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105話

 それから三日間、俺は自室に引き籠った。

 眠っているのか起きているのか分からない生活が続いた。

 母さんは突然俺が引き籠ったことに戸惑いながらも、なぜだか学校に行けとは言わず、一人にしてくれていた。ただ、ご飯だけ部屋の前に置いて。

 スマホには、遼や七海たちからのメッセージがたくさん届いていた。不在着信も何件もあった。

 もちろんその中には、叶耶からのもあった。

 みんな俺のことを心配してくれていた。

 しかし、俺は一向に部屋から出る気分になれなかった。


 ふと視界の端にカレンダーが映った。

 十二月二十四日、クリスマスイブ。あと二日で叶耶は未来に帰らなければならない。

 それ以降は彼女と会うことが出来ない。

 そのことを考えると、これまで幾度となく感じた胸苦しさに再び襲われる。


「叶耶……」


 弱くなった自分を覆い隠すように、毛布にくるまる。

 こうしていたって、叶耶と会えなくなる日は刻々と迫ってくる。

 他人からすれば、そうやって自室に引き籠っている時間こそ無駄に思えるかもしれない。そのまま彼女と会えなくなれば絶対後悔するぞと。

 でも、自分の殻に閉じこもる以外、何もできなかった。

 何も考えられなかった。


「そういえば、叶耶は今日、遊園地に行きたいって言ってたな……」


 まだ俺が叶耶の正体を知る前。まだ叶耶と一緒にいる時間を一番幸せに感じられていたとき。

 一緒に行きたい。

 しかし、一緒に行けばその分、別れのときが辛くなる。


「はあ……」


 口から吐き出された白い息が部屋の空気に紛れて、じわっと消えていく。

 そのとき、


 トントンッ


 ドアをノックする音が聞こえた。


「こうくん、話があるんだけど、部屋に入ってもいい?」


 ドア越しから母さんの声がした。

 しかし、今は誰とも会いたくなかった。


「……ごめん、そっとしておいて」

「そう……」


 悲しげな声だった。

 ただ、母さんは部屋の前から離れようとしなかった。ドアにもたれかかる音が聞こえた。


「……母さん?」


 母さんが何をしたいのか分からなかった。


「それならここで話すわね。……ついさっき、叶耶ちゃんがうちに来たわ」


「っっ⁈」


「叶耶ちゃん、最後にこうくんと会いたいって言っていたわよ。だから今日、遊園地で待っているって。いつまでも待つって言っていたわ」


「……」


「いいの? あの子、こうくんの彼女なんでしょ?」


 母さんの言葉が胸を貫く。


「よくは……ない」


 ぎゅっと毛布を握りしめる。


「でも……、叶耶と会えない。会うのが辛い」


 また母さんがため息をついたように感じた。


「……実はね、叶耶ちゃん、以前にもうちに来たことがあるの。たぶん三週間ぐらい前」


「……えっ?」


「お母さん、そのときにこうくんと叶耶ちゃんのことを全部聞いたわ。そして、叶耶ちゃんの魔導を解呪してくれって頼まれた」


 なるほど、だから母さんは俺の心境を察して、今までそっとしておいてくれたのか……

 ドア越しに母さんは言葉を続ける。


「でもね、さっき叶耶ちゃんはお母さんの解呪を断ったわ」


「なっ⁈」


 タイムリミットまでに解呪してもらわなければ、叶耶は時空の狭間に閉じ込められてしまうはずだ。そして、一度完全に閉じ込められてしまえば、二度とそこから出ることはできないと言っていた。


「お母さんも叶耶ちゃんの魔導のことを聞いていたから、とても驚いたわ。すぐさま『なんで?』って、彼女に訊いた。そしたら、なんって返ってきたと思う?」


「……」


「叶耶ちゃん、こうくんに魔導を解呪してもらいたいんだって。そしたら、こうくんにもう一度会うことができるからって。叶耶ちゃん、こうくんのことをすごく心配していたわよ? このままだと、こうくんに辛い思い出を残したまま別れることになってしまう。だから、もう一度会って、こうくんを笑顔にしたいって。……こうくん、すごく愛されているのね」


 頬に冷たい何かが伝うのを感じた。その何かは毛布に滴り、黒い染みを作り出す。


「な、なんで……」


 その声には嗚咽が混じっていた。

 叶耶は誰かに魔導を解呪してもらわなければ、時空の狭間に閉じ込められてしまう。

 しかし、そうした自分の存在がかかっている状況にもかかわらず、母さんではなく、俺を頼った。

 俺がずっと部屋から出られないかもしれないのに。そしたら、自分はこの世から消えてしまうのに。


「こうくんが逃げ出したくなるのは仕方のないことだと思うわ。叶耶ちゃんに会っても必ず傷つくし、辛くなる。別れるのが辛くなるだけってわかっているのに、会わないといけないなんて状況、どうしたらいいかわからないものね」


 ドア越しからまた、母さんの優しい声が響いてきた。


「でもね、逃げ出すことで他の誰かが不幸になるのなら、逃げだしたらダメ。逃げ出すことで自分が後悔するだけならいいわ。もしかしたら逃げ出した先で何か得られるかもしれないし、逃げ出すことで何かプラスになるかもしれない。そしたら、その後悔が消えてくれるかもしれない。でも、他人を不幸にしてしまったら、逃げた先でどんなにいいことがあったとしても、その他人を不幸にした事実は消えることがない。そして、その事実に対する罪悪感も一生消えない。ずっと、重荷を背負ったまま生きることになるわ。だからね、こうくん、他人を不幸にする逃げ方だけはしてはだめなのよ」


「――っっ⁈」


 母さんの言葉が胸に響いた。

 このまま部屋に閉じこもっていれば、叶耶を不幸にしてしまう。

 彼女は俺のことばかり考えてくれていたのに、そんな彼女にまで辛い思いをさせてしまう。

 不意にお祭りのことが頭をよぎった。


 ――――櫻木さんがずっと笑っていられますように


 俺はそう神様に願った。

 でもこのままだと叶耶は笑っていられない。彼女の幸せを願っていながら、自分がその彼女を不幸にしてしまう。


「そんなのはだめだ……」


 大好きな人にはずっと笑っていてもらわないといけない。たとえ、別れるのが辛くて泣いてしまうとしても、そのとき以外はずっと笑っていてほしい。


 なら自分はこれからどうすべきか?


 そんなことは決まっている。

 俺は纏っていた毛布を離し、ゆっくりと腰を上げる。


「……母さん、ちょっと出かけてくる」


 すると、母さんが目を細めたように感じた。


「……うん、行ってらっしゃい」

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