94話
目先をお店側に向けると、そこにはレディース服が所狭しに陳列されていた。
「ここのお店、品数が豊富ですし、デザインも良くて低価格な服が多いので、私たち学生に大人気なんですよ」
「へーそうなんだ……って、ここのお店、メンズは取り扱ってないの?」
お店の外から内部を大雑把に見ただけだが、目に映る範囲にはメンズ服が置いていなかった。
「え、はい……。ここはレディース服専用のお店になっていますので……」
何に驚いているのか分からない、といった感じで叶耶は首を傾げている。
「えーっと、女性専用のお店だと男の俺は入りづらいというか……」
見たところ、店内には女性しかいない。そんな聖域に部外者の俺が足を踏み入れるのは畏れ多く感じた。
「大丈夫ですよ。カップルで入る方も多いですから」
しかし、叶耶は俺の手を引っ張り、店内へ連れ込む。
「あっ、ちょっ」
店内に足を踏み入れると、叶耶は次から次へと気になった商品を手に取り、品定めをしていく。
その目は買い物を楽しむ年相応の少女のものだ。
しばらく叶耶は服を眺めるだけだったが、やがて何着かを買い物かごに入れ、試着室へと向かう。
俺も叶耶の後を追った。
「それでは、一度試着してみますので、昂輝くんは感想を教えてくださいね」
試着室まで来ると、叶耶はそう言い残し、カーテンを閉めた。
直後、カーテンの奥から衣擦れの音が聞こえてくる。
「……っっ」
不意に声が出そうになった。
このカーテンの向こう側では大好きな彼女が今まさに着替えをしている。素肌に下着だけの無防備な姿をさらしている。
俺は煩悩を吹き飛ばすため、大きく首を左右に振った。
叶耶でこんなことを考えたくなかった。
「……仕方ない、店内でも眺めてよう」
叶耶のことを考えると理性が仕事をしなくなりそうだったので、意識を店内に向けることにする。
ただ、これも失敗だった。
周囲の女性客は自分のことをちらちらと見ていた。
針のむしろ、今置かれている状況を表すならその言葉が最も適切だった。
頼むから早く出てきて……
心の中で強く祈る。
すると、近くにいた店員さんに声を掛けられた。
「お客様、ついさっきそちらの試着室に入った女の子の彼氏さんですか?」
「え、あ、はい」
突然声を掛けられたことに戸惑いつつも首肯する。
「とても可愛らしい彼女さんですね」
「あ、ありがとうございます」
自分のことではないが褒められてうれしく感じた。
「店内の他のお客様も注目していましたよ。ほら、今だってちらちらと」
「え、あれって、叶耶のことを見ていたんですか?」
てっきり自分が見られていると思っていた。
俺の反応を見て、店員さんはクスッと笑う。
「たしかにお客様は男性の方ですが、当店はカップルで入る方も多数いらっしゃいますので、男性だからといってそこまでまじまじと見られることはないですよ。お客様の場合は、とても可愛らしい彼女さんを連れておられたので、そのことが原因だと思います」
「あ、なるほど……」
たしかに言われてみれば、叶耶は誰から見ても美少女に映る。いくら場違いとはいえ、俺なんかより彼女に目がいくのは最もなことだった。
「――――昂輝くんっ」
そのとき、試着室のカーテンが勢いよく開いた。
しかし、どうしてか叶耶は多少息を切らしているように見えた。もしかして着替えを急いだのだろうか。
彼女の焦った様子に疑問をもった俺とは対照的に、店員さんはどこか得心した様子だった。
叶耶は心を読まれたのを恥ずかしく思ったのか、店員さんの反応に頬を染める。
店員さんは叶耶に優しく微笑むと、
「それではお客様、彼女さんを大切にしてあげてくださいね」
そう俺に言い残し、試着室を後にした。
店員さんがいなくなると、俺は叶耶に向き直った。
「ど、どうですか……」
叶耶はもじもじとしながら尋ねてくる。
彼女が最初に着たのは、黒のインナーとチェックのデザインワンピースを合わせたコーデだった。黒のインナーとワンピースとの間から見える真っ白な肩で色っぽさを出しながらも、全体はガーリー系で纏まっており、少女らしいあどけなさを感じさせる。
可愛らしいという表現が相応しい叶耶にとって、そのコーデはとても似合っていた。
「うん、すごく似合ってる」
俺は今の気持ちを正直に伝えた。
素直な誉め言葉が聞けたことで、叶耶の顔に喜びの色が宿る。
「そ、それではまた次の服もお願いします」
そう言うと、叶耶は再びカーテンを閉めて、着替え始めた。
この後、叶耶はスポーツ系、カジュアル系、清楚系など様々な系統のコーデを試し、結果として、ガーリー系の服と清楚系の服を購入するに至った。
レジでの会計時に、なんでその二つにしたのか尋ねると、なんでもこの二つが俺の反応から見て最も良いと判断したとのことだった。
俺は叶耶の着る服がどれも似合って可愛かったから同じような反応をしていたと思っていたが、叶耶によれば、この二つだけ俺の興味の抱き具合が全然違っていたらしい。
「あ、そういえば、最初に試着室から出てきたとき、なんであそこまで慌てていたの?」
店から出ると、俺はあのとき気になっていたことを叶耶に尋ねた。
俺の問いかけに対して、彼女は「えっ」と声に出して驚く。
「いや、店員さんはなぜ叶耶が急いでいたのか納得しているようだったし、俺としてもなんで叶耶は慌てていたのかなって」
「……す」
叶耶の声があまりにも小さく、全く聞き取れない。
「ん?」
俺は彼女の口元に耳を寄せる。
すると、叶耶は先ほどよりも若干大きな声で、
「ヤだったんです……」
そう俺の耳にささやいた。
「えっ?」
叶耶の答えは予想外のものだった。
「だ、だって、昂輝くん、さっき女性の店員さんと仲良さそうに話していたじゃないですか? それで、ちょっと不安になって……」
叶耶の声は尻すぼみになっていく。
「えーっと、つまりはヤキモチってこと?」
「うぅ……はい」
叶耶は恥じらうように顔を俯けたまま肯定する。
そんないじらしい反応をされて、俺は彼女を心底愛おしく感じたのだった。




