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107話

 列に並ぶと、ものの十分ほどで俺たちの番が来た。

 スタッフのお兄さんに案内されるまま、ゴンドラの両端にそれぞれ座る。その後、お兄さんの「いってらっしゃいませ~」という明るい声で俺たちは送り出された。


 ゴンドラはまだまだ低い場所にあるため、窓から見える風景は建物の二階から覗くものとさほど変わらない。

 すると、前に座っていた叶耶がおもむろに口を開いた。


「昂輝くん、今日はありがとうございました。私、本当に楽しかったです」

「うん、俺もすごく楽しかった。こちらこそ誘ってくれてありがとう」


 彼女はスカートの裾をきゅっと掴んだ。


「昂輝くんは私と初めて会ったときのことを覚えていますか?」


「え、うん。たしか、転校初日で学園の案内をしてもらったときだよね?」


「はい。昂輝くんは分からなかったかもしれませんが、あのときの私、すごく緊張していたんですよ?」


「えっ、そうなの⁈」


「小さい頃からおばあちゃんに昂輝くんのことをいっぱい聞かされましたから、実際はどんな人なんだろうって思っていました。でも、昂輝くんはおばあちゃんの言っていた通りの人でした」


「……」


「昂輝くんはとても優しい人でした。野球部の倉庫で怖がる私の手を握ってくれて。体育祭では一緒に二人三脚を走ってくれて。生徒会長選挙では弱い私をそばで励ましてくれて」


 叶耶が今までの出来事一つ一つを噛みしめるように口にしていく。

 彼女が口にする思い出は俺の中にも強く残っていた。彼女がその思い出を口にするたびに当時のことを鮮明に思い出す。

 自然と目頭が熱くなった。


「まだまだありますよ? 星華祭では私が苦手なお化け屋敷に一緒に入ってくれました。私が屋台をやるときに手伝ってくれました。ずっとは一緒にいられない私を恋人にしてくれました。お弁当をおいしく食べてくれて、ショッピングにも付き合ってくれました。私、いつも昂輝くんの優しさに甘えていました。昂輝くんが近くにいるだけで、自然と元気が出ました」


 いつの間にか叶耶の声も涙声になっていた。

 最後に潤んだ瞳でまっすぐ見つめてくる。


「だから、今日はちゃんと伝えたかったんです。今まで本当にありがとう、と」


「~~っっ」


 それが限界だった。こらえていた涙が一気に溢れ出てきた。


「……俺も、叶耶に感謝しないといけないことがたくさんあるよ。学園に来てからいつも俺のことを見守ってくれた。困ったときはいつも助けてくれた。こんな俺の恋人になってくれた。叶耶と別れるのが嫌で引き籠っていた俺をずっと信じて待っていてくれた。そしてなにより、命を救ってくれて、叶耶の残りの時間を俺にくれた。だから……、俺と出逢ってくれてありがとう」


