第38話 『王女殿下の矜持』⑤
しかしもしも視認制限が無ければ、いきなり「壁の中にいる」をやられる可能性もある力なのだ、個人に与えられるには過ぎた力だとしか言えない。
戦闘中にいきなり地面の底に埋められて呼吸もできないままに死ぬとか怖すぎる。完全犯罪をし放題になるので、シャルロット王女殿下に透視能力が無くて本当に良かった。
この世界にそれを可能とする魔導具が存在しないとは断言できないところが怖い。
俺としては確実に味方にしておきたい。
となれば俺が今の王女殿下の力の使い方では絶対に殺せず、王女殿下としても俺を絶対に味方にしておきたいと思ってもらうことが手っ取り早いだろう。もともと先方は俺を取り込みたいと思ってくれているのだ、その力が紛い物ではないことをこれ以上ないくらいに証明してみせればいい。
さすがにそれをこの場の観客全てに晒すのはできれば避けたいので、俺は今の質問をしたのだ。王女殿下は当然、突然何を言い出すんだこの男はという表情を隠しきれなくなっていらっしゃるが。
「シャルロット王女殿下は俺の実力を測りたいんですよね? でしたらそれと同時に俺を上限値ですっ飛ばしてくれませんか?」
「…………え?」
あ、よかった。
最初のはあくまでも死なないことを前提として行使されていたっぽい。
あと何気に初めてシャルロット王女殿下に素を晒させることに成功している。
つまり今俺の言ったことを実行すれば、さすがに殺してしまうと確信しているのだ。
特に明言はしなかったが、まさか横方向に100メートル移動させてくれという意味だとはとらえまい。
まあ普通はそうだ。
100メートルの高さから自由落下して生きていられる者などいはしない。
「死にゃしませんからご心配なく」
「し、知りませんからね!?」
重ねてお気楽にそう告げると初めて慌てた様子を見せた王女殿下は、それでも俺の依頼を遂行してくれるらしい。
「避けてくださいね?」
そう言ってその場に停止し、両手を前に突き出して少し腰をかがめている。
少しだけその手が斜め下を剥いているのは、俺の依頼に従って地面を撃ち抜くことによって砂埃を発生させようとしているのだろう。
あ、これ放射系魔法だ! さすが光属性! 波動砲レイヴァース!
そんなあほなことを考えた瞬間、王女殿下の華奢な掌が重ねあわされた僅か先から想像通りのもの――直径およそ3メートル程度の光砲が撃ち出された。ほんの僅かに下げられた射線に従い、闘技場の地面を消し飛ばして莫大量の砂埃を巻き上げる。
そのままフィギュアスケート選手ようにその場でくるりと一回転。
もちろん光砲は照射されたままなので、王女殿下のいる位置を頂点に初めからあたかもそうだったようにごく低い円錐のようになっている。
当然俺は無敵回避で苦も無くその光砲をすり抜けている。よけそこなったジュっと蒸発させられそうで、内心ちょっとビビってはいたが。
巻きあがった砂埃はもはや闘技場が倒壊したのかを思えるほどで、これからすることを見られる心配はまずあるまい。というかこちらからも見えなきなっているが、今頃観客たちは逃げまどっているのではあるまいか。
「ほ、ホントにやりますよ?」
「遠慮なく」
そう答えた次の瞬間、俺は闘技場の上空100メートルに放り出されていた。
ほんとに遠慮がねえ!
