第10話 『フレンド』②
とにかく今の俺がうっかり意識しないで全力を出した日には、もはや化物扱いされることは確定しているのである。
常人の全速力で延々と数時間走れる奴など、人間だとは認めてもらえまい。
俺だって前世で100m走の速度でフルマラソンを走り切る奴がいたら、人間の皮を被ったロボットか宇宙人かだと思わずにはいられないだろう。
上手く普通に優秀な範囲内に収めるというのは、思ったよりもなかなかに難しいのだ。
それも試験という取捨選択の目に晒されてのこととあってはなおさらである。
なので――
「君はちょっと不気味なほど落ち着いているね。名前を聞いてもいいかな? 僕はユージィン・フォロス・ツアフェルン。ツアフェルン伯爵家の三男坊。この国で最強――いやまずは同期で最強となることを目指している者でもあるけどね」
などと考えつつ油断していたら、突然お貴族様に話しかけられた。
確かに冒険者育成学部は貴族、平民が混在する珍しい学部ではある。
同じような学部は他に魔法研究学部くらいしかない。
戦闘能力に特化した能力もしくは魔法の才能を有していて15歳になれば、王族であっても所属することになるくらいなのだから。
千年の間に魔獣こそその姿を消しているとはいえ、小型の魔物は未だ多数存在している。
人が世界を支配することを脅かすそれらと戦える能力を持った者に、生まれの貴賤などを問うている場合ではないというのは確かにその通りだろう。
冒険者――危うきを冒して人の社会に貢献する者が、その実績によって貴族となることも珍しいとはいえ絶無ではないのだ。
だがそんなおためごかしはともかく、王立学院ではわかりやすく貴族と平民に分かれると聞いていたので意外ではある。そりゃまあ貴族と平民が3年間限定とはいえ仲良く級友、学友とはいかないのは理解できる。
しかしツアフェルン伯爵家と言えば相当に上級貴族である。
確か武門貴族筆頭家とか言われている、長い歴史を持ついわゆる名門のはずだ。
いや歴史そのものは長くても、なりあがったのは当代になってからだったか。
今の王立軍の実務トップである将軍職が、現ツアフェルン家の御当主様。広大な領地の管理は長男が任されているはずだ。その領地は他国よりも厄介とされている、辺境未開地――いまだ魔物が支配している領域に接していると聞いている。
この国のみならず、大陸全土に及ぶ人の社会の城壁。
物理的な城壁と共に、対魔物戦力としてそうあることを担っている一族。
――だったはず。
なるほどだからこそ、ツアフェルン家が武門貴族筆頭とされている訳か……
こういう時、大商会の経営者である父上から得られる情報はとてもありがたい。
一度取得した情報であれば、必要に応じてすぐに|引っ張り出せる今の俺の頭もだが。
受験者たちの中で自然にこの態度を維持できているということは、俺と同期の中ではツアフェルン伯爵家が一番家格が高いとみて間違いないだろう。
具体的な言葉遣いや態度ではなく、纏う空気が明確に偉そうというのは一つの才能といっていいんじゃないかな。
それに普通、偉そうにしている奴は本当に偉いことがほとんどだ。
そうでなければそいつはただの阿呆でしかない。
前世はともかく今生の厳しい世界では、そんな愚か者は滅多に見ない。
王立学院に入ればそういうのもいるかもしれないが。
「お……私はクナド・ローエングラムと申します。私はどうお呼びすれば?」
思わず素で話しそうになって慌てて修正する。
試験時も含めて学生の間は身分の差を問わないなどと学則には明記されているものの、そんなお題目を心の底から信じて実践できている者などいるはずもない。
もしも平民側にいるのなら、間違いなくそいつは阿呆なので退学にした方がいい。
実際、王都である程度の規模を誇る程度のローエングラム商会など、上位貴族である伯爵家に睨まれたらひとたまりもないのだ。
