異世界居酒屋を開いたら、常連が全員攻略対象でした 〜恋愛相談、受け付けます〜
──気がついたら、そこは異世界だった。
いやいやいや。
ついさっきまで私は普通に会社で残業して、終電逃して、コンビニの唐揚げと発泡酒で一人反省会をしようとしていたはず。
なのに目を開けたら石畳、木骨の家、尖った屋根、そして「空き店舗募集」の札ってどういうこと。異世界なのに日本語。親切設計。
「……夢?」
夢にしては、胃袋が現実を訴えてくる。ぐう。
唐揚げ、まだ食べてなかったのに。
五人兄弟の長女として十数年、朝昼晩の飯を作ってきた私にとって、空腹は最大の敵だ。
まずは作って食べる。
そして売って、稼ぐ。これしかない。
美味しいご飯を食べたときの兄弟たちの顔が脳裏をよぎる。
あの顔を見るために、私は毎日キッチンに立っていた。
誰かの胃袋を満たして、「美味しい」と笑ってもらえるのは、何よりもご褒美だ。
──場所が変わっても、それはきっと同じ。
……まあ、深く考えると腹が鳴るので後回し。空腹はすべてに優先する。
よし、決めた。
勢いで契約して、私は異世界の居酒屋『あかね食堂』の女将になった。
初日は米と鳥、塩胡椒、味噌、あとは安い野菜だけ。誠意と火力でどうにかする。
兄弟の修学旅行費と部活遠征費を捻出してきた長女の家計術、舐めてもらっちゃ困る。
それから一週間。
看板を掲げたその日から、店はなぜか大繁盛した。
焼き鳥、唐揚げ、味噌汁、漬物。庶民価格で腹いっぱい。異世界人の舌に合ったらしい。
ただし繁盛と同時に、ひとつ困ったことが判明した。
──常連が全員、乙女ゲームの攻略対象である。
金髪碧眼の王子、黒髪紫眼の魔導師、筋肉鎧の騎士団長。
『つきこい』──乙女ゲーム『月恋の王都と三つの誓い』の攻略対象だ。
どうやら私は、異世界は異世界でも、乙女ゲームの世界に転移してしまったらしい。
それ自体はよくあることなのでいいとしよう。
問題は、なぜ彼らが毎日うちの店に来るのかということだ。
顔面偏差値の暴力がカウンターを埋める。
しかも三人とも、なぜか「女将、相談がある」と座り込むのだ。
あの、私は攻略本ではなく居酒屋の女将なんですが。
でも、相談を断れないのは五人兄弟の長女の宿命。妹の初恋相談も、弟の受験ストレスも、母の仕事の愚痴も、全部受け止めてきた。
……よし、今日もフライヤー温めて、胃袋と人生の両方を面倒見よう。
一 王子、舞踏会と薔薇の花束
「女将、時間はあるだろうか」
夕方の空が琥珀に変わるころ、カランと扉が鳴って王子が入ってきた。
庶民服に変装しているのに、姿勢と所作で身分がバレるタイプだ。
名はレオンハルト。王子。常連。イケメン。あとため息が上手い。
「レオン、いつもの?」
「今日は、相談が先だ。
……来週、城で舞踏会がある。彼女を招待するのだが、どうすれば楽しませられるだろう」
出た。舞踏会イベント。BGMが脳内で鳴り始める。
月光と薔薇が彩るバルコニーで、低音ボイスが全国の乙女ゲーマーたちの腰を砕く。私ももれなく腰を砕かれた。中の人が推しの声優だったのだから仕方ない。
そんな感想は顔に出さず、まな板で葱を刻みながら尋ねる。
「彼女は華やかな場が得意?」
「人混みは苦手だと言っていた。礼法は身に付けているが、注目を浴びるのは……少し緊張するらしい」
ヒロインの性格は“繊細”のようだ。ならば、見せ場の作り方は「派手」より「安心」。
私は出汁の湯気を嗅ぎ、言葉を選ぶ。
「だったら、最初の一曲は静かな場所で。大広間に入る前、控えの間で練習を一曲分。『人前に出る前に、二人で呼吸合わせよう』って。
……それだけで、緊張は半分になる」
「控えの間で一曲……なるほど」
「それと、贈る花は赤い薔薇一本でいいよ。束は重いし、もらう側が気後れする。一本を胸元につけて、『この色が君に似合う』って言えば十分」
彼は『薔薇王子』のあだ名がつくほど、やたらと薔薇の花束を送ってくる。
ゲーム中ではいいが、実世界では毎回花束を渡されても困るだけだ。
レオンの睫毛が一瞬だけ揺れた。
私の提案は、彼の想像より地味だったのだろう。
だが、自分の矜持よりも相手の負担を減らすことを選ぼうとしている──そんな優しい色が、碧の瞳に浮かんだ。
王子なのに、そういう顔をする。なかなかずるい。
