第32話 “勘違い”
ひとつ謎が解決しても、今度は更に別の謎が発生してしまう。
今はひとつずつ、地道に謎を解いていくしかなそうだ。それがきっと一番の近道なのだろう。
俺は相澤さんに訪ねる。
なぜ、ここが自分の小説の世界と勘違いしてしまったのか……その理由を。
「相澤さん、どうして俺は、このストーリーが自分の書いた小説なのだと思い込んでしまったのでしょうか?」
「あぁ、それね。きっとこのせいかも」
何やら相澤さんには心当たりがあるようで、ソファーから立ち上がって移動を始めた。
相澤さんは部屋の壁際まで歩き、そこに置かれている収納棚の前で立ち止まった。
そして、棚の引き出しを開けて、中から何かを取り出し、こちらへと戻ってくる。
相澤さんの手をよく見てみると、メモ用紙とペンを持っているのが分かった。
「──これ……見覚えないかな」
そう言いながら、相澤さんは机の上で文字を書き始める。
いくつかの文字を書き終えた相澤さんは、メモ用紙を手に取って掲げ、俺に見せつけた。
『源田 光』
メモ用紙には、そう書かれている。俺にはさっぱり思い当たる節がなかった。
「これは何ですか?」
「そう……分からないなんて、残念ね。“源田光”。これはあなたの本名なの」
俺の名前!! “作田”ではなく、“俺”の……本当の名前!!
「あっ、この漢字って……」
「そこには気が付いた? “源光中学校”。小説の世界で私達が通う学校の名前は、あなたの本名から、もじられせてもらった」
「知らなかった……何度も目にしたはずなのに、自分の本名とは全く結びつかなかった……」
相澤さんは俺の本名を、じっと見つめていた。
「私ね、小説には私の名前や、実在する人達の名前を付けたけど、あなたにだけは本名を付けたくなかったの……」
「何でです? 別に、俺にも本名を付けてくれればよかったのに」
「だって、悔しかったんだもん」
「悔しかったって、どういうことですか?」
「それ……言わなきゃだめ?」
相澤さんは体を横に揺らし、もじもじとしている。
「気になりますよ。教えてください」
「どうしても?」
「はい、どうしてもです。ここまで全部話してきたんです。今更、教えないもないでしょう」
「……分かった、分かったよ! 教えるから、その代わり絶対に笑わないでね?」
「ん……? はい、笑いません」
相澤さんは、謎の保険をかけていた。
そして、足を小刻みに動かしながら、その理由を打ち明ける。
「だって、あなたを独り占めしたかったんだもん! いくら小説の中と言えど、あなたともう一人の私が、いちゃいちゃしてるのなんて見たくない! 嫉妬しちゃう!」
そ、そんな理由だったのか……まるで子供のわがままだ。
でも……自作小説って、案外そんなものなのかもしれない。
俺だって、人に見せたら笑われてしまいそうなほどの自分の妄想を、小説にして書いていた気がする。
何を書こうが作者の自由だ。何にも縛られず好き勝手書けるのが、自作小説のいいところでもある。
「やっぱり笑った? ねっ、しょうもない理由だったでしょ!?」
「正直、笑いました」
「ほら、だから言いたくなかった──」
「いえ、相澤さんの気持ちが嬉しかったからです。俺、相澤さんにそんなに大切にされてたんだなって」
相澤さんの顔が、真っ赤に染まっていくのが分かった。
「そ、そもそもがさ、あなたが小説の中で動き回るなんて思ってないし! 最初からそれを知ってれば、偽名なんて使わなかったのに!」
よほど恥ずかしかったのだろう。相澤さんは話を先に進めようと必死だった。
大急ぎでペンを手に取り、メモ用紙の『源田光』の下に、別の文字を書き始める。
「──つ、次行くよ!? 話進めるからね! それで、それでね! 私は主人公には別の名前を付けることにしたの」
その名前は、俺には馴染み深いものとなっていた。
もはや、本名の源田光よりも、しっくりとくる。
「その名前が──“作田 明”……なんですね」
「そう、その名前を借りたの! あなたが現実で書いていた、小説の物語から取ってきて。源田光の分身とも呼べる、最も近い存在の“作田明”を」
「この“作田明”が、俺の書いていた作品の主人公というのは、俺にも分かっていました」
「気づいてたんだ! あなたには悪かったけど、私と上原先生で、あなたが亡くなったあと、あなたの部屋に行ったの。そこでいくつか読んじゃった。書いてあった小説」
「恥ずかしいな……まさか死後に読まれるとは……」
「その中でも、直近で書かれていた小説の主人公が、作田明だった。まだ書いてる途中の作品だったみたいだけど……」
「完成させるまえに、俺は死んでしまった……ってことですよね。俺がこの世界のストーリーを未完成だと思ったのは、その記憶を思い出していたからだったんだ」
「あ、だから私に『書き途中だ』と言ってきてたんだね! ようやく意味が分かった! それにしてもさ、そこまで分かってたのに、小説の内容には疑問を持たなかったんだね!」
「──内容? どういうことですか?」
「あなたが書いてた小説って、“恋愛小説”だったと思う?」
俺は自分の家にある本棚を思い返していた。
確か、うちには一般的な推理小説や、ライトノベルが置いてあった。
特にラノベの数が多く、その中でも異世界転生モノが好みで……
「あれっ? 俺って恋愛小説なんて、一冊も持ってないかも! 俺の好みじゃない!?」
「そう。あなたが書いていた作品は、ごく普通のサラリーマンや中年男性達が異世界に行って世界を救う、ファンタジーの作品ばかりだった。作田明が主人公の作品も似たようなもので、『どこにでもいるような冴えない男性が、異世界で大活躍する話』だったよ」
言われてみれば……そうだったかも!
俺はヒーローに憧れていたんだ! そんな妄想を小説にしていた!
「だって、あなた、恋愛モノの映画をレンタルしてきても、退屈して寝ちゃうじゃない?」
俺の嫌な記憶、忘れたい記憶が瞬時に甦る。
「あっ、本当だ……その節は、大変失礼いたしました……」
「今更謝られてもね。それでも、ハーレムは好きだったみたいだけど……まさかそれを恋愛小説とは……言わないよね?」
相澤さんの目付きが、一気に鋭くなった。
「──違うと思います! この世界のような、一途に一人を好きになる純愛を、恋愛小説と呼ぶのだと思います!」
もしかして……まだ根に持ってる……?
「とにかく! あなたはなぜか、以前の記憶を持ったまま、この世界に入ってしまった」
「そして、俺がここで目を覚ましたとき、周りから“作田明”と呼ばれるが、違和感を覚える……」
「あなたの本当の名前は源田光だからね! それにも関わらず、刷り込みにより、あなたは自分が作田なのだと“信じ込んで”しまった。作者の私が付けた、名前の設定の影響も大きかったのかもしれないけど」
「その影響を受けた俺は、そのまま作田として過ごし、ひょっとしたことから、自分が“小説を書いていた”ことを思い出す……」
「そこで、あなたは気づいた……この世界が、小説の中だということを」
「そのとき、俺に勘違いが生まれる! 『俺は作田明が主人公の小説の世界に入り込んでしまった』……と、そう思うようになっていたのか!!」




