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化画廊  作者: えひと
3/3

3

 「骨董」と書いた窓ガラスの向こうに、見慣れた顔を見つけて名瀬川(なせかわ) 七世(ななせ)は、「げ」と顔を歪めた。


 緑と黄色のストライプの服を着て三角の眼鏡をかけたラッパと太鼓を持つ人形や、真っ赤なスーツに真っ黒の髭とリボンタイで杖を持った人形のように、どこかで見た事があるような気がするギリギリアウトな人形だとか、床屋のサインポールに、某牛丼チェーンとファーストフードの看板、ぴかぴか点滅する複数のネオンだとか。


 そういう、店先を飾る七世お気に入りの商品(コレクション)を、「ガラクタ」と呼んで憚らない、葬式帰りのような男が嫌いだから、というわけではない。

 男————(つぐみ)は、用がなければ、わざわざ出向いてくるような人間ではなく、その「用」が大抵の場合、面倒だから、困るのだ。


「アニキ」

「品のねぇ呼び方すんじゃねぇよ」

「品のねー人間代表みたいな人が何言ってんですか」


 がらがんがらんと音を立てるベルに不愉快さを隠しもしない鶫は、声を掛けると更に不愉快そうにするので、七世は笑った。

 薄暗い店内がよく似合う不幸そうな顔を、熱帯魚の水槽を照らすブルーライトが、一層不気味にしている。

 帳場に敷いた畳から腰を上げずに、七世は鶫を見上げた。


「落葉さんは?」

「知るか」

「相変わらず仲良しですねぇ」

「その青いまだらの髪の毛、黒いとこだけ全部毟ってやろうか」

「やーん暴力的。そこにシビれる! あこがれるゥ!」


 ゴン!!!!

 両手の拳を握った瞬間、拳が頭に落ちて来た。

 頭蓋に響く音とその威力たるや……! 揺れる。揺れてる。景色が。ぐらんぐらんと。


 これ割れてんじゃねぇの?! 今無事でも後で突然ぶっ倒れるやつ!


 声も出せずにうずくまって震える七世に満足したのか、鶫は椅子に腰かけた。

 ぎ、と小さく鳴る音が哀れに聞こえて、七世はふらふらと顔を上げる。


 骸骨が付いたごてごてとした装飾の椅子は、丁寧に仕上げられた職人こだわりの逸品だ。

 見かけに反して座り心地が良いのだが、七世は未だ、鶫以外にこの椅子に座りたがる客を見たことがない。鶫は客、といってもこの店で買い物をする気は微塵もないので、つまりはこの椅子は売れ残っているわけである。が、それでもまだ七世は諦めていない。


「そ、それ売り物なんで、汚さないでください、ね」


 ちなみに鶫は店に来るたびにこの椅子に座るくせに、購入する気は一切無い。

 腹が立たぬわけではないが、言っても仕方が無いので七世はとうに諦めている。

 鶫の相棒の落葉は、いつも長い髪をツインテールにした独特のセンスを持った大柄の男だが、嫌味なほどスタイルが良く、いつも高級ブランドのスリーピースのスーツを着こなしている。

 対して鶫ときたら、ペラペラの安い喪服と、その辺の量販店で買った革靴を愛用しているのだ。


 いや、()用という言葉にすら、違和感がある。

 この男は単に、興味もこだわりもなければ、執着も無いというだけなのだから。人の心とか持ってないんだろうな、と七世は思っている。

 だって、


「え」


 七世が頭を抱えて涙目で見上げる先で、鶫はライターを見せている。

 火のついていない煙草。掲げる100円ライター。

 まさか。


「灰皿にされたくなきゃ吐け。黒い絵を、お前、どこで手に入れた」

「っ」


 そらきた!

 アイスブレイクどころかブレイクしすぎて逆にアイスなこの空気。

 会話のキャッチボールもコミュニケーションも、ぜんぶ無視してやがる。

 人として大事なものが欠落している、というか多分、落とす前にそもそも持ってつくられてないんだろうな、と七世はへらりと笑った。


「……えっと、とぼけるとか有りですかね」

「好きにすればいい」


 ガシュ、と親指がライターに火をつけやがったので、七世は慌てて両手を振った。


「言います言います! しまってくださいよそれ!」


 フン、と鼻を鳴らした鶫は、緑色のライターをポケットに入れた。

 ただし、手はポケットから出てこない。

 いつでも火をつけるぞ、という言外の脅しに気付いてしまう、賢い己に七世は溜息をついた。


「……俺が黒い絵を売った、って証拠は……って依頼人の証言か。えーっと、」

「七世、俺がお前を気に入っているうちにさっさと吐け。どうせ、かっぱらってきたんだろう」

「いやー、ほら、ね。様式美っていうか。ぺろっと喋れない事くらい、わかってるでしょ?」

「わかってるから無駄だつってんだよ」


 ああ、まあそうか、と七世は後ろ手をついて、鶫を見上げた。

 優雅に足を組んで、七世を見ろす様は堅気に見えない。独特の装飾の椅子が、妙に似合う。死神ってタイトルを後ろに背負ってそうだ。

 この男が画廊の主だと聞いた時を思い出すたんびに、「嘘だろ」と口にしなかった自分を七世は褒めてやりたくなる。口にすれば速攻で蹴り飛ばされただろう。乱暴者でいらっしゃるので。

