第23話 “ストレス”
どうやったら、俺はこの世界から脱出できるのか。
その答えは未だに分からない。ヒントすら見つかっていない。
半ば、俺は諦めていた。『このままこの世界で暮らすのも悪くない』とまで考え始めていた。
しかし、その数日後……俺の考えを一変させる出来事が起こる。
・・・
中学校の授業は、五十分を一限とし、一日で六限まである。
四限目を終えると給食があり、長い休憩に入るのだが、そこまでは朝から連続で授業が入っている。そのため、四限目が一番堪えるのだ。
どうもあの疑惑が生まれてからというもの、あまり仕事に集中できていない自分がいた。
余計なことばかりを考え、常に頭をフル回転させてしまっている。
そんな日々が続いていたため、俺の体はいつも以上に疲れ、集中力は著しく低下していた。
色んな悪条件が重なった結果、魔の四時目に、些細なイベントは発生したのだ。
「先生ーー」
「ん? どうした、三嶋」
黒板にチョークで書き込んでいる最中、担任クラスの女生徒、三嶋から指摘が入る。
「さっき先生、七十二ページって言ってましたよね? 内容が全然違います」
「──あ、本当だ……すまない。書き直すから待っててくれ」
やはり考えすぎが原因か。仕事にまで影響が出て来てしまっている。
この世界に来てから、一ヶ月は過ぎた。
初めは俺の意志とは別に、勝手に手が進んだものだ。操り人形の如く。
しかし、今はもう作田の体というより、“俺の”体である。違和感は微塵もない。俺の不注意があれば、ミスだって起こり得る。
俺は黒板消しで間違った箇所を消し始めた。
てっきり三嶋との会話は終わったものだと思っていたが、まだ終わってはいなかったらしく、三嶋は再び俺に話しかけていた。
「どうしたんですか? 珍しいですね」
「あ、あぁ……先生、疲れてるのかな」
なんだ……? もっと三嶋はおとなしい生徒だったはず。俺のミスではあるが、こんな食って掛かってくる性格だったか?
「もしかして先生……相澤先生のこと考えてたんですか?」
「──!!」
思わず俺は手を止め、振り返った。
「何でそうなるんだ。俺と相澤先生は、何の関係もないだろう」
俺は三嶋に目をやるが、ニヤニヤと楽しそうに俺の反応を見ている。
三嶋だけではない。別の生徒の何人もが、似たような嫌らしい目付きで、こちらを見ているのだ。
「隣のクラスの友子が言ってました! この前の土曜、作田先生と相澤先生が映画館にいるの見たって! 結構噂になってますよ!」
そういうことか……どおりで三嶋が嬉しそうに話してたわけだ。
三嶋の発言により、噂を知らなかったであろう生徒達が騒ぎ始める。教室内はざわつき出した。
「えっ、相澤先生と!? マジーー!?」
「それって職場恋愛ってやつ?」
「もしかして不倫!? やばくない!?」
「ばーか。どっちも独身だろ」
こいつら……よっぽど人の恋バナが好きなんだな。
「おーい! うるさいぞ! 今は授業中だ、静かにしろ!」
「ずるっ、先生逃げたよ」
教師同士の恋愛は、あまりにも生徒達の注目を集めたのか、中々騒ぎは収まらない。
「静かにしろと言ってるだろ! とにかく! 噂だろうが何だろうが、俺のことを言うのは構わない。ただ、相澤先生のことは止めろ。相澤先生にも、プライベートってものがあるんだからな!」
「それって……認めたってこと? 先生!」
「相澤先生を守ったんだ! 先生かっこいいーー!」
だめだ、こいつら。持ち合わせた精神がワイドショー並だ。
何言っても難癖つけて、騒ぎ立てそうだ……
・・・
四限は大変な目にあった。まるで記者会見でも開いていた気分だ。
生徒達から激しい質問攻めに合い、授業が長時間ストップした。
ただでさえ疲れているのに、かなり体力を消耗してしまった。
しかし……今は自分の体の心配をしている場合ではない……もはや、それどころではなかったのだ。
その理由は、この件によって、俺が抱えていた“疑惑”が、余計に増していたからだ。
なぜだ……なぜ俺は、先程のクラス中が俺と相澤さんの話題になることを、事前にストーリーとして見ることができていなかった?
これはメインストリートではないのか? イベントの一種ではないのか?
相澤さんと俺が関係する今までのエピソードは、必ずと言っていいほど、イベントとして扱われてきた。
日常生活の合間に、突然俺の脳内にイメージが侵入する……この出来事が、今回はなかったのである。
相澤さんが直接、現場にいないからか? だから、今回のはスルーされたのか? それとも……
「──作田先生! どこ行くんですか?」
「えっ……どこ行くって……」
俺は目的もなく、ふらふらと教室前の廊下を考えながら歩いていた。特にどこかへ行こうとしてたわけではない。
そんな俺が廊下をさ迷う姿を、担当クラスの男子生徒は不思議に思い、呼び止めたのだろう。
「これから給食ですよ。教室で食べないんです?」
「あぁ、そうか……給食の時間か。先生今、考え事をしてるから、先に食べててくれ」
「はい、分かりました。給食当番に伝えときます」
俺の言伝てを伝えようと、男子生徒は教室へと戻ろうとするが……生徒の動きは突然、石のように固まった。
「──こいつは……時間が巻き戻るのか!」
少しでも国語教師・作田の言動や行動の枠から出れば、時間は簡単に戻ってしまう。
俺はこの現象にも、非常にストレスが溜まっていた。
考え事のひとつも、まともにできやしない。人間生きていれば誰しも、考えることや迷うこともあるはずだ。
それすら許されない。支配されている気分だった。
数秒前に聞いたセリフを、男子生徒は繰り返す。
「──作田先生! どこ行くんですか?」
「あ、あぁ、そろそろ給食だったな。今すぐ教室に戻るよ」
だめだ、こんなところでは考えている暇がない……家に帰るまでは、業務をきっちりこなそう。
・・・
何とか一日の業務を終え、帰宅する。何だかいつも以上に疲れが溜まる日だった。
家で一人で過ごすときこそが、俺の唯一の癒しの時間となっていた。
この世界に住むキャラクター達の、限られた自由時間といったところか。
恐らく今はストーリー外の出来事で、よほどのことさえしなければ、ある程度の自由は得られる。
ここしかない……この一人の時間こそ、よく考えることができるチャンスなんだ。
限られた場所、時間の中で、俺はひとつひとつ問題を整理していく。
その作業を日々、地道にこなしていく。
この世界のことを誰かに話すことはできない……全部自分の手で、どうにかするしか、一人で解決するしか手段はないんだ。
余計なことをすれば、どうせまた時は戻されてしまう。正規ルートを進まなきゃ、俺は前には進めない。
ストレスを抱えながらも、俺は毎日、作田として生きていくしかなかった。