 叶耶は何回もハンカチで目元を押さえていた。でも、何回押さえてもその涙は全く止まらなかった。


「昂輝くんはずるいです。ここでそんなことを言うなんて……」


「あはは、それをいうなら叶耶が最初だからね。叶耶のほうこそずるい」


「……そんなことを言われたら、もっと昂輝くんのことが好きになってしまいます。もっと離れたくなくなってしまいます。……本当に、どう責任取ってくれるんですか?」


 叶耶は涙を流しながらムッと頬を膨らませる。


「どう責任って言われても……。でも一つ言えるのは、叶耶が思ってよりも、俺の方が叶耶のこと大好きだし、離れたくないと思っているよってぐらいかな」


 俺は困ったように笑う。

 そんな笑みを見て、叶耶も「もう」と言いながら笑みを浮かべていた。

 気がつけば、観覧車は四分の一地点に到達していた。


 そろそろかな……


「叶耶、今からちょっと目を瞑ってくれないかな?」


 叶耶をまっすぐ見つめる。

 すると、彼女は何を思い浮かべたのか、その顔を真紅に染めた。


「えっ、ちょっ、昂輝くん、い、いきなりですかっ⁈」


 両手をパタパタさせ、あきらかに動揺している。

 ただ、何に動揺しているのか見当がつかなかった。


「ん、いきなり? よくわからないけど、変なことはしないから目を閉じてほしいな」

「い、いえ、昂輝くんがしてくれるなら変なことにはならないですし、わ、私も嬉しいですけどっ」

「んーっと、叶耶?」

「あっ、はい、すみませんっ」


 そう謝ると、叶耶はきゅっと目を閉じてくれた。

 少し顔を上げて口をすぼませて。

 別にただ目を閉じるだけでいいんだけどな、と思いながらも、彼女が目を閉じたのを確認すると、彼女に近づく。

 そして、その距離が手を伸ばせば届くというところで腰を下ろした。

 同時に、俺の気配を感じたのか彼女の体がビクンッと震える。


「怖がらなくていいよ」


 優しく彼女に囁く。


「は、はい……」


 彼女のそんないじらしい様子に目を細めながらも、俺は彼女の首に両手を回す。

 そして、


 カチッ


 と、アクセサリーの留め具をとめた。

 彼女の首から両手を離す。


「もう目を開けていいよ」

「……えっ?」


 彼女は俺の声に戸惑いながらゆっくりと瞼を上げた。続いて、ついさっき覚えた首元の違和感から目線を下げる。

 そこには三日月形のペンダントがあった。


「こ、これ……」

「うん、クリスマスプレゼント。メリークリスマス、叶耶」

「も、もしかして、これの準備で今日は遅れたんですか?」


 俺は頭をかいた。


「えーっと、お恥ずかしながら、……そうです」


 はにかむ俺を見て、叶耶がクスクスと笑う。


「なら、遅刻したことはなおさら許さないといけなくなりましたね」

「そう言ってもらえると助かるよ。それとね、そのペンダントには一つ秘密があって……」


 俺は襟元から叶耶とは違う下弦の三日月形のペンダントを取り出した。そして、そのペンダントを首から外し、叶耶のつけているペンダントにくっつける。

 すると、ペンダントの二つが合わさり、一つの満月を作り出した。


「このペンダント、セットものなんだ。だから、叶耶には一方をもらってほしかった。これで、たとえ遠く、もう二度と会えない場所に行くとしても、俺は叶耶を、叶耶は俺を、近くに感じられるから」


 その瞬間、また叶耶の目元から大粒の涙が頬に伝っていくのが見えた。

 彼女はきゅっとペンダントを包む。


「本当にありがとうございます。……一生、大切にしますね」

「うん……」


 叶耶が喜んでくれてよかった。

 満足感を覚えつつ、もとの場所に戻ろうと、彼女から離れようとする。

 しかし、途端に叶耶がもじもじとし始めた。


「ん、どうかした?」

「え、えーっと、こんなことを女の子から言い出したら、はしたないって思われるかもしれませんけど……」

「ん?」


 要領を得ない叶耶に首を傾げる。


「そ、その、さっきのでどうしても我慢できなくなってしまって……。こ、昂輝くん、私にキ、キスをしてくれませんか……?」


 すっかり赤くなった顔を両手で隠し、目だけ出して、俺を見つめてくる。


「キ、キスっ⁈」

「うぅ……、はい……。だ、だって、さっきもしてくれる流れだと思ってしまいましたし……」

「さ、さっき……って、あっ」


 自分の行動を振り返りはっとする。

 たしかに、二人きりの観覧車→「目をつむって」→近寄ってくる、という流れだとその最後は決まっていた。

 あのときは叶耶にプレゼントを喜んでもらえるかで頭がいっぱいだったため、そんなことにまで思考は回っていなかった。


「あはは、……ごめん」


 叶耶はクスッと笑う。


「いいですよ、そんな昂輝くんも可愛いです」


 彼女の笑顔に俺も無意識に表情を緩ませる。

 でもすぐに、こほん、と咳ばらいして、真剣なまなざしで彼女を見つめた。


「では改めて……、叶耶、もう一度目を瞑ってくれないかな?」


「はい♪」


 期待に満ちた声で返事をして、彼女は再び目を閉じた。

 彼女の白い頬に右手を添える。

 その瞬間、彼女の体がビクンッと震えた。


「叶耶、大好きだよ」


 そして、俺は彼女との距離をゼロにした。


「ん……」


 彼女から声が漏れる。そんな彼女のいじらしい反応がたまらなく感じた。

 その時間はまぎれもなく、今まで生きてきたなかで一番幸せな時間だった。


 やがて、自分の唇を彼女から離し、二人して見つめ合う。


「えへへ……、やっぱり恥ずかしいですね」


「う、うん……、でも、叶耶は可愛かった」


「うっ、あ、あの声は忘れてください。そ、その、とても恥ずかしいですから……」


「ごめん、無理かな……」


「そ、そんな……、昂輝くんはいじわるです……」


 叶耶の反応があまりにも愛らしく、また笑みがこぼれた。

 それにつられて、彼女も笑みをこぼす。

 そのとき、二人が乗るゴンドラが観覧車のてっぺんに到達した。

 同時に地上ではパレードの始まりを告げる音楽が奏でられる。

 派手な衣装に身を包んだキャストたちが立つ巨大な乗り物が園内を移動し、それに豆粒のような人がたくさん群がっている。

 遠くを見れば、二人の住む街とその先に広がる海を一望することができた。


「……さて、もうお別れの時間ですね……」


「うん……」


 静かに頷くと、彼女は俺の首の後ろに両手を回してきた。

 俺も彼女の背中に両手を回す。

 彼女が耳元で囁いた。


「それではお願いします……」


「――――【接続コネクト】」


 途端に二人を紫色の粒子が包む。


「《二つの針が天空てんを指す時、お城の鐘は鳴り響く。》」


 目を閉じ、言葉を紡ぐ。

 叶耶の周囲を取り巻く魔力の流れを正確にくみ取り、その流れに逆らわないよう、これを操る。


「《馬車はカボチャに、白馬はネズミに。》」


 母が我が子をあやすように優しく。

 壊れ物を扱うように丁寧に。


 叶耶が耳元で「ずっと、愛しています」と言ったのが聞こえた。

 でも、俺はこの魔導に集中しないといけないため、彼女に言葉を返すことができない。

 代わりに、さっきよりも強い力で彼女を抱きしめた。

 俺も叶耶をずっと愛している、そう伝わるように。


「《さあ、夢のひとときはもう終わり―――》」


 そして、最後の詠唱が終わると同時に、彼女の体は銀色に輝く粒子となって霧散したのだった。


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