第36話 “同一人物”
俺は部屋にあったティッシュを数枚取り、相澤さんに手渡した。
「ありがとう……ごめんね、泣いてばかりで……当時を思い出しちゃって」
「いえ、気にしないでください。あの……ほとんどの謎は解決したのですが……ひとつだけ、分からないことがあります」
「──えっ? まだある?」
「はい、相澤さんは……俺のことが好きだったんですか?」
「何それ……さっきも言わなかったっけ? 面と向かって言わせないでよね。恥ずかしいから」
相澤さんは涙を流しながらも照れていた。
感情をどう表現していいのか、困惑している。
それでも、俺は真剣に相澤さんに尋ねていたつもりだった。どうしても、その理由が知りたかった。
「どうしてです? どうして俺なんです?」
「えっ? どうしてって……」
「こんな美人な人が、俺を好きになるなんて、どう考えても変だ。そこにどんなカラクリがあるのかと……」
相澤さんは『なるほど』といった様子で、小さく頷いた。
「それのことね。そこはだいぶ“補正”がかかってるかも」
「補正……?」
「そう。確かに私は今まで何人かの男性と付き合ってきたし、それなりに恋愛もした。でもね、美人だなんて、ほとんど言われたことないよ?」
「いや、謙遜しないでください! 絶対相澤さんは美人だし、モテますよ!」
「よっぽど、あなたのタイプの顔だったのかもね。ほら、そこに鏡があるでしょ」
相澤さんは、部屋にある姿見を指差していた。
ここで身だしなみや、服のコーディネートのチェックをしたりしているのだろう。
「私、この世界の自分の姿を見て、びっくりしちゃった! 『超美人になってる!』って。もうアプリで盛ってるなんてレベルじゃない!」
「現実の世界の顔と、そんなに違うんですか?」
「うん、作田さんには、私がこう見えてるってことなのかな? だから、とんでもない補正がかかってるってこと! どう? 幻滅した?」
「いえ、きっと現実でも俺にはそう映ってたんだと思います!」
「そうのかな……ありがと」
いや、容姿ばかり褒めてちゃだめだ! 相澤さんのいいところは、それだけじゃない!
「それに、見た目だけじゃありません! 相澤さんの優しさや、持つ雰囲気、全部が好きなんです!」
「もしかして、今のって告白……?」
「いえ、そういうつもりじゃ……」
この場に及んで、何やってんだ俺は。本当に意気地無しだ……
俺は落ち込んでいたが、相澤さんには笑みが浮かんでいた。
先程まで、あれだけ泣いていただけに、俺はそのことに安堵する。
「でもさ、私達って少し前まで、ほとんど話したことなかったよね? 何年も同じ職場にいたのに」
「は、はい。俺、ずっと前から相澤さんのこと想ってて、だから──」
もうこの勢いに任せて、そのまま告白だ!
俺はいよいよ覚悟を決めていた。
しかし、相澤さんは俺の勢いを削ぐ。
「──あなたは常に熱心な姿勢で授業に取り組む真面目な人。疲れているのに部活には毎日顔を出す。たまに子供みたいな思考になるときがあるけど、その無邪気なところが、生徒達を惹き付ける。だから仲のいい生徒や、あなたを慕ってる人もたくさんいて……」
「えっ? それって俺のことですよね? なんで相澤さんが、俺のことをそんなに知ってるんです……?」
「その言葉は、そっくりあなたに、お返しします。私達、ほとんど話したことなかったんだよね?」
「あっ……」
職員室に来れば、俺はいつも相澤さんを探していた。
廊下でも、グラウンドでも、『相澤先生は今どこで、何をしてるんだろう』って……
常に俺は相澤さんを見ていた。
もしかして、相澤さんも同じように俺のことを……?
「──どうやら……気づくのが遅かったみたいですね。俺達……」
「うん……でも、大丈夫! 私達には、この“奇跡”があるのだから!!」
「奇跡……? さっき言っていた、あの奇跡のこと?」
「そう! 神様は私達を見捨てなかった! 知ってる? 今日起きた、お家デートあるでしょ? あれは私がストーリーを書いたわけじゃないの!」
「えっ……じゃあ、俺が動いたことにより、今度は小説の方が俺に合わせたってこと?」
「そうそう! 私が書くのではなく、あなたが小説を書かせた……逆転したんだよ! 勝手に話が進んでて、びっくりしちゃったんだから!」
「それは驚きますね。ひとりでに原稿が進んでたら」
「うん、そのことに気づいて『もしかして、キャラは生きているのでは?』と思い始めたら、急にパソコンが光り始めて──」
「いつの間にか、この世界に辿り着いていた……と」
「そう! びっくりしたー! でも、何より驚いたのは目の前にあなたがいたこと! またあなたに会えるだなんて、嬉しくて思わず泣いちゃった!! 小説の世界に入った不安や戸惑い、そんなの全部吹き飛んじゃった!!」
そういうことだったのか……それが相澤さんの言う、“奇跡”の全貌。
相澤さんの書いた小説のストーリーに生きていた俺が、今度はストーリーを牽引する形になるだなんて……
これこそまさに、奇跡としか言いようがない。
ただ……本当にこれでいいのだろうか?
もちろん俺の方はいい。もう俺は現実世界には戻れないんだ……
ここでまた相澤さんと過ごせるなら、こんなに幸せなことはない。
けれど、相澤さんの方はどうだ?
相澤さんは生きている。たまたまこの世界に今来てしまっただけで、相澤さんには戻る場所がある。
どんな悲しい結末であろうと──俺の人生は終わったんだ。
例え相澤さんの歩む道に俺が消えてしまったとしても、相澤さんにはまだ人生の続きがある。
だめだ……だめじゃないか、これじゃ……
「確かに、相澤さんが言うように、これは奇跡です。神様がくれた宝物です」
「でしょ! だから、これからは私、あなたと一緒に──」
「だめだ!!」
突然の俺の大声に、相澤さんは驚いていた。
相澤さんからしても、予想外の返事だったのだろう。
「えっ……」
「それはできない。俺は……相澤さんとは一緒にはいられない」
「なんで!? やっと私達はお互いの気持ちが分かり合えた!! ここからがスタートじゃない!!」
「いや、厳しい言い方をすれば、俺達は終わったんです」
「そ、そんな……あなたが死んでしまったから?」
「はい、そうです。相澤さんには帰る場所がある。ここは小説の世界だ。ただの妄想の……偽りの世界なんだ」
俺は心を鬼にして、相澤さんを突き放した。
それでも相澤さんは納得がいかなかったのか、俺に食らいつく。
「いいじゃない! 偽物でも何でも! 私はこの世界で、あなたと共に生きていく! そう決めたの!」
「勝手に決めないでください!! もちろん作者が妄想を、想いを込めて作品を書くのは素晴らしいことだ! でも、その作者が作品に呑まれてしまってはだめなんだ!!」
「あなた……」
「作品と現実を、一緒くたにしてはいけないんです。それに俺と相澤さんが、ここで暮らすことになれば、“あの人”が悲しみます」
「誰!? あの人って!! 私にとって、あなたほど大切な人はいない!!」
「その……“あなた”です。相澤さんが愛した、源田光が悲しみます。俺は──“作田明”なんです!!」
「──!!」
相澤さんは、作田明と源田光を、同一人物として考えていた。
確かに俺は、元の世界の源田の記憶を持っている……だからと言って、俺は源田ではない。源田にはなれない。
どこまでいっても俺は、この世界の住人──作田明なんだ。




