第08話 『千年後の世界』④
「っが――」
当然その間合い内にいたスフィアは避けようもなくその剣閃を悉くくらい、苦悶の声をあげて吹っ飛ばされている。
意識を失うまではいかぬまでも、流石にこれ以上の継戦は完全に不可能だろう。
手加減された木剣でとはいえ太刀による『技』をくらっているのだ、打撲や裂傷程度では済まず、何ヶ所かは骨折や内臓にまでダメージが及んでいるのはまず間違いない。
人間の弱点部位である頭を狙って放っていたら、死んでいても不思議ではないだろう。
慎重に弱点部位を避けて当ててはいても、普通であれば全治数カ月といった程度の大怪我である。
いくら高レベルの鍛錬を求めているとはいえ、普通これはやり過ぎである。
もしも冒険者ギルドや王立学院の模擬戦でこんなことをやらかした日には、やりすぎた俺本人はもちろんのこと、こうなるまで止めなかった審判役もお叱りを受けることは避けられないだろう。
俺とスフィアが2人のこの鍛錬を、大好きな両親にさえ秘密にしている理由がこれである。大好きだからこそ隠すしかないともいう。
「あいかわ、ら、ず……容赦、ありません、ね……クナド、兄さ、ま」
「手を抜いたら怒られるからなあ」
「ふふ、ふ」
この状況で本気で嬉しそうなところが、うちの妹君の怖いところである。
血反吐を吐いて地に這い蹲ってなお美しいというのも、大概凄いとは思うが。
だが実際俺は手を抜いている。
しかも相当にだ。
そのことはなんとなくスフィアも感付いているだろう。
それは弱点部位を意識して外しているというだけに留まらない。
本来――すなわち魔獣が相手なのであれば、『瞬閃』で吹き飛ばした後、自身の大技で生じた硬直を継戦納刀で即座に消し、そのまま被弾硬直している魔獣へ次の連撃を繋げる。
魔獣が被弾硬直に止まらず怯みやダウン、気絶に至っていた場合には発動に大きな隙を伴うからこその刀威レベルを消費する高ダメージ技、『飛翔一閃』か『落花瞬連斬』をその隙に叩き込む。
まあそんな技を、いかな聖女候補だとはいえ13歳の女の子に叩き込んだ日には、たとえそれが木剣による弱点部位以外へのものだったとしても死は免れ得ない。
いくら「本気で!」と強く望まれたとて、そこまでは出来るはずがないのだ。
逆に言えば今やった程度であれば、高レベルな鍛錬として俺もスフィアも許容できているということでもある。
だがいくら秘密に鍛錬を行ったとしても、そのたびに全治数カ月の大怪我を負っていては隠しきれるはずもないし、そもそも効率が悪すぎて鍛錬にならない。
なによりも重ねられた大怪我が本来の身体能力を損ない、聖女候補どころではなくなってしまうだろう。
普通であればどれだけ頼み込まれたとしても、俺だって断る。
やるにしてももっと手加減して、怪我をしないように細心の注意を払うだろう。
「うー……悔しいです」
「あそこで釣られる癖を治さない限り、これ以上はやっても同じだね」
「意識してはいるのですけれど……」
いつもと同じやられ方をしたのがスフィアは悔しいらしい。
勝てないまでもなんとかもう少し先まで到達したいと思っているのだ。
すでにこんな普通の会話ができるようになっているのは、スフィアの全身を光を伴った碧色の粘液が包み込み、それによってあらゆる傷がゆっくりと――人間本来の治癒能力と比べればとんでもない速度で――癒されて行っているからだ。
それこそが俺とスフィアのドギツイ鍛錬を成立させている能力であり、爆炎攻撃などとは比較にならない域でスフィアを聖女候補――というよりももはや聖女認定を確実とさせているその理由である。
癒しの奇跡というものに対して、人はどうしても聖性を見出さずにはいられないらしい。
というかスフィアのこの力はわりと洒落にならないくらい強力なものであり、極論生きてさえいればどんな状態でも十全な状態に癒してしまえる。
骨折や内臓障害もものともせず、それどこか欠損や重篤な病であってもその「癒し」の対象となるのだ。
ちなみにそこまでの性能であることを知っているのは俺だけであり、スフィアの意志で加減できるので聖教会はまだ「結構重めの怪我も治せる」程度の認識でしかない。
だからこそまだ聖女候補などと言ってのほほんとしていられるのであり、バレた日には聖教会が聖女の称号でもなんでも与えた上で、本気で身柄の確保に動くだろう。
いや聖教会だけの好きにはさせるとも思えず、王家やことによっては他国も絡んでの大騒動になることも想像に難くない。
この無茶な訓練に俺が付き合っているのも、近い未来に必ず起こるであろうその騒動も見据えて、スフィア自身が強くなる必要を強く感じているからだ。
当然兄として俺も守るつもりだが、本人も強いに越したことはない。
――というかやっぱりスフィアの正体って、おともだよなあ……
スフィアが聖女の能力に目覚めた日から今日まで、すでにもう何度思ったか数えきれないそれと同じ思いを、今もまた思わざるを得ない。
爆炎と癒し。
