英雄譚:序章
朝に思ったより時間があったのでとりあえず1話投稿です。夜にもあげます。
意識が沈んでいく…。体の輪郭があやふやになって溶けていく。そのまま僕が消えてなくなってしまうかのように思えていたけど、僕の体はどんどんと別の形を作っていく。
かろうじて人と言えるような未成熟な形で、何か温かい膜のようなものに包まれているような安心感を感じる。
「…それじゃあ、久々に始めようか」
…声が聞こえる。視界もあやふやで耳なんかまだ機能していないような状態のはずなのに、確かに優しい女性の声を感じる。僕はその女性に抱え込まれるようにしながらゆらゆらと心地のいいリズムで揺さぶられている。
本を開くような音が聞こえた。新しく買ってきた本を自分の部屋で初めて開くような興奮が体を包む。僕を抱えた女性は、自然と頭に入ってくる優しい声で物語の始まりを告げる。
「…これは、とある英雄の始まりのお話」
その声を聞きながら、ふと気づいたことがあった。何故か聞き覚えのあるこの声は、ずっと僕の頭の中にいた声だったと。本の中の物語に没頭するときに、自然と僕の頭の中に聞こえてきた声だったと。
「あるところに、幸せな夫婦がいました。その夫婦は少し前に可愛らしい男の子を授かり、大切に育てながら暮らしていました」
女性の声が聞こえるのと同時に、僕の頭にどこかの情景が広がっていく。一見無愛想で怖く見えるけど優しい男性と、いつも微笑みの絶えない優しい女性の姿。その女性の腕では赤ん坊が楽しそうにしながら抱かれている。
「その日はその子のおじいちゃんとおばあちゃんも一緒に、その子の誕生日のお祝いをしに出かけていました」
景色が広がる。その子の両親のような幸せそうな老夫婦が輪に加わって、ビルに囲まれた街の中を幸せそうな家族は進んでいく。
「その家族は、まだしっかり話せない男の子に話しかけたりしながら幸せにその日を過ごしていました」
不器用ながら男の子に愛を注ぐ父親と祖父に、それを優しい表情で見る母親と祖母。男の子も楽しそうにしていて、とても幸せそうな光景だった。…そんな幸せに水を差すように、甲高い声が響き渡る。
「…そんなとき、周りの人達が悲鳴をあげました。街を歩いていた人達は、何かから逃げるように走り出します」
幸せな家族を取り残すように、周りの人達は何かから逃げ惑い…黒が広がってくる。
「その何かは、すぐに姿を現しました。それは大きな狼で、身体中に黒い炎をまとっていて…それは恐ろしい怪物でした」
家族の前に体の節々から黒い炎を吹き上げている狼が現れ、ビルが連なる街の中で見境なく暴れ始める。
「その恐ろしい怪物に、男の子の家族は逃げずに立ち向かいました。街の人達を守るために…何より、自分で逃げることができない男の子のために」
男の子と、男の子を抱えた母親を守るように父親と祖父が前に出る。祖母も母親に寄り添って、家族全員で男の子を守るために動き出す。
「…しかしその怪物はとても強く、目にも止まらぬ速さでお父さんとおじいちゃんをすり抜けて男の子の目の前まで迫ってきます」
一瞬で男の子の目の前まで怪物が迫り、家族たちは身を挺してでも男の子を守ろうと必死になる。
「そんな恐ろしい怪物から男の子を守ろうと家族たちが必死になっている中、男の子だけはその怪物に手を伸ばしていました」
眼前に迫って今にも男の子と母親に牙を剥こうと大きな口を開けている狼に、男の子は無邪気な表情で手を伸ばす。…すると、男の子が伸ばした手から青白い光が広がっていった。
「男の子が怪物に向かって手を伸ばすと、その手から突然青い炎が飛び出し…怪物の体を青い炎が包みました」
男の子の手から飛び出した青い炎が出す光が、先ほどまで幸せを侵すように広がっていた黒を払っていく。
「すると、恐ろしい怪物は体にまとっていた炎の色が男の子の手から飛び出た青い炎に変わり…暴れるのをやめました」
その瞳に理性を取り戻した狼は、男の子が差し出していた手をぺろぺろと舐め始める。…まるで、男の子にお礼をするように。
「男の子は気づいていたのです。その狼が悪いものに取り憑かれていて、本当は暴れたくなんてなかったと言うことに」
狼が男の子から貰った青い炎は、さっきの男の子の炎のようにその場を温かい光で照らし始める。
「狼は男の子に感謝して、男の子も狼を助けられたことを喜びました」
男の子と狼の炎で、家族は幸せを取り戻し…家族の輪に狼も加わって、より一層幸せな日々に帰っていく。
「男の子は、大きくなっても生まれ持った悪いものを打ち払う炎の力で誰かを助け続け…いずれ英雄と呼ばれるようになっていきます」
狼を助けた男の子のシルエットが曖昧になって大人になっていく男の子の周りには、家族だけでなく見覚えのない多くの人が取り囲んでいた。
…ぱたん、と本を閉じる音が響いた。
広がっていた光景が本の中に戻るようになくなり、優しい女性に抱えられて揺さぶられる感覚だけが残る。
「…これは君の英雄譚の始まりだ。これの続きの物語も、君はこれまでにいっぱい残してきた」
ふわふわと温かい感覚の中で、女性の優しい声を感じながらまどろむ。体を包む安心感に、ずっとこうしていたいと思っているとまた女性の声が響いてくる。
「僕も続きを読みたいところではあるけど、懐かしい読み聞かせは一旦ここでおしまい。…今は、君の物語に戻ってやらなくちゃいけないことがあるでしょ?」
…やらなくちゃいけないこと。
班員を、佐々木君を…いや、僕の『友達』を助けないと!
まどろんでいた意識が一気に覚醒し始める。体の輪郭がどんどん大きくなって、今佐々木君の体を使っている彼と向き合っている僕のところに意識が戻っていく。
決意を固めながら起きようとしていた時、後ろから優しい声が聞こえた。
「…がんばれよ、葵」
書いてて懐かしくなりましたよ。まだ半年も経ってないんですけどね。
閲覧、ブックマーク、評価やいいねして頂けた方、誠にありがとうございます。
感想も励みになっています。誤字報告も助かります。
作者プロフィールにあるTwitterから次話投稿したタイミングでツイートしているので気が向いたらどうぞ…




