第17話 “誘導”
かつて、この1Kのボロアパートに人が来たことがあったのだろうか?
男の上原ならまだしも、女性がこの家に足を踏み入れたことなどは一度もないだろう。いや、あるはずがない。そう断言できる。
相澤先生が明日ここに来る!?
まずい、散らかったままだ! 今すぐ部屋を片付けなきゃ!
それにしても、本当に来るのか先生は? 色々と早すぎない?
実はこの小説って、18禁!? 子供には見せれないやつ!?
この日は、部屋の掃除だけでなく、俺の妄想も大いに捗った夜だった。
・・・
翌日、夜七時。駅前で俺は相澤先生を待っていた。
映画館の場所は、俺の家と相澤先生の家の、ちょうど中間辺りにある。最寄り駅の三つ先の駅で、映画館自体は駅からも近い。
これなら先生も俺の家に来やすく……じゃなかった! 先生も自分の家に帰りやすいはずだ。
どうも昨夜見たストーリーが、頭から離れない。
やっぱり初デートで家に来るなんておかしいって……ここは紳士的にいこう。
それに、まずは映画館デートを楽しまなきゃ! そこがうまくいかなければ、きっとその先だってないはずだ。
自分に言い聞かせてるうちに、相澤先生は待ち合わせ場所へとやって来ていた。
「あ、作田先生! お待たせしました」
「お疲れさまです。俺も今さっき来たところなので大丈夫ですよ」
先生の私服を見るのは二回目だ。今日は膝丈ほどのスカートを履いている。
「さ、映画館に向かいましょうか」
「は、はい!」
近くに来て分かったが、先生は香水をつけているようだ。ほんのり香る程度で、匂いもそこまで気にならない。
先生が香水をつけるのも珍しいし、普段履かないと思われるスカートを着てきたり、一応勝負服とやらを着てきているものだと考えていいだろう。
「なんか外で“先生”って呼ぶのも変ですよね」
「そうですか? いつも呼んでるから気になりませんでした」
「今日くらいやめません?」
「そ、そうですか……じゃあ相澤さん?」
「はい、私は作田さんで!」
作田さんも悪くないけど……いっそのこと下の名前で……あぁ、だめだ! 調子に乗るな俺!
「えっ? 何か言いましたか? 作田さん」
「いえ、なんでもないです!」
危ねっ……心の声が漏れ出るところだった……
えっと……なんか話さなきゃ……そうだ!
「あの、観る映画のことなんですけど──」
相澤先生……いや、相澤さんは俺の話を遮り、珍しく声を張り上げた。
「あーーっ! ちょっと待ってください!」
「えっ? なんでです?」
「行ってからのお楽しみにしてたんですよ! ここでは言わないでください」
「あ、そうだったんですか。だから何の映画を観るのか聞いてこなかったんですね」
「そうです! 台無しにしないでくださいよ」
へぇー意外とお茶目なとこあるんだな。
危うく相澤さんの楽しみを、ブチ壊すとこだった!
「その代わり、何の映画でも文句言わないでくださいよ?」
「はい……たぶん」
「いや、たぶんって!」
この前の焼肉屋の時に、上原の粋な計らいで二人きりで話しといたよかった。
今のところ、割りとスムーズに会話できている。
本当に上原には感謝だ。まさしくあいつは、恋愛マスターだったのかもしれない。
・・・
楽しい時間というのは、あっという間なもので、談笑してるうちに、映画館へと着いた。
「よかったー。意外と空いてそうですね、映画館」
「夜ですし、映画を観るには遅い時間帯ですからね」
チケットの予約をしてきたわけではないため、正直ラッキーだった。
万が一、大混雑していたら、映画は観れずに終わっていた可能性もある。
「じゃあ俺、チケット買ってきますね!」
「はい、楽しみに待ってます!」
チケット売り場には、二、三組ほど人が並んでいた。
最後尾に並び、俺は映画のラインナップを眺めた。
俺らが観たいのは、例の恋愛モノ……あった! 四番スクリーンか。
確認してる間に、俺の順番が回ってくる。
映画館の女性スタッフが、ガラス張りの向こうから声をかけた。
「いらっしゃいませ。どちらの映画をご希望ですか?」
「えっと~……四番スクリーンの──」
何も考える必要はない。初めてのおつかいじゃないんだから。
「──大人二枚で」
分かりやすく説明するよう、俺は右手でピースサインを作った。きっとこれでオペレーターにも伝わったはずだ。
「かしこまりました。二番スクリーン、ダイソフトを二名様ですね」
「はっ?」
俺、二番スクリーンって言ってた? あんま集中してなかったから?