こういうところが、ゲームの中より魅力的に見える。
「女将は……よく人の心を知っている」
「五人兄弟の長女だからね。入学式で緊張して固まった弟妹の手、何度握ったと思ってるの」
ついでに、と私は粥を少し味見して、砂糖をひとつまみ落とす。
甘みは安心の味。緊張した胃に、最初に落ちるのは優しいものがいい。
「本番前で緊張して、何も食べてないって顔してたら、蜂蜜入りの温かい柑橘水を。胃に優しいし、口の渇きも消える。緊張すると、口の中が乾くからね」
「柑橘水……城の厨房から持ってきてもらおう」
「頼むんじゃなくて、自分で持っていきな。『君のために用意した』って行動が、一番の贈り物だから」
王子は言葉を失い、そして照れ隠しのように笑った。
ふっと吐いた息が湯気に混じり、目の前のスープ皿を曇らせる。
「女将」
「なに」
「君の料理は、勇気の出る味がする」
……やめて。そういう台詞は薔薇より刺さる。
私は照れをごまかすように声を張る。
「はいレオン、今日の定食は鯖味噌と青菜のおひたし。あと練習用に、女性の手を取るレクチャー付き。女将の手は冷たいよ」
女の手なんて取り慣れているだろうけど。
私も、ちょっとご褒美をもらったっていいはずだ。
「望むところだ」
彼は手袋を外し、礼を尽くすみたいにそっと私の指先に触れた。
……温かい。反則の温度。
私の好感度が上がったけど、いいよね?
私は背景だし。
二 魔導師、魔力供給とハンドクリーム
夜の帳が降りるころ、常連の魔導師ゼフィルが静かに現れる。
黒髪に紫の瞳、長いローブ。感情が表に出ないのに、唐揚げを食べると耳がほんのり赤くなる。そういうところが全国の唐揚げファンを敵に回す可愛さである。
「……女将」
「はいはいゼフィル、今日は唐揚げにレモンと塩。あと相談でしょ」
「……魔力供給が必要だ。彼女の魔力が不安定だから、俺の術式で安定させたい。手を繋ぎ、脈拍と魔力脈を同期させる。だが、彼女はそれをどう感じるだろう」
来ました魔力供給イベント。このイベントでは息が触れる距離で、「目を閉じて」「怖くない」的な台詞が出る。唐揚げと同じくらい美味しい。
私は唐揚げを油から上げながら、空いている手で一本、二本と指を立てて見せる。
「まず確認。『嫌なら言って』と最初に言う。次に、手の冷たさに驚くかもしれないから、温める道具。……はい、湯呑み」
「……湯呑み」
「熱湯を入れて、こうして手を温めてから触れば、驚かせずに済む。あんたは冷え性なんだから、前もって準備してあげるのが配慮だよ」
ゼフィルは真剣に頷き、私の所作を目でなぞる。
私は棚から小瓶を出した。銘は「蜜柑と蜂蜜の手霜」。要は手作りハンドクリーム。
「最後にこれ。魔導師の手って、いろんな素材に触れるから、乾燥してざらつきやすいでしょ。触れられたときに『冷たい』『ざらざら』ってなったら、それだけで緊張する子もいるんだよ」
「……女将は、魔導師よりずっと魔力供給に詳しい」
「違うよ。五人兄弟の長女は、人と手を繋ぐ回数が多いだけ。夜中に熱を出した弟の手とか、試験の前に震えた妹の手とか。
……人は手を握ってもらうと、落ち着くんだよ」
ゼフィルは一瞬だけ目を伏せ、私の指先を見た。
静かな瞳。火の揺らぎが映る。
「……女将。俺に、それを」
「何? 塗ってほしいの?」
「……ああ」
あっさり差し出された手。
私は思わず吹き出しそうになりながら、その手を取って、指の間まで丁寧に馴染ませていった。
骨ばっているのに、思ったよりも柔らかい。
無表情のゼフィルの指が、ほんの一瞬だけ僅かに震えた気がした。
蜜柑の香りが、湯気と混じる。静かだ。心臓の音が、静かじゃない。
「べたつかない手作りクリーム。蜜柑の香りで、嫌いじゃないと思う」
「……いい匂いだ」
「でしょ。あと、彼女が嫌がったら即中止。魔力供給よりも、彼女の気持ちが優先」
ゼフィルの喉が、わずかに上下した。
普段は感情の色が薄い彼の目に、溶けた琥珀みたいな色が差した気がした。
「女将」
「ん」
「……女将。助言に、礼を言う。この店は、安心する匂いがする」
やめて。唐揚げの横でそんな甘さを出すのは反則。
私は慌てて声量を上げる。
「はい、ゼフィル。唐揚げ追加ね! レモンはかけとく?」
「……女将が良いと思うほうで」
それ、危険な丸投げですけど? 私の味覚であんたを染めちゃうよ?