 しかし。ふうん。


「俺、気に入られてたんだあ」

「気色悪ぃピアス引きちぎられたくなけりゃ、諦めて吐け」

「ひでえ!」


 喜色悪い、とけなされたのは多分、緑の芋虫のルーフピアスだろうな、と七世はピアスを耳ごと手で覆った。

 鶫は虫が嫌いなのだ。

 だが、七世は虫が好きだ。この世で一番。

 このピアスだって、七世のお手製である。

 七世は、客が来るまでの時間を、虫の絵を描いたりアクセサリーをつくったりすることに使っていて、完成品は自分で使う事もあれば、店に並べる事もある。

 そうやって七世が好きな物だけを並べた、七世の城で、偉そうにふんぞり返るこの男には、ロマンがちっともわからないらしい。


 はあ、と七世は溜息をついた。

 鶫はやるといったらやる。躊躇いなく、淀みなく、表情一つ変えずに、やる。鶫の異常性を見抜けず酷い目にあった連中を、七世は嫌というほど知っているのだ。

 馬鹿と同類になる————つまりは、自分の耳が千切れて芋虫ピアスくんが床に転がるのは、想像するだけで嫌だったので、七世は大人しく口を開いた。


「えーっと、まあ、はい。アニキの想像通りですよ。一週間前かな。裏手木(うらてぎ)町のじーさんがやってるアパートで、失踪者が出たんですけど」

「死体じゃなくてか」

「ですです。家具も財布も、なんもかんも、そのまんま。ぜーんぶ置いた状態で、いなくなっちゃったらしくって」

「どんな奴が住んでたんだ」


 つい、と鶫は口元の煙草を揺らした。

 なんか咥えてないとダメとか赤ちゃんかな? なんて、思っても言わない。七世は賢いのである。


「画家です。家賃滞納、常習犯の」

「売れない画家か」

「そそ。それがここ最近、貯めてた家賃は払うし、羽振りが良かったらしくって、じゃあってことで、じーさんも二か月くらい待ってやってたらしいんでけすどね。結局、本人には連絡つかねぇし、母親は要件最後まで聞かずに電話切るし、二か月分の家賃は溜まってるし、ってんで、部屋を片すことにしたらしくって。ほら、あのじーさんも大概、モラルないでしょ? 金になるモンがあれば引き取ってほしいつって、呼ばれたんですよねー」


