熾天使さんと英雄の雛
お久しぶりです
「えっと…?」
葵は戸惑った様子でパジャマのまま立ち尽くし、説明を求めるようにこちらを見てくる。とはいえ葵がここに一人で来たこと自体僕には予想外のことだったから、説明を求められても困るんだけど。
「お、お久しぶりです?」
「ふふ、昨日話したばかりだけど?まぁ久しぶり」
「そう…でしたね」
やっぱり戸惑った様子で頷く葵。昨日久々に読み聞かせをした時のことは葵も覚えているはずだけど、現実だったかは確信できていなかったみたいだ。
「〈浄火〉…だっけ?久々にしては上手に出来てたね?」
「あ、ありがとうございます。やっぱりあれって天使さんがくれたんですね?」
「あげたわけじゃないけど、まぁそういう事でいいや」
「…ありがとうございます。おかげで友達を助けられました」
葵は真剣な表情でお礼を言ってくる。〈浄火〉は元々僕の浄化の真似をして葵が勝手に覚えたものだし、本当に僕があげた訳じゃないんだけどね。
「いいよ、僕は力の使い方を思い出させてあげただけだしね」
「そうなんですか…?」
「そうなんです」
元々の能力の高さと僕の影響で異常な記憶力のある葵でも、流石に胎児の頃のことや物心つく前のことは覚えていないみたいだ。僕の言葉にあまりピンと来ていない様子でいる。
葵は少しの間悩んだ様子で黙っていたけど、真剣な表情で僕に向かって口を開く。
「あの…天使さんって、なんなんですか?どうして僕の力になってくれるんですか?」
「あ〜…やっぱり気になるよねぇ」
今までは葵の心も育ちきっていなかったこともあって僕のことは極力覚えていられないようにしていたけど、佐々木君の件で僕のことをはっきり認識してしまった。
葵が今回僕の空間に自力で入り込んだのもそのせいだろう。
「…うん、そろそろ教えておこうか」
「…?」
葵はもうすぐ本格的に英雄としての力をこの世界に求められ始める。それに、まだまだ未熟だけど精神も昔に比べたら育っている。…ここに来た理由も葵自身は無自覚みたいだけど、自分の実力不足を感じているからみたいだし。
「…僕はね、君が生まれた時から君の内側にずっといたんだ」
「僕の…内側に?」
「そう、君は僕自身だし…僕は君自身でもある」
「…ごめんなさい、ちょっとよくわかんないです」
「はは!そりゃそうだよね?」
困惑した様子の葵に思わず笑ってしまう。そりゃ明らかに人外で性別も違う奴に「お前は俺だ!」なんて言われたって受け入れられないよな。
「論より証拠って訳じゃないけど、証拠を見せてあげようか」
「え…?」
「ちょうどいいのも外にいるみたいだし…とりあえず起きよっか?」
「へ?」
現状を飲み込めていないままの葵を置いて、両手を打ち合わせる。今まで葵が起きている時は僕が体の主導権を取ることはなかったけど、今回は葵を起こした上で僕が体の主導権を握る。
視界がパッと切り替わり、葵が眠ったホテルの部屋の天井が視界に映る。相も変わらず体は女性の体になっていて、今回は特になにも隠さないで僕が出たから翼も輪も出っぱなしになっている。
『え!?なにこれ?!僕の体どうなってるの!?』
頭の中から葵の声が響く。葵は今頃僕が普段感じているように、あの空間にいながら僕の感覚と感情が流れ込んでくる不思議な感覚を味わっているところだろう。
「(いつもは僕がそっちにいるんだ。今回は交換してみた訳だけど、これでわかってもらえたかな?)」
『えぇ…?』
困惑しきった様子の葵の感情が僕にも流れ込んできて、思わず笑みが込み上げてくる。
「(ま、とりあえず外のあいつを片付けに行こうか)」
『外のあいつ?え…?外に何かいる?』
僕が感知している情報が葵にも伝わり、困惑しながらもホテルの外にいる存在を葵も感じ取る。
「(じゃ、行くよ。〈転移〉)」
『え』
一瞬で視界が切り替わり、ホテルの外にある人気のない路地裏へ転移する。明かりのない路地裏は、僕の頭上の輪から漏れ出る明かりでぼんやりと照らされる。
「キィ?!」
『うわ?!』
「居たね、これがさっきから感じてたやつだよ」
僕の頭上の輪の明かりを受けてぼんやりと照らされたその姿は、1mはある大きなネズミの姿だった。その大きな瞳は、小さい明かりを反射してギラギラと暗闇の中からこちらを見ていた。
「多分、窮鼠ってやつだね」
『窮鼠…?仮想体ですよね?なんでこんな街中に?』
「元々逃げ場を失ったネズミの概念を背負ってるからね、逆に逃げ場のある場所には出てこないんだろうね」
人の繁栄によって棲家を追われ、天敵に周囲を囲まれたネズミ。だからこそ餌も棲家もある自然には現れず、隠れながら天敵の前に現れて叛逆する。
「キィー!!」
『と、とにかく倒さないと!僕に変わってください!戦います!』
窮鼠は自分を追い詰めた存在の力に比例して強くなる仮想体。窮鼠についての情報は葵に隠していないからか、頭の中に響く葵の声はかなり慌てたものだった。
「大丈夫、むしろ葵とは少し相性悪いから僕がやるよ」
僕は葵に返事をしながら久々に手元に鎌を構成する。勇敢にも威嚇しながらこちらを睨みつけてくる窮鼠に近づき、鎌を振り上げる。
『危ないで…!』
「キッ?」
必死に警告してくる葵の声とは裏腹に、抵抗らしい抵抗もしないで窮鼠は僕の無造作に振るった鎌を受ける。
『…え?』
「キ?」
「大丈夫って言ったでしょ?」
切られたことも理解できていない様子で体を上下に分断された窮鼠は、短く声を上げながら崩れ落ちていく。葵も僕から伝わってくる感覚で僕がなにをしたのかはわかっているようだけど、速度についてこれなかったようで呆然としている。
「さ、面倒事も片付いたしゆっくり話そうか?」
『は、はい…』
見えていないのに葵がポカンと大きく口を開けているイメージが伝わってきて、鎌を分解しながら思わず笑ってしまった。