三 騎士団長、血とパフェと決め台詞
深夜近く、鎧の擦れる音がして、騎士団長ガルドが肩に外套をかけてやって来た。頬にかすり傷、腕にも包帯。
私は口を尖らせる。
「ガルド、うちで流血禁止。床に血が滴ったら掃除が大変」
「悪い! でも女将、ちょっと聞いてくれ。明日、あの子の護衛につく。多分、狙われる。そこで決め台詞を言いてぇんだ。どれがいい?」
騎士の「庇って流血」イベント。王道。スチルあり。みんな好き。
私は濡れ布巾で彼の頬の血を拭いながら考える。
「まず、血が出ないのが一番。庇う位置は彼女の斜め前、左。君は右利きだから。盾はこっち。……言葉は短く、具体的に。
『俺から離れるな』。これだけで十分。長台詞は、命の現場では邪魔」
「離れるな、いいなそれ! シンプルで熱い!」
「あと、終わってからの台詞が肝。命の危険の直後、人は言葉が入らない。だから、温度のある言葉を一個だけ。
『無事で良かった』。それだけでいい」
ガルドの目が一瞬丸くなり、すぐに細く優しくなる。
大きな犬が、撫でられて目を細める時みたいに。
「女将は……やさしいなぁ」
「五人兄弟の長女だからね。鼻血を出した弟の鼻をつまんで、膝を擦りむいて泣く妹の背中をさすって、晩飯を温め直すのが仕事だった」
私は鍋からシチューをよそい、パンを添える。
彼は一口食べて、笑った。
「……うめぇ。体に染みる。女将、俺、明日も生きて帰ってくる。で、今日はパフェも食っていいか?」
「騎士団のイメージを気にしてたじゃないの」
「女将しか見てねぇから秘密だ!」
「じゃあ特大パフェは特別料金。宣伝したら割引してあげる」
ガルドは豪快に笑い、でも子どもみたいにスプーンで丁寧にクリームを掬う。
こういうギャップで女子の心を攫うの、反則です。教育に悪い。主に私の心の教育に。
「……女将」
「なに」
「この店は……俺にとっての、帰る場所だからな」
「やめろー! そういうセリフは彼女に言えー!」
「ははっ! 明日、生きて帰ったら、また相談に来る」
相談がなくても来るのだろう。あなたはそういう男だ。
私は笑って、ほどけかけた包帯の端をもう一度きゅっと結んであげた。
四 夜の常連たちと、女将のため息
深夜。客足が引いて、椅子を上げ、床を拭く。
今日も三人はそれぞれの相談を持ち寄り、そして皿を空にした。
私は空になった皿を水をつけながら、ため息をこぼす。
──彼らは、私の言葉を参考にして動く。
王子は控えの間で一曲練習し、一本の薔薇を胸に。
魔導師は湯呑みで手を温め、柑橘の匂いで手を潤し。
騎士は短い言葉で彼女を守り、戦いのあと「無事で良かった」と微笑む。
想像するだけで、胸が温かくなる。
けれど同時に、胸の奥で「おい」と誰かが突っ込む。
私は背景だ。彼らの物語の。ヒロインの傍らで、そっとお膳立てする影の手。
なのに、なんで三人とも最後に必ず言うのだ。
「女将と話すと、落ち着く」
「女将の言葉が、一番正しい」
「女将、また来る」
……攻略対象が、相談にかこつけて「女将ルート」を開きに来るのはやめてください。バグです。パッチ当てて。ぐらぐら傾いちゃうから。
米を研ぎ、味噌樽の表面を撫でる。
味噌は呼吸して、香りを育てる。必要なのは、急がないこと、そして同じ場所に帰ってくること。
五人兄弟の台所で学んだ真実は、異世界でも変わらなかった。
五 イベントのあと、湯気のむこうで
翌日。扉の鈴がほぼ同時に鳴る。
三人、そろって来たな? なんの打ち合わせ? LINEで連絡でも取り合ってるの?
