だ! ここで消えることで……俺の想いは、永遠になる!!」


「これがなくても……きっと、永遠だったよね……?」


「もちろん!! 俺は相澤美幸を愛していますから!!」


「私も……あなたを……いえ、作田明を愛してる……」


 相澤さんの目から涙が流れているのが見えた。それを見た俺は、更に強く抱き締めた。


「だめです……今、泣いたら! ラストはハッピーエンドって、決めたんですから!」


「そう……ね……でも、作田さんも……泣いてるよ?」


「いいんです。これは。だって、この涙は……嬉し涙ですから」





ーーー


 

 気が付くと、私は自分の部屋の床で寝ていた。

 部屋の壁にかけてある、カレンダーに目をやる。日付は十二月を指している。


「……戻ったの? 現実に……」


 私は部屋の周りを見渡した。いるはずもない、“彼”を探していた。

 パソコンの画面が明るくなっている。画面には、私が書いた小説が開かれていた。


 最後の行には『いいんです。これは。だって、この涙は……嬉し涙ですから』

 こう書かれている。これは、彼が最後に残した言葉だ。


「もしかして……全部、夢? 私の妄想?」


 本当に私は、小説の中の世界に入っていたのだろうか……?

 改めて考えてみると、そんなことありえるはずがない。


 私はいつものように小説を書いたあとに、その場で寝てしまった……

 もしかして、たったそれだけの話だったのでは……?

 段々私は、自信が持てなくなっていた。


「やだ……泣きそう……」


 私は悲しかった。彼と会えなくなったことではなく……

 あれも、あの思い出も、全部が妄想だったと思うと、それが悲しくて、切なくて。


 涙を(ぬぐ)おうと、私は顔に手を当てた。そのとき、私の手の指が、唇に触れる。


「──これって……」


 何かに触れた感触がある。

 私は自分の指の匂いを嗅いだ。


「甘い……イチゴの匂いだ」



 本当だったんだ。全部、本当の出来事だったんだ。



・・・



 私は小説の中にいた。

 短い時間ではあったが、彼との幸せなときを過ごすことができた。


 私は彼の想いを、願いを尊重したいと思う。

 だから私は彼の言う通り、これ以降、あの小説の続きを書くのはやめようと思う。

 彼と交わした、最後の約束……絶対守らなきゃ!



 そして、私は守った。どんなに辛くても、どんなに寂しくなっても。

 私は二度と──小説を書くことはなかった。

※次回、最終話です。

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