91話
教室にチョークの音と先生の解説する声とが入り交じる。
現在の時刻は、十二時三十五分。四時間目の終了まで残り五分だ。
同じ授業終了間際でも、一つ前の時限では睡眠不足もしくは授業の退屈さにウトウトしている生徒もいるのだが、昼休みが近いこの時間は、空腹のあまり睡魔に襲われている生徒はいないようだった。
俺も他の生徒にもれず腹の虫を鳴らさないようにしながら、授業を受けていた。
しかし、内容が頭に入ってきているとは言い難い。
『明日、昂輝くんのお弁当を作ってきてもいいですか?』
そんなメッセージが昨日届き、俺はそれに二つ返事で了承した。
つまり、今日のお昼ご飯は叶耶手作りのお弁当ということになる。
大好きな恋人が自分のためにご飯を作ってくれる。そう考えると、授業に身を入れるなんてこと、出来るはずもない。
秒針が数ミリ単位で動くたび、早く昼休みが訪れないかと今か今かと待ちわびていた。
叶耶はどんなお弁当を作ってきてくれるだろうか。
健康面に気を配った栄養価の高い献立?
ハンバーグやから揚げといった定番どころを集めた献立?
それとも……
考えれば考えるほど、昼休みが待ち遠しくなる。
そうやって思考を暴走させていると、
キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン……
授業終了を知らせるチャイムが鳴った。
黒板の前に立っていた先生もこれ以上の解説は無理だと諦め、日直に号令を指示する。
「起立……気を付け……礼っ」
日直の声に合わせて頭を下げ終わると、俺はすぐさま教科書などを片付け始めた。
少しでも早く叶耶に会いに行きたい。
しかし、急いでいるときほど予想外のことが起こる。
「か、桂くん……」
ふと、一人の女子生徒に声を掛けられた。
一応クラスメートではあるが、そんなに話したことはない。
「ん、どうかした?」
彼女の方に振り返って、首を傾げる。
彼女はどこか聞きづらそうにもじもじとした後、
「……桂くんって櫻木さんと付き合っているの?」
まだクラスメートがたくさん残っている教室にそんな爆弾を投下してくれた。
人間、興味のある話題はどんなに周りが賑やかでも耳に入ってくるようになっているらしい。
彼女の発言は先ほどまで騒々しかったクラスの雰囲気を一変させた。
凪のように静まるクラスメートたち。
そして、
「「「「「「「「「「えッッーーーーーーーーー」」」」」」」」」」
いつかと同じように教室を震わせるほどの絶叫が鳴り響くのだった。
「どういうことだー⁈」
「あ、あ、あああの櫻木さんと……」
「桂くん、桂くん、桂くん」
「ブヒーッ」
女子からは黄色い声、男子からは怨嗟の声が聞こえる。あと、人外の声も……
あっという間に俺はクラスメートたちに取り囲まれた。
「え、えーっと……」
みんなの剣幕な様子にたじたじとなりながら、この騒動を巻き起こしてくれた彼女に視線を向ける。
彼女自身もここまで大騒ぎになると思っていなかったのか、少しおたおたとしていた。
「え、えっとね、わ、わたし一昨日のお祭りに行ってたんだけど、か、桂くんたちが一緒に屋台を回っているのが見えて……」
あのときのこと、見られていたのか……
正確にはそのときはまだ叶耶と恋人ではなかったが、実際、今は付き合っている。
しかし、本当のことをここで話してしまうと、騒ぎをさらに大きくしてしまうのは必至。そうなれば、叶耶と過ごす昼休みの時間が減ってしまう。
一体どうしたら……
この状況をどう切り抜けようかと思考を巡らしていると、
「すまん、ちょっといいか?」
これまたいつかと同じように救いの声が割って入ってきた。
「遼……」
かけがえのない友人に感謝する。
「昂輝、お客さん」
「ん、お客さん?」
あれ、助けてくれるんじゃないのか?と疑問に思ったが、遼がふいっと顔を逸らしたので、俺もその視線の先を見てみる。
遼の視線の先―――教室の出入り口には叶耶が待っていた。
おそらく俺が昼休みになってもなかなか来なかったため、迎えに来てくれたのだろう。
ただ、今は非常に間が悪かった。
渦中の人物がタイミングよく現れたことで、一斉にみんなも叶耶がいる方へ振り向く。
彼女は教室の片隅に人が集まっていることに怪訝な表情をしながらも、その人混みのなかから俺の姿を見つけたらしい。
そして目が合うと、はにかみながら小さく手を振った。
「「「「「「「「「「―――ッッ⁈」」」」」」」」」」
いつもとは違う叶耶の笑みに、そしてその特別な笑みが俺に対して向けられていることにクラスメートたちは気づき、彼らの表情が固まる。
……あ、終わった。
どうしようもないほど理解してしまった。
すると、
「昂輝、こっち来いッ」
遼が俺の手を思いっきり引っ張った。
俺は遼に手を引かれ、教室の外へと連行される。
「櫻木さんもこっちッ」
叶耶も七海に手を引かれていた。
途中、俺が後ろをちらりと振り返ると、ようやく思考を取り戻したクラスメートたちの大騒ぎになっている様子が見えた。




