第13話 “進歩”
相澤先生の好きなタイプや、新たな一面を発見するなど、この食事会はとても有意義なものとなった。
しかし、俺の緊張は一向に解けることはなく、酒の利尿効果も相まってか、頻繁にトイレに行っていた。
俺が本日四度目となるトイレで用を済ませ、洗面所で手を洗っていると、突然、背後から何者かに声をかけられる。
「おい! 明! おまえトイレ何度目だよ」
「──達也か! しょうがねぇだろ、緊張してんだから」
上原は用を足しながら、背中越しに俺に話しかけていた。
「まだ緊張してんの? でも、だいぶ先生と話せるようになってんじゃん」
「まぁ……最初よりは。酒の力も借りてるけど」
「おまえって、ほんとウブだよな」
「わ、悪かったな」
意地悪だな。上原だって知ってるはずだ。
今まで俺に──彼女が一度もできたことがないのを。
「話すだけで緊張って、中学生じゃねぇんだからよ。むしろ、それ以下か。うちの生徒達より進んでないぜ」
「うるせーよ」
「けど、相澤先生にはいいのかもな。誠実な人がいいって言ってたし」
「いや、誠実ってそういう意味じゃねぇだろ」
「どうやら俺はだめそうだし……あとは任せた。俺の分も頼んだぜ」
「俺の分って……もしかして、おまえも相澤先生を狙ってたのか?」
「まぁな。明には黙ってたけどよ」
「やっぱ先生って可愛いもんな。そりゃモテるよな……」
「いいや、俺は見た目ってよりは、先生の性格に惹かれるかな。持ってる雰囲気とか」
意外だな。上原はてっきり面食いかと思ってたから。
確かに先生は性格だっていいし、そっちで好きになる理由も共感できる。
用を足し終えた上原は、俺と目を合わさず、どこか別の方角を見つめていた。
「俺さ、実はタバコ吸うんだ。そこまでヘビーってわけじゃないけど」
「えっ、そうだったのか? 知らなかった」
「明もタバコ嫌いなの知ってたからな。おまえの前では吸わないようにしてた」
俺にそんな気使わなくてよかったのに……
でも、それが理由? さっき上原は『俺の分まで』って言っていた。
「だからって、それだけで諦めるなよ! ヘビースモーカーってわけじゃないなら、タバコ辞めれるだろ」
「いや、理由はそれだけじゃねぇ。俺は合コン行ったり、色んな人追いかけたりしてよ。相澤先生一筋ってわけでもなかった……その間、おまえは先生を一途に想い続けてた。だから、相手として俺はふさわしくないんだ」
「ふさわしいかどうかは……相澤先生が決めることだ」
「そうかもな。でも、おまえが先生とうまく行くなら、素直に応援できそうなんだ。だからあとは任せたってことだ! とにかく、俺はおまえに託したぜ!」
そう言って、上原は俺の両肩を叩き、話を続けた。
「ちょっと俺、外行って来るからよ。しばらく二人きりで頑張れ!」
「二人きり!? そんなの無理だ! それにどこ行くんだよ」
「今日は昼から“タバコ”、“タバコ”言い過ぎた。吸いたくて堪らないんだ。外で吸ってくる」
三人で居たときも緊張が取れなかったのに、二人きりなんてどうなっちまうんだ……
もちろん嬉しい気持ちもあるが、それよりも不安の気持ちの方が大きかった。
上原は俺に試練を与えるつもりなのか? 我が子を谷底に落とすような気持ちで。
「おい、待ってくれ! 俺にはまだ早い気がはする! 頼むから一緒にいてくれ!」
俺は上原に助けを求めるが、上原は無視してトイレの外に出ようとしている。
しかし、トイレの出口を目前にし、上原の足が止まった。
「あっ……わりぃ。明。ひとつ大事なこと忘れてた」
「大事なこと? まだなんかあるのかよ」
「それがよ……手洗う前に、おまえの肩普通に触ってたわ」
「き、汚ねぇ! てめぇふざけんな!!」
・・・
「随分と長かったですね」
「すみません……お待たせして」
上原とトイレの中で、ついつい長話してしまい、相澤先生をずっと一人にさせてしまっていた。
さぞ、先生は退屈してただろう。本当に失礼な話だ。
「あれっ? 上原先生はどちらに」
「あ、あぁ……なんか電話するっていって、外行きましたよ」
いくらなんでも、タバコを吸いに行ったとは言えないよな。
「そうですか」
「はい…………」
「…………」
しばしの間、沈黙の時間が流れた。
誰も手をつけずに残った、コーンの焼かれる音が聞こえる。
明るい上原がいないだけで、こうも違うものか。
だめだ、何か喋らなきゃ……せっかく二人きりのチャンスを上原が作ってくれたんだから。勇気を振り絞ろう!