いやしかしこれ、ほんとに瞬間移動だな。
俺の五感を以てしても、コマ落としのように突然視界が切り替わったとしか思えない。
俺が実験のために何度も飛び降りた王都近郊の断崖に比べれば、100メートル程度は知れた高さに過ぎない。だが初めて地上100メートルの空中から見る王都は目新しく、真下に小さくみえる闘技場がなかなかに心許ない。
無事に着地できるとわかっていても、ごく一部が「ひゅん」ってなるんだよなあこればっかりは。
自由落下開始。
万が一にも頭から墜ちたらみっともないしそれなりには痛いので、断崖での訓練で身に付けた姿勢制御でカッコよく着地できるように調整する。
自分で頼んでおいて何だが、眼下の闘技場から立ち上がった膨大量の砂埃は王都中からも視認可能だろうし、これはちょっとした騒ぎになるのは避けられないな。まあ実行犯がシャルロット王女殿下だとわかれば最終的には有耶無耶にしてもらえるだろう、たぶん。
迫りくる地面。
ものすごい速度で着地。
新たに巻き上がる膨大量の砂埃と、周囲に響き亘る100㎏近い物体が100メートル上空から大地に叩きつけられた際に発生した肚の底に響くような衝撃音。
俺の脚じーん。
その目の前には俺が上空に放り投げられて落ちてくるまでに整えていたのだろう。
シャルロット王女殿下が王家が最上位の敬意を表す姿勢で膝を折り、俺に対して頭を垂れて両の掌を上に向け、腕を地に付けて左右に広げている。
服従の姿勢。
自分で送り込んだ100メートル上空から墜ちてきても俺が無事だったならば、そうすることを決めていたのだ。
まあ半ば以上確信があったんだろうけれど、もしも俺がハッタリ野郎だった場合、はじけ飛んだ墜落死体の前に跪く王女殿下というシュールな絵面が完成していたわけか。
うーん。
「私の無礼に対するどのような罰もお受けいたします」
真面目な声でそう告げるシャルロット王女殿下の華奢な身体は隠し切れずに僅かに震えている。さてそれは俺の化物ぶりを知ったが為の恐怖によるものか、あるいは歓喜によるものか。
少なくともツアフェルン家と同じくこの国の王家もまた、俺の正体の一端――ゲーム時代のプレイヤー・キャラクターを指す『魔獣狩り』について深い情報の何かを知っているのだ。
本来であれば王族、それもうら若い女性に許可もなく触れるのが御法度なのは当然。
場合によってはお手打ちになってもなにも不思議なことではない。
だが今の場合、砂埃が晴れて今の王女殿下の姿勢を衆目に晒すわけにはいかないので赦されるだろう。というか俺が手ずからそうしなければ、おそらく殿下はこの姿勢を自ら崩すことはないとか確信できる。
「では勝負は俺の勝ちでいいですね?」
上に向けられた両の掌を取りながら立ち上がらせつつそう告げると、驚いたような表情で顔をあげて俺の顔を見上げる。
「も、もちろんです」
「では勝者として、シャルロット王女殿下には俺の言うことを一つ、何でも聞いていただきます」
我ながらどうかと思うが、自分の容姿を最大に活かしてにっこりと微笑みながらそう告げた言葉に、王女殿下は真っ赤になって下を向いてしまった。
おいちょっと待て、いったい俺がなにを要求すると想像しているんだ。
違う。別にエロい事など要求しない。
ま、まあいい。
王女殿下にしっかり立ってもらい、その身体を中心として回るように太刀を一閃する。
我ながら空恐ろしいことに、俺の膂力と太刀技の組み合わせはそれだけで収まりつつあった砂埃をすべて消し飛ばすことすらも可能なのだ。
案の定大騒ぎになっていた観客たちが、一陣の風と共に急に回復した視界に加速度的に落ち着きを取り戻してゆく。そうなればまず最初に確認するのが、この騒ぎの中心であるシャルロット王女殿下と俺になるのは当然だ。
その多くの視線の先。
俺は一閃した太刀を逆手に持ち、柄を王女殿下の前に差し出す形で地に膝をついて頭を垂れている。
「シャルロット王女殿下。私のパートナーになっていただけますか?」
その上で大声を張り上げるわけではないが、観客へは通るようにそう宣言した。
静寂。
「よ、よろこんで」
俺の太刀――木剣だが――の柄を両手でそっと包み込むようにして持ち、そう答えたシャルロット王女殿下。
それをきっかけに、観客たちから爆発的な歓声が上がった。