しかも、何だっけ“ダイソフト”って……どこかで聞いた気が……
俺は映画一覧表の方に目を向けた。
二番スクリーン、ダイソフトとは……映画レビューサイトで低評価を叩き出していた、アクション映画である。
あのクソ映画か!! 買いたかったのはこのチケットじゃねぇぞ!!
似た名前の名作なら知ってるが、名前からしてパクってるじゃねぇか!!
「すみません、何かの手違いでチケット変わっちゃったみたいなんですけど……」
慌てて俺がオペレーターに話しかけると、突然、辺りが静まり返った。
館内に流れている放送、離れた位置から聞こえていた映画の宣伝、それらの“音”が一瞬にして消えたのだ。
「──!! これって……」
もうすでに何度もこの光景は見ている。目の前に映る、あらゆるものの“色”が失われ始める。
「時間が戻る……!!」
そう気づいた次の瞬間、チケット売り場にいたはずの俺がいた場所は、映画館の入り口だった。
隣には、相澤さんが立っている。
「あの、作田さん、どうしたんですか?」
「えっ?」
「チケット買いに行くって言ってから、ずっとここで棒立ちしてますけど……」
「あっ! いやぁ! 最後の最後まで、どれを観ようか迷っちゃって!」
「へぇ~作田さん、まだ決めかねてるんですか! これは楽しみですね!」
「えぇ、楽しみにしててください!」
俺、ちゃんとチケット買ってたよな? スタッフの手違いか……?
俺はもう一度チケット売り場の最後尾に並ぼうとするが、嫌な予感がする……何か別の策はないかと、一旦辺りを見渡した。
すると、オペレーターは介さず、自動販売機からでもチケットが買えることに気が付く。
この手があったか! これなら間違えることもないはずだ!
今度はしっかりと集中して、チケット購入に挑むことにした。
何度もボタンを確認しながら、販売機の画面をタッチしていく。その間、指差し確認も怠らない。
四番スクリーンの恋愛映画、大人二枚分、チケット購入……と。
よし、今度こそ確実だ! 相澤さんのもとへと戻ろう。
「お待たせしました! 相澤さん! どうです、この映画!」
「あ、これにしたんですね! 私も気になってたんですよ! ほら、見てください、あのポスター」
相澤さんが指差す方には、現在上映中の映画の宣伝ポスターが飾られている。
相澤さんは、一枚のポスターに書かれた、キャッチコピーを読み始めた。
「“死ぬのは簡単だ!”──ですって! 何だか面白そう!」
「えっ……」
どうやら相澤さんは、俺が見ていたポスターとは別のポスターを見ていたようだ。
相澤さんが先程読み上げたのは……“ダイソフト”の宣伝文句である。
ダイソフト!! なんで!?
しかも、なんだそのキャッチコピーは! 主人公が簡単に死んじゃだめだろ!!
俺は販売機から発券された、映画のチケットをよく見てみた。
確かに、そこには二番スクリーン、ダイソフトと書かれている。
そんなバカな! 絶対俺は四番のやつを選んだのに!
「相澤さん、俺が見たかったものは、これじゃないです!」
そう言って、俺は手にするチケットを粉々に破った。
すると、またしても辺りは静まり返り、目の前の色が変化していく。
やっぱり偶然なんかじゃない!? 別の作品を選ぼうとしても、強制的にクソ映画に誘導されてしまう!?