それだけではなくスフィアは味方強化と敵弱体、加えて敵の行動を阻害する各種の魔法――罠魔法とでもいうべきものを発動することも可能なのだ。それどころか敵対者の装備のみならず、身の一部を削いで奪う魔法すら行使できる。
癒しと強化は確かにそれっぽいとも言えようが、それ以外の能力はどれもみな聖女のイメージには程遠いものだろう。誰も口にはけして出さないが、聖教会のお偉方のみならず、スフィアの能力を知る立場にいる者であれば例外なくそう思っていることは間違いない。
すべての能力においても癒しと同じく、その真の力を晒すことはしていないにしてもだ。
つまりはおともの能力なのだ、スフィアの身に宿っている力はすべて。
おとも。
それはプレイヤー・キャラクターと常に行動を共にするサポートN.P.Cであり、その見た目はゲーム時代は複数の小動物形態から選ぶことが可能だった。
ちなみにデフォルトは猫である。
人語を理解し、プレイヤー・キャラクターを御主人様と呼んでとても懐き、単独プレイの際にはラスボス戦まで平然とついてくる真の相棒とでもいうべき存在である。
なぜか各種小動物の鳴き声に字幕が振られるという謎のスタイルではあったのだが。
俺はゲーム当時その相棒に「タマ」と名付け、とても頼りにしていたものである。
で妹君の名前がスフィアですよ。
それで宿した能力がこれで、俺に酷く懐いているとくれば、これはもう俺の転生についてきたおともだとしか思えない。
正確には中の人でしかない俺にではなく、千年前ともに戦った真の主人である『岐』の身体についてきたというべきか。
ゲームの時には選択式で一種類の能力しか行使できなかったはずが、どうして本人の意志で同時に使い分けられるようになっているかは謎である。
これは相当な強化で、ゲーム時には実装されてなどいなかった。
おかげで魔物と戦える能力を持った人間が少数とはいえ存在し、千年前には存在していなかった「魔法」さえ存在している世界においてもスフィアの力は相当に強力な部類に入る。
それこそ聖教会が「聖女」の称号を与えて、その力を管理下に置こうとするほどなのだ。
だが今後俺が王立学院に入学、卒業して冒険者となるのであれば、スフィアはその本能に従って俺に同行したがるだろう。今でもそんなことばっかり口にしているし。
その際自分が聖女に認定されていようが、そんなことはお構いなしだというのも想像に難くない。
「もうクナドお兄様に稽古をつけてもらえる日々も、残り少ないですのに」
俺にはもうすぐ王立学院の入学試験があり、それに合格すれば3年間は寮生活になることを言っているのだ。王立学院への入学を望んでいることを明かした際には、あれこれ理由を付けて反対されたこともまだ記憶に新しい。
だがそう言ってしょんぼりしているスフィアは可愛らしい。
思わずゲーム時代のおともの姿が重なり、ゲームでも可能だったように頭をぐりぐり撫でてしまう。
年頃の女の子としては嫌がって当然のそれを目を細めて嬉しそうにしているあたり、スフィアは本当にタマの魂を宿しているように感じてしまうのだ。
であれば今では血を分けた兄としても、かつての御主人様としても、可愛いスフィアのことは全力で護ってやらなければならないだろう。
そのために必要だというのであれば、俺は自分の力を隠すつもりはない。
「確かに3年は長いけど、ちょくちょく実家には帰ってくるようにするよ。それに俺が卒業すると同時にスフィアは聖女様になるんだろ? 王立学院では頑張っていい成績を納めて優等生でいるから、聖女様の御指名で卒業と同時に俺を守護騎士にしてくれよ」
「や、約束ですからね!?」
これももう何度目かもわからない、文字通りのお約束を口にするとスフィアの美しい顔が、まるで花が咲いたような笑顔に彩られる。
「兄に二言はないよ」
「うれしいです!」
そう言って背中に飛びついてくるその様子は、まさに依頼や任務をクリアした時のおともそのもので思わず笑ってしまう。
あまりにも仲が良すぎて父上は少し心配しているようだが、母上は呑気なものである。
俺としてはおともとしては生涯相棒でありたいとは思うものの、今生では兄と妹、しかも見目麗しく聖女候補でもある魅力ある女性として生まれてきているのだ。
あまりにも俺に懐きすぎて、いい人との出逢いを逃すことが無いようにわりと真剣に心配してもいる。
まあでもあれだ。
魔獣なき今のこの世界でも、プレイヤーとおともで武器背負って狩りに出るのは楽しいものだろう。
それが聖女様とその守護騎士としてのものであっても、その本質は大きく変わるまい。
教会とて迷宮や魔物支配領域で魔物を狩って持ち帰ることは莫大な利益を産むだけではなく、人界の守護者としての面目も保てるので文句も出難いはずだ。
だがうっかり聖女様をおとも扱いして、周囲にどんびかれることにだけは注意しなければなるまい。
まず間違いなくそれで嬉しそうにするであろう、見目麗しい妹君が一番厄介なのだが。




