97話
「えっ、櫻木さん来なかったのか?」
前の席に座った遼が驚きの声を上げた。
現在は五時間目後の休憩時間。
俺は遼に昼休みの出来事について話していた。
「ああ……」
「でも昨日、櫻木さんと約束していたんだろ? 急に用事が入ったってことも考えられるけど、櫻木さんの性格からしたら、一度昂輝に連絡しにくるだろうしなぁ」
「メッセージで約束はしてたよ。それにそんな連絡は来てなかった」
そのとき、ガララッ、という音とともに牧原さんが教室に入ってきた。
「友愛?」
遼が教室の出入り口の方へ視線を向ける。
「遼くん、桂くんっ」
牧原さんは教室に入るや否や俺たちの席の方へ駆け寄ってきた。
額には冷や汗をかいており、その表情もどこか青ざめている。
「どうかしたのか?」
遼は座ったまま、牧原さんを見上げるようにして問いかけた。
牧原さんは数回息を吸ったり吐いたりして乱れた呼吸を整えると、
「二人とも、叶耶ちゃんを見てない?」
俺たちにそう問いかけてきた。
「「えっ?」」
二人して彼女の問いに面をくらう。どうしてそんなことを聞いてくるのか意味が分からなかった。
「あ、あのね、叶耶ちゃんなんだけど、さっきの五時間目の授業にいなくて……」
牧原さんはおどおどしながら、さっきまでのことを説明してくれた。
牧原さんの話によれば、叶耶はお昼休みになってすぐ教室を出たようだ。そのときの様子は別に普段と変わらなかったという。
しかし、お昼休みが終わる間際になっても教室には戻ってこず、結局さっきの時間は全ていなかったらしい。
その授業を受け持っていた先生も他のクラスメートたちも叶耶が授業にいなかったことを不思議に思っていた様子だったそうだ。
「で、私、心配になってさっき保健室まで行ってきたんだけど……」
そこで牧原さんが俯く。
「保健室にはいなかったってことだね……」
「おいおい、どうする? 櫻木さんになにかあったんじゃ……」
遼は顔をこわばらせていた。
たしかに、叶耶が無断で授業を欠席するなんてことはありえない。
牧原さんは叶耶がお昼休みに教室から出ていったと言っていたが、俺は叶耶と会えていない。
つまり、叶耶はお昼休みから五時間目の授業終了時までの二時間近くも姿を見せていないことになる。
彼女に何かあったのか?
そう考えると居ても立っても居られず、俺はいきなり席から立ち上がった。
「遼、俺ちょっと叶耶を探してくる」
「えっ、ちょっ、もうすぐ授業始まるぜ?」
「先生にはうまく言っておいて」
それだけ言い残すと一目散に教室から飛び出した。
今度は早足なんかできず、全速力で校舎を駆け回った。
途中、授業へと向かう先生とすれ違ったが、そんなことはお構いなしに隣を駆け抜ける。
走っている最中にチャイムの音が聞こえてきた。
どうやら授業が始まったようだ。
しかし、今は叶耶のことが心配でたまらなかった。
保健室にはいなかったと牧原さんは言っていた。
ならば彼女は一体どこにいるのだろう。
俺は思いつく限りの場所を片っ端から訪れる。
学食、図書館、体育館、中庭……
――――しかし、どの場所にも叶耶はいなかった。
授業のため人通りが全くない廊下をとぼとぼと歩く。
叶耶を探し回っている間、彼女のスマホにメッセージを飛ばした。
ただ、まだ返信は来ていない。
無理を承知で電話もかけてみた。
案の定、電源が入っていないとアナウンスされた。
いつの間にか中央棟の二階にいた。
「ここは……」
ふと顔を上げる。
目線の先には、生徒会室と生徒会室用倉庫の二つの部屋があった。
「もしかして……」
淡い期待を抱き、俺は生徒会室の扉に手をかける。
しかし、その扉は開かなかった。
はあっ、と無意識にため息が漏れる。
「一応、隣も見てみようか……」
とはいえ、お昼休みの間、俺はここでずっと叶耶を待っていたのだ。
ここに彼女がいるはずはなかった。
今度は期待を露ほどにも抱かず、扉に手をかける。
すると、
「あれ?」
ギギッ、という音とともに扉が動いた。
なぜだか鍵がかかっていないらしい。
「なんで―――――、って、叶耶っ⁈」
中を見ると、思わず目を疑った。
倉庫の奥で叶耶が倒れていた。
すぐさま彼女のもとに駆け寄る。
「叶耶っ、叶耶っ」
彼女を抱きかかえ、耳元で必死に呼びかけた。
「んっ……」
そのとき、彼女の体がピクリと動いた。
ゆっくりと彼女の瞼が上がっていく。
「……こ、昂輝くん?」
彼女と目が合う。
「うん、俺だよ。叶耶、大丈夫っ⁈」
彼女はまだうまく頭が回っていないのか、とろんとした瞳を浮かべていた。
「……大丈夫って、何が……、あっ」
彼女の目が俺をはっきりと捉えたのを感じた。
「こ、ここ、昂輝くんっ?!」
俺の腕の中で、彼女は狼狽える。
「叶耶、落ち着いて」
俺は彼女の気持ちを沈めるように優しく言った。
少しして、叶耶の動揺が収まる。
「どこかしんどいとか、体が痛いとかある?」
彼女が落ち着きを取り戻した後、心配だったことを尋ねた。
俺の問いに対し、彼女は首を振る。
「い、いえ、特に問題ないですよ。心配していただいてありがとうございます」
そう口にすると、彼女は先ほどの言葉は本当だと示すように、立ち上がろうとした。
俺は繋いだ手を引き、彼女をゆっくりと立ち上がらせる。
彼女は自らの足でふらつくことなく立っていた。
彼女の頭から爪先まで目で追ってみるが、外傷を負っているわけでもない。
ふと目が合うと、彼女はにっこりと笑った。
「ほら、大丈夫でしょう? 私のこと、心配してくれてありがとうございます」
「それは、お昼から叶耶がいなくなってるし、ここで急に倒れてたりでもしたら、不安になるよ」
「す、すみません……」
彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、叶耶が謝らなくていいよ。それより、無事で本当に良かった」
どうやら本当に叶耶の体には問題がないようなので、ほっと胸をなでおろす。
「昂輝くんがそこまで心配してくれて、私、すごく嬉しいです」
「叶耶は大切な人だからね……って、そういえば叶耶はなんでこんな時間にここにいたの?」
この部屋に入ったときから感じた疑問を彼女にぶつけてみる。
すると、彼女は一瞬顔を俯けた後、またいつもの笑みを浮かべた。
「いえ、実はお昼休みが終わる辺りでここに来たら、つい眠ってしまって……」
「えっ、でも、俺もお昼休みはここにいたよ?」
「私、ちょっと用事があってここに来たのが遅れましたから、もしかしたら入れ違いになったのかもしれませんね」
「入れ違い……」
「はい。あっ、そういえば今日は昂輝くんとお弁当を一緒に食べる日でしたよね? すみません、私、今日来られなくて……」
「あ、うん、大丈夫だから、心配しないで」
「この埋め合わせは、昂輝くんの好きな卵焼きでさせていただきますね。さて、私は職員室へ行って先生に謝らなくてはいけませんし、そろそろ出ましょうか」
そう言うと、叶耶は真っ直ぐ出口の方へ向かって行く。
俺も一緒に行こうか、と尋ねようとしたが、彼女の背中が一人にしてほしいと物語っていたため、その去り行く背中をただ眺めることしかできなかった。




