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82話

「仁科さん、これで頼まれたものは全て運び終えましたー」


 お祭り当日の開始二十分前。

 俺は、お祭り会場となる神社に来ていた。

 この時間になると、俺たち以外にもあちこちで出店の準備をしている。店によっては、すでに調理を始めているところもあり、今俺たちがいる屋台にも食欲のわく匂いが漂っていた。

 まだお祭りが始まっていないためお客さんは来ていないけれども、お店の人同士で気軽に話し合っており、あたりはわりと騒がしい。

 祭り本番とはまた違った雰囲気だった。


 俺は、手に持っていた大きな段ボールを屋台の中に置く。この中には、今日、屋台で提供する焼きそばの材料が入っている。

 ついさっきまで、この段ボールを仁科さんの車からここまで運んでいた。

「うん、ありがとう。やっぱり男手があると助かるねぇ」

 仁科さんは、鉄板の準備をしながら、額の汗をぬぐう。

「いやー、うちの主人が突然ギックリ腰になったときはどうしようかと思ったけど、桂君に来てもらって助かったよ。ごめんねー、急に手伝ってもらっちゃって」

「いえ、今日は空いてましたし、それにこのお祭りにも興味があったので、ちょうどよかったです」

 本当は櫻木さんと一緒にいたかったという単純な理由なのだが、まあ伏せておこう。

「ほんとよくできた子だねえ。これは叶耶ちゃんが惚れるのも無理ないわぁ」

「ちょ、ちょっと、大家さん、何を言ってるんですかっ⁈」

 そのとき、俺とは逆サイドで野菜を切っていた櫻木さんが、仁科さんの言葉に慌てふためく。

「違うのかい? わたしはてっきり、叶耶ちゃんが彼氏を連れてきたと思ったよ」

「ちち、ち、違いますっ! 私と桂くんはお付き合いしているわけではありませんっ」

「え、でも、桂君が手伝いに来てくれるって言ってくれたとき、あんなに嬉しそうに―――――」

「あー、それ以上はだーめーでーすぅぅぅ」

 櫻木さんが必死に仁科さんの言葉を遮る。

 完全に仁科さんのペースにのまれていた。

「あはは……」

 二人のやり取りに苦笑する。

 仁科さんは櫻木さんにとって、アパートの大家さんに過ぎないはずなのだが、驚くほど二人の仲が良かった。

「あのー、次は何をしたらいいですか?」

 もう少し、翻弄される櫻木さんを眺めていたかったが、開始時刻が迫っていたため、そうもいかなかった。

「ん、ああ次かい? それなら、そこにある肉を食べやすい大きさに切っておくれ」

「はい、わかりました」

 仁科さんの指示通り、パックから豚肉を取り出し、適度な大きさに切っていく。

 いつの間にか櫻木さんと仁科さんも、もとの作業に戻っていた。


 もう間もなく開始という時刻になって、ようやくすべての具材を切り終える。ここからは、具材を炒めたり、ソースを絡めたりしていくことになるが、味付けなどは分からないため、これ以上に手をつけることはできない。

「よし、それじゃ下準備は終わったね」

「はい、なんとか間に合ってよかったです」

「えーっと、それで俺たちはこの後、何をしていけばいいですか?」

「そうねえ、わたしは焼きそばをずっと作ってないといけないから、二人にはその他のことをしてもらおうかねぇ」

「でしたら私は、売り子をしていますね。桂くんは、出来上がった焼きそばをパックに詰めたり、仁科さんの補佐をしたりしていただけますか?」

「わかったよ、パックに詰めた焼きそばは櫻木さんに渡していくね」

「はい、よろしくお願いします」

 そのとき、お祭りの開始を告げるアナウンスが鳴り響いた。

 仁科さんの話によると、これから先の一時間が最も屋台に人が集まる時間であるらしい。

 俺は、シャツの袖をまくり、気合を入れなおすのだった。


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