第35話 “思い出”
お互いが不思議な緊張感に包まれていた。
一歩間違えれば、俺と相澤さんが、ここで巡り会うことはなかったのかもしれないのだ。
そしたら俺は今もきっと、犯人が誰か分からず、小説世界をさ迷い続けていただろう……
俺はいつの間にか滲み出ていた額の汗を、右手で拭った。
相澤さんは険しい顔をしながら、大きな溜め息をつく。
「ふぅ……よかった……私、初めてかも。こんなにもミスをしていてよかったって思えたの。あのときの自分を、褒めてあげたい気分!」
「ははっ、本当ですね。相澤さんが、おっちょこちょいで助かりました」
「もう! そこまで言わなくてもいいでしょ!」
俺は場を和ますために冗談を交えたつもりだった。しかし、それも逆効果だったようだ。
相澤さんは口を膨らませ、拗ねてしまっている。
「それで、そのあとは……どうしたんだっけ?」
ご機嫌ななめな相澤さんは、早急に話を元に戻した。
あまりからかってばかりいたら、本気で怒られそうだ。
「えっと……どこまで話したんでしたっけ……?」
「私に『小説を書いてる』と言えたのがおかしいって話でしょ。忘れちゃったの?」
「そうでした! すみません!」
もうふざけてる余裕もない。ここからは真剣モードだ。
俺は気持ちを切り替え、途中で終わっていた話の続きを始めた。
「俺は犯人探しの際、無意識のうちに相澤さんを候補から除外していました。ですが、今度は相澤さんに疑惑の目を向けてみることにしたんです」
「状況が大きく変わったものね。そうは言っても私、怪しまれるようなことなんてしてたかな?」
「よくよく考えてみたら、不自然なことだらけでしたよ。高崎との野球対決や、映画館デートのアクション映画に誘導されてしまう現象……こういったものは、時が何度戻っても、結果的に“いい方向へ”流れている!」
「そっか、私は作田さんと結ばれるよう、外からアシストしてたから。その流れになるのは当然なのかも」
「ずっと俺は、二人を引き裂こうとする人物ばかりに目星を立てていた……でも、もしかしたら、その考えも全部が“逆”なんではないかと思うようになったんです」
「引き裂くではなく、結ばれるように仕向けているってことね……常に私は、イベントの中心として作田さんと一緒にいるわけだし、気づけば私が一番怪しい人物に……」
「はい、あとは二人きりの誰もいない場所へ誘導して捕まえるだけ。一応、相澤さんが犯人かどうか、“試す”ことはしたんですよ?」
「試すって……どうやって?」
「相澤さんに『ここは俺の書いた小説の世界だ』というタブーを伝えたんです! これこそまさに、今まで誰にも言うことはできませんでしたが、唯一、家で“一人きり”のときは口にすることができた……だから、この事実を知る者なら、もしかしたら話せるのではないかと考えたんです」
「それで犯人だと思う私と、二人きりになる必要があったのね」
「えぇ、周りに誰かいたら、きっとタブーとして扱われ、言葉にはできませんから。そして、実際に試してみたところ、見事に言えたので、あぁこれは間違いないなと」
「こうして私が外の世界から、この世界の相澤美幸として来れてるってことは、“二人は繋がっている”証拠だもんね。もしかして、あなたがタブーを壊したことが原因で、私がこの世界に来れるようになったのかな?」
「さぁ、そこまでは分かりません……」
外の世界に住む相澤さんがここにいること、死んだ俺が、この世界で生きていること……
すべてを理解することなど、不可能なのだろう。もはや人智を越えている。
だから人はそれを──“奇跡”と呼んでいるのかもしれない。
「いずれにせよ、私はそうやって、あなたにバレちゃったわけだ……バレないのも困る話なんだけど……あぁーあ、せっかくなら、もう少しだけ小説書いていたかったな」
相澤さんは気だるそうに背伸びをし、ソファーにのけ反り返った。
「不満げですね。まだまだ書き足りなかったんですか?」
「うん。この作品、私はそのまま続ける予定だったんだよ? 学校のみんなに私達が付き合うことを広めて、みんなに認めてもらって堂々と付き合って……」
「そんな噂話のイベント、確かにありましたね」
「それでも高崎君が暴走しちゃってさ。一時はどうなるかと思った。そんなストーリー書くつもり全くないのに、不思議とスラスラ話が進んじゃって」
「それも俺の影響か……高崎、本気で相澤さんのこと好きみたいだったから」
「あなたは殴られそうになっちゃうし、まずいと思って慌てて書き直したりして……」
「あぁ……あれは相澤さんの優しさだったのか。俺を助けようと」
「そう。でも、問題はそのあと。ねぇ……知ってる?」
「えっ? 知ってるって、何を……?」
いつの間にか、相澤さんの目は潤んできていた。
「いつ、あなたが亡くなったのか……」
「……いつなんです?」
「私が学校に朝早く来るよう、メッセージを送ったじゃない? あの日……なの」
「──!!」
正確には、この日だったのか……俺が亡くなったのは……
「あなたは朝の車での通勤途中、不運にも大事故に巻き込まれ、命を落としてしまった……何台も車を巻き込んだ、玉突き事故だったみたい……ニュースでも取り上げられてた」
「も、もしかして……俺が危険な運転を……」
「いえ、そこは安心して。あなたは完全に被害者だから。私は今でも、その加害者を許せない」
「相澤さん……」
「こんなことしたって意味ないって分かってるし、小説はフィクションだから関係ないのだけど……何か嫌でね……私はあなたの通勤時間を変更させた」
「それで……朝早くに来いと……」
「えぇ、もちろん無意味だよ? いくらでも私がストーリーを作れるのだから。でも、そうすることで、現実も変わるんじゃないかって思えてきて……」
決めていたストーリーを、作者の都合よく変更する。そんなこと、小説の中でやろうと思えばいくらでもできる。
しかし、現実は揺るぎないもの。俺が死んだことは……何をやっても変わることはない。
「あなたの事故の知らせを聞いて、私は急いで病院に駆けつけた。けれど、そのときすでに、あなたは亡くなっていた……」
「それほどの大事故だったんですか?」
「えぇ……車内の段階で、ほとんど助かる見込みはなかったみたい……頭を強くぶつけていたらしくてね……それほど激しい衝突だったようなの……」
「頭を……!!」
俺がこの世界に一番初めに訪れたとき……
意識が目覚めたと同時に、頭部に激痛が走った。
てっきり主任の梅野先生が、俺の頭を強く叩いたのだとばかり思ってたけど……
俺のここでの“最初の記憶”は、人生の“最後の記憶”だったのか……
相澤さんは、当時を思い出してしまったのか、再び泣き崩れてしまった。
もう何度目だろう。相澤さんが涙を流すのは。
「私達の思い出……これで全部なの! たったこれっぽっちしかないの! 私達、これからだったじゃない! なんで、それなのになんで……私達はこんな目に遭わなきゃいけないの!!」
相澤さんの言う通りだ。
俺達の幸せは、まだまだこれからだった。
何やってんだよ俺。なんで死んでんだよ。
なんで、彼女をこんなに悲しませているんだよ……