最初に口を開いたのはレオンだ。
「女将。控えの間で一曲練習したおかげで、成功した。彼女が笑って、『安心しました』と言ってくれた。薔薇も一本にして良かった。……ありがとう」
次はゼフィル。
「……言われた通りにしたら、彼女が笑った。女将の言葉は、本当だった」
最後にガルド。
「無事で良かった。……それ言ったら、泣かれた。俺も泣きそうになった。やべぇな、女将。俺、もっと強くなりてぇ」
三人三様。三つのイベントは、それぞれのやり方で進み、ちゃんとヒロインのほうを向いていた。
私は胸を撫で下ろす。よしよし、この世界のシナリオ、まだ大丈夫。「女将ルート」が暴走して主線を喰ってはいない。
だけど。だけど、である。
「それで、女将。報酬は、何がいい?」
「女将に礼を。金でも物でも、できることを」
「なんでも言ってくれ。今度は俺たちが女将に恩返しする番だ」
ちょっと待って。集合知で甘やかそうとするな。こっちは女将だ。飯を作るのが報酬で、湯気が上がるのが勲章。
私は慌てて両手を振る。
「報酬はいらない。……代わりに、三人ともちゃんと食べて、ちゃんと寝る。舞踏会明けは疲れるし、魔力供給は体力を使う。護衛明けは筋肉痛が地獄。
ほら、鶏の出汁で炊いた粥に、塩と生姜。胃に優しい」
三人は顔を見合わせ、まるで謀議のように同時に頷いた。
そしてレオンが言う。
「女将。……君を楽しませる舞踏会を、私に考えさせてくれ」
ゼフィルが続ける。
「……君の手を、今度は俺が温めよう」
ガルドが締める。
「今日は流血してねぇし、堂々と言う。女将、俺はお前も守りてぇ!」
やめろおおおおお!! ヒロインは別にいる! イベントの帰りに女将を攻略しようとするのは新手のサイドクエストか!?
私は反射的に、女将の奥の手を繰り出した。
「ラストオーダーです!!」
三人が同時に瞬きをした。
まだ夕方だが閉店の鐘を鳴らす。唐揚げを油から上げ、火を落とし、暖簾を裏返す。
「今日は早じまい! 女将は片付け! あんたたちは帰宅!!」
レオンは苦笑して肩をすくめ、ゼフィルは湯呑みをそっと置き、ガルドはパフェの最後の一口を名残惜しそうに舐めた。
「……明日は?」
ゼフィルが静かに尋ねる。紫の瞳が、湯気越しに揺れる。
私は息を吸い、心臓のうるささをなだめ、笑った。
「もちろん開けるよ。ここは居酒屋『あかね食堂』。みんなが帰ってくる場所だから」
三人の表情が一斉に綻ぶ。
王子は春風みたいに微笑み、魔導師は目尻をほんの少し下げ、騎士団長は嬉しさを隠さず親指を立てる。
扉の鈴が三回鳴って、静けさが戻る。
私はひとり、食器を洗いながら天井を見上げた。
「……はぁ。毎日がお祭りだわ」
でも、流しの水音に紛れて、少し笑ってしまう。
普通じゃない客が、普通じゃない数だけやってきて、普通じゃない悩みを置いていく。
湯気はゆっくり昇り、味噌樽は息をし、明日の米は今夜の水を吸う。
女将の仕事は、待つことだ。
帰ってくる人たちの分の器を、明日も用意しておくことだ。
たとえ攻略対象たちが、時々、シナリオを外れて女将を攻略しようとしてきても。
「……だめ。私はモブ。背景。居酒屋の女将。台所の神」
──でも。
明日の唐揚げは、ちょっとだけ多めに揚げようかな。
誰のためかは、内緒。
居酒屋の夜は、今日も甘くて騒がしい。
──おしまい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「頼れるお姉ちゃん」ポジションの主人公を書きたくて、
このお話が生まれました。
攻略本扱いされがちですが、本人は人に頼られることに慣れているので、
あまり苦ではないようです。
むしろ、ちゃっかり美味しい思いもしていて、
毎日楽しそうなのが何よりでした。笑
最近、長編小説
『完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない』
を完結させました。
もしご興味がありましたら、欄外のリンクからご覧いただけると嬉しいです。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




