933. 姫神『始まっちゃった?』そうです
933. 姫神『始まっちゃった?』そうです
秋の大型企画『各期生集合!秋の思い出作り、騒がしい女子会キャンプ!』の収録は、大きなトラブルもなく無事に終了する。スタッフが最後の機材を片付け、ロッジから立ち去る足音が遠ざかると、部屋全体に安堵と、それまで張り詰めていた空気がふっと緩むのを感じた。
長野の山奥は、日が沈むと一気に闇と冷気に包まれている。昼間の穏やかな日差しが嘘のように、気温は急降下し、木々のシルエットがぼんやりと空に溶け込む。昼間の喧騒が消え失せた山は、まさに静寂そのものだった。微かに聞こえるのは、どこかのスタッフの車のエンジン音、そして、焚き火が燃え尽きた後の熾火が、時折パチッと小さく爆ぜる音だけだ。
窓の外は漆黒の闇だ。窓ガラスには、室内の暖かさから生じた結露が薄く張り付いている。
オレは、ソファの隅に深く身体を沈めていた。疲れが、鉛のように全身にのしかかってくる。「姫宮ましろ」を演じ続けるのは、肉体的にも精神的にも相当な労力を要する。こういう外ロケ特に疲労感が増す
「ふー……終わったわね」
「疲れたー……紫織さん、あたしこのまま寝そうw」
「ダメよ、七海。風邪ひくわ。せめてちゃんとした格好に着替えて」
「颯太君も、早く楽な格好になって、少し温かいものでも飲んだほうがいいよ。朝晩は本当に冷え込むから」
「あ、はい。ありがとうございます、月城さん」
彼女の気遣いが、疲弊したオレの身体にじんわりと染み渡る。
「颯太君。先にお風呂入る?私たちのあとじゃ遅くなっちゃうと思うし。あ。一緒に入る?w」
「入りませんよ!」
「陽菜!あなた何言い出してるのよ!」
「そんなに怒らないでよ紫織ちゃんw冗談でしょ?」
冗談なのはわかっているが、言わなくていいことなんだよな月城さん。そんなやり取りをしてると、寝っ転がっていた七海が話し始める。
「あ!颯太に素っぴん見せるのかw最悪w」
「そう言われればそうね……普通に嫌だけど仕方ないわね」
「え?素っぴんくらい平気だけど。なんなら、何回か素っぴん晒してるよね颯太君にwあ。な~んだ2人とも、結局颯太君を男として意識してるんじゃんw」
「えぇ!あたしはそんなことないよ!」
「私は全然髪を縛って、素っぴんでコンビニとか行けるけどw」
月城さんの屈託のない笑顔と、率直な発言に、立花さんは心底呆れたという風に、深いため息をついた。
「男として意識してるとかの前に、陽菜、あなた女としてどうなのそれw」
「え?だって、どうせ誰も見てないじゃん。夜中のコンビニなんて戦場だよ?みんなパジャマかスウェット。人権なんてないの!颯太君は男だけど『姫宮ましろ』だし、性別曖昧みたいなもんじゃん。それに、何かをするような度胸もないでしょw」
月城さんの言葉は、どこまでも陽気であっけらかんとしていた。いや……元から何もする気はないんだが、なんかそれはそれでどうなんだ?月城さんは、「中の人」としての自分と、「Vtuber」としての自分、そして「男」であるオレへの認識の間に、一切の葛藤がないようだった。そのオープンさが、月城さんの良いところだけど……
そんなこんなで、全員がお風呂に入り、寝る準備をする。ちなみに、立花さんと七海は1度化粧を落とし、また軽く化粧をしている。月城さんは本当に素っぴんに眼鏡なんだけど。
オレはそのままパソコンを開き、残っていた仕事をすることにする。
「あれ?颯太君、仕事するの?」
「美冬ちゃんに連絡することが何件かあって……」
「美冬ちゃん?へ~」
「え?あ。いや、本人がそう呼んでほしいって言って!」
「なんで焦ってるの?別に仲良くなったんだな~って思っただけだよ。でも、本当に颯太君がマネージャーで良かったかもね。美冬ちゃんは自分の意思を伝えるのが苦手だと思うし、ライバー目線から色々フォロー出来るのは、颯太君……あとは陽葵ちゃんくらいだと思うしね?」
「そう言って貰えるのは嬉しいですよ。でも、オレはそんな彼女たちの側に居て見守っている月城さんの存在が大きいと思いますよ?ね、ひなママ?」
オレがそう冗談交じりに月城さんに言うと、月城さんは大きな瞳をパチパチさせてから、ふふっと笑った。
「え~、ひなママ?いきなりどうしたの颯太君?私のこと超持ち上げてくるじゃん。さては、酔ってるんでしょw」
「酔ってるのは月城さんでしょw」
「なんか『姫神』始まっちゃったんじゃない?颯太君で我慢するかw」
「我慢って何がですかw」
「ね~、紫織ちゃん、七海ちゃん。こっちで飲み直そうよ!なんか気分良くなっちゃった!」
月城さんはそう言って、オレの膝の上のパソコンに一瞥もくれず、ビールを手に取った。
「陽菜、あなたまだ飲むの?w」
「あたし、もう寝ようかと思ってるんだけどw」
「大丈夫大丈夫!明日はゆっくり帰るだけだし!ね、飲むぞ!」
立花さんと七海は呆れ半分、諦め半分といった様子で、小さなグラスに缶チューハイを注いでいる
美冬ちゃん……彩芽ちゃんもだけど、本当に自分の意見を言葉にするのが苦手な子だ。それでも、彼女の配信に対する熱意や、ライバーとしてのポテンシャルは誰もが認めている。
だからこそ、オレや高坂さんのような、ライバーの立場も理解できる人間がフォローする必要が、この先もあるのかもしれない。
そんなこんなで、夜が更けていく。この後は、1期生だけのトークを繰り広げ、お酒も入ったからかいつの間にか同じ部屋に泊まることも忘れて、夜通し騒がしい女子会キャンプが始まっていた。
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