「あの……」
「はい……?」
「相澤先生の、ご、ご趣味は?」
「趣味ですか。あまりこれといったものがないんですよね」
定番の質問だとしても、“ご”はいらなかったか。お見合いじゃないんだから。
「休みの日とか、何してるのかな……って」
「そうですね、映画観たりしてます」
「いいですね、映画。やっぱり恋愛モノとか?」
「はい、恋愛系も見ますけど、アクションとかも観たりしますよ」
「へぇ~意外ですね!」
「作田先生は、趣味あるんですか?」
「僕の……あっ!」
そういえば、さっきトイレで去り際に上原に言われてたっけ。
ーーー
『そうそう、あと相澤先生の前で“僕”とか呼ぶのやめろ。普段は“俺”だったろ』
『あぁ、それか。どうしても相澤先生の前だと、自然とそうなってしまって……』
『普段通りでいいんだよ。俺と話してるときは、普通の“男”なんだから。あんまナヨナヨすんな』
『それができたら苦労しねぇよ』
『緊張したらあれだ。先生をコーンだと思えばいい。そうすれば緊張もほぐれるだろ』
ーーー
よし、試してみよう! 相澤先生はコーン、焼肉のコーン……ん? コーン? いや、普通そこの例えはカボチャだろ。
焼肉屋に来たからって、コーンに引っ張られてんじゃねぇよ。
でも、くだらない上原のアドバイスのおかげで──肩の力が抜けたような気がした。
「俺の趣味は、小説を読むことですかね」
「さすがは国語教師って感じですね!」
「えぇ、昔から本を読むのが好きだったんです」
「へぇ~今度お薦め教えてください! 教師として、本を読むことって大事でしょうし」
「相澤先生は真面目だなー。いいですよ、今度お薦め持っていきます!」
他愛もない会話、どこにでもある会話が、小気味いいテンポで続いていく。
出身地を聞いたり、家族構成を聞いたり……やはり、どこかお見合い感は否めないが、俺にとっては大きな進歩だ。
その後、上原も戻ってきて、また三人で会食を楽しんだ。
約束通り、会計は割り勘にしたが、それでも料金の高さに驚いた。
もう二度と来ることはないだろうな。俺には薄っぺらい肉で十分だ。
相澤先生とご飯を食べれるなら、きっと何だっておいしく感じるはずなのだから。
・・・
──その日の夜。
自宅に戻り、ほろ酔い気分にながらも、俺は今日の出来事を振り返っていた。
相澤先生との楽しい食事会ができたことに満足して、『はい、終わり』とはいかない。
なぜなら、今日実際に起きたストーリーには、昨日見たイメージとは、いくつもの相違点があったからだ。
途中入った高崎との野球対決は、まったく俺のストーリーには存在しなかったし、タバコの犯人に至っては、人物すら変更されていた。
しかし、俺も自身のストーリーの一部を思い出しただけで、すべてを網羅していたわけではない。
理由はそのせいなのだろうか……?
「うーん……だからといって、犯人まで変わるか? ストーリーの結末が大きく変わりすぎだろ……」
俺は布団に入りながら、答えの出ない自問自答を、ひたすら繰り返していた。