バカ息子が試験の際に無礼を働いた咎で父上の事業に悪い影響が出るなどということは絶対にあってはならない。
俺はもとより、妹の安定した暮らしは父上の事業が安定していればこそなのだから。
「……ユージィンでいいよ。僕は好敵手と見做して君に声をかけたんだ、公的な場であればともかく、王立学院の同期としてはそれが普通じゃないかな?」
だがその俺の態度に対して意外そうな表情を浮かべ、ユージィン様は寛大にもその名を呼ぶ許可を下さった。
しかも俺に声をかけた理由がちょっと面白い。自分だけではなく俺も合格することを、さも当たり前のように大前提にしていることもだが。
俺がすでに冒険者ギルドで見習いのようなことをしていることなど、お貴族様が知るはずもない。午前までの筆記試験の結果もまだ出ていない以上、伯爵家の御令息がなにを以て俺を好敵手に足ると判断したのかには正直なところ興味がある。
「ありがとうございます、ユージィン様。ですがそんな不気味なほどでしたか?」
なので寛大にも名を呼ぶ許可をくれたユージィン様に対して、興味を持つに至った直接の理由であろう、俺の態度について尋ねてみる。
「様もいらないよ。話し方も普通でいいよ。一人称が俺なんだったら無理する必要もない。あくまでも僕に対してのみだけど、君には君らしく振舞うことを今ここで認めます」
その俺の態度に対しても苦笑を浮かべ、名を呼ぶことに加えてまるで伯爵家御令息の友人であるかのように振舞う許可までくださった。無理をしている感じはないし、今のところ俺の実力がばれているわけでもないので素でこうなのだろう。
おそらく身に纏う雰囲気が尊大なままなのは平民に対してはそれが当然になり過ぎているので、本人が認めていようがいまいがそのあたりは不変なのだ。
ちょっと面白い。
それにどうやら俺を好敵手と見做した自分の目に、絶対の自信を持っているらしい。
この至近距離で見て初めて気付けたが、間違いなくユージィン様は俺と同じ『呪印』が刻まれた瞳――いわゆる『呪眼』持ちである。
この世界の人間にも稀に『呪印』を持って生まれてくる者は存在し、彼あるいは彼女らは当然例外なく優れた戦闘能力を有している。一切鍛えられていない状態とはいえ、生まれながらになんらかの能力をその身に宿しているからにはそれも当然の事だろう。
「変わったお貴族様だな?」
だが上級貴族の上に呪眼持ちともなれば、もっとわかりやすく鼻持ちならないキャラになっていそうなものだが、どうやらそんな感じではない。容姿はまさにお貴族様として想い描くような甘く整った美形であり、長く伸ばされた白銀の髪がじつに様になっている。
実はこの国の王子様ですと言われた方がしっくりくるくらいである。
俺とは違う系統なので、2人でつるめば相当絵になるはずだ。
俺なりに相手が本気だと理解できたので、俺も素を出すことにした。
とりあえず今思っていることを正直に伝えたのだ。
「瞬時で自分の普通どおりに振舞える君の方が変わっているとは思うけどね。だけど確かに父上や母上、兄上たちに僕は変わり者だと言われているよ。だけどこんなものを持って生まれてしまっては、変わり者にならざるを得ないと思わない? 君のその容姿のようなモノだよ」
そんな俺の言葉遣いにもその内容にも、ユージィンは気を悪くした様子ではない。
自分がそう言ったからとて即座に素を晒した俺の方が「変わっている」ことを、きちんと認識できているにもかかわらずだ。
だからこそと言うべきか、やはりそんなユージィンの在り方はご両親にも御兄弟にも変わり者だと見做されているらしい。
まず高位のお貴族様は、少なくとも庶民とこんな風にフランクな口調では話さないと思う。それが演技であっても、いかにもそれっぽい口調になるような気がする。
おそらく本来のお貴族様は、やはり俺の想像からそうズレてはいないのだろう。
ユージィンを基準に貴族を判断してしまったら、いつかどこかで痛い目を見そうなので注意することにしよう。