 ちなみにこれ、がっつり違法である。

 通報されれば大家も七世もタダではすまないのだけれど、鶫には常識とか倫理観とかが、ミリ単位どころか、ナノ単位で探してもピコ単位で探しても見当たらないから大丈夫。

 良い子のみんなは真似をしてはならない。七世のようなクソ人間になってしまう。いや、誰がクソ人間だ。


「えーっと、あの黒い絵は、部屋に置かれてましたよ。なんだっけ、あの、絵を描くときに使う木のやつ。ディーゼル?」

「イーゼル」

「あ、それそれ。ディーゼルって車じゃん!」


 七世が公道をパワフルに走る絵を想像して笑うと、ガン、と鶫に帳場の側面を蹴られた。

 この男なら蹴り抜きかねない。常識も倫理観も優しさも探すだけ無駄な男なのだから、七世は慌てて話を戻した。


「えと、イーゼル、に、あの絵は立てかけたまんまで、絵の具とか筆も散らばってました」

「絵の具も?」

「はい。夜逃げ、っつーより、ほんとに突然いなくなった、って感じの部屋でしたねぇ。飲みかけのコーヒーとかあったし」


 ふうん、と鶫はまた煙草を揺らした。

 何か考えているらしい、目つきの悪い顔を、じっと七世は見上げた。


「あのおっさんが、アニキになんか依頼したんですか」

「……なんだと思う」


 問われて、七世は素直に首を傾げた。

 絵を買い求めたのは、いかにもエリート商社マン、といった風貌の男だった。

 パリッとした高そうなスーツと、綺麗に磨かれた眼鏡が嫌味な男だ。

 あまり七世の店に来ないタイプの客で、やけに興奮したように「あの絵を売ってくれ」と言うので、七世もよく覚えている。


「……変なおっさんだったんですよねぇ。ふっかけても、文句ひとつ言わなくて。カードで一括」

「この店カード使えたのか」

「その椅子もカード使えますよ。300万。どうです」

「頭おかしいんじゃねぇの」

「ホント酷いな!」


 その椅子なんだかんだ気に入っているくせに! と七世が抗議しても、どこ吹く風。鶫の冷たい無表情に、一生懸命に椅子を作り上げた若い職人を想って、七世は心で泣いた。

 俺じゃこの人に椅子を買わせらんねぇ……。


「で?」


 鶫は、不幸と不健康を、それこそ絵に描いたみたいな顔で続きを促すので、七世は、あらと眉を上げた。

 殴られるか蹴られるか、と思ったのに手も足も飛んでこない。


 どうやら、鶫は機嫌が良いらしい。

 店に現れた時はそうでもなかった。でなければ脅されるわけが……いや、鶫の短気と横暴さはいつものことだ。機嫌の良し悪しに左右されるような、そんなまともな男ではない。

 では会話の何かが、気に入ったのだろう。一体、何が?


 ———わかるわけねぇわ。


 鶫を理解しようとするくらいなら、難関大学合格でも目指した方がよっぽど簡単で有意義だ。

 機嫌が良いならそれで良し。七世はへらりと笑った。

 

「宅配にしようって言ったんですけど、『彼女に俺以外の男は触れさせない』『彼女は家に帰りたがっている』とか、意味わかんねーこと言ってたんですよ。ねえあれ、真っ黒ですよね?」

「……へえ」


 会話になっていない。質問の答えが、「へえ」って。

 七世には、ちっともわけがわからないが、鶫には何かみえたんだろう。したり顔で頷くので、七世は溜息をついた。


「よくわかんねーけど、あの絵、ヤバいんですね?」

「置いてても何も無かったんだろ。なら、お前は大丈夫なんだろうよ」

「え、ガチじゃん」


 鶫が動いている事こそがその答えではあるけれど。

 改めて言われると寒気がして、七世は両腕をさすった。


「えー、なんか、定食屋で相席した奴が殺人犯だった、って後で聞いた感じの恐怖なんですけど」

「お前、そういう真っ当な感情あんのか」


 へえ、と鶫が器用に八の字眉を上げるので、七世は「はあ?」と声を上げた。

 まったくもって、甚だ心外であった。


「人をイカれてるみたいに言わないでくださいよ。俺の知る限り、アンタほどイカれてる奴はいませんよ」

 

 げえ、と舌を出すと、鶫が、足を動かした。

 蹴り殺されるんだろうか、と肝が冷えた七世であるが、鶫は、怒るどころか足を組み替えただけだった。

 怯えるくらいなら言わなければ良い話なのだが、思考より先に言葉が口を出発したのだから仕方が無い。こっそり開き直る七世を、鶫は静かに見下ろした。


「落葉がいんだろ」


 思った以上に機嫌が良いらしい。

 鶫が雑談をするのは珍しいので、七世は鶫の言葉に乗っかった。 


「あのサイコパスは、自分がヤベーってこと、わかってないでしょ。自分がイカれてるってわかったうえで、しっかりイカれてるアンタのがよっぽどブキミですよ」


 鶫は、表情を変えない。

 自覚があるからだろう。

 七世が「君、七世だよね」と言われて、怒るわけがないように。ただ、「そうだけど」と返すように。

 鶫は、自分が、異質であることを自覚したうえで、それを隠しもしなければ、恥じる事もしない。

 それが、七世は恐ろしい。


「ボーダーラインを知らずに踏み越える奴より、ボーダーラインを知ったうえで踏みにじる奴の方が、よっぽどイカれてますよ」


 七世は鶫の事がわからない。

 わかりたいとも、思わない。

 誰もが当たり前としている、踏み越えれば人として大切な何かを失うであろうボーダーラインを、安い革靴で汚す男の気持ちなんか、知りたくもない。


 でも、わかってしまうのだ。


 物に頓着しないし執着もしない。そんな男が、画廊を営む理由は、多分、純粋な好奇心だろう、と。

 態度もガラも口も性格も悪いが、多分、この男は、人間が好きなのだ。

 それはもう、歪みに歪みまくった、異質な愛情であるが。


 だから、

 

「へえ」


 時折、こうして、悪戯に笑ってみせる。


「お、おこんないん、ですか……!」


 思わずクッションにしている大きなグリズリーのぬいぐるみを抱きしめると、七世はがたりと立ち上がった。


「ひっ」


 殺される、と思ったがしかし、鶫は鼻で笑う事すらせず、背を向ける。

 薄い背中が出入り口を目指すので、七世はほっと息を吐いた。

 怯えるくらいなら言わなけりゃあ、良いのだけれど。この物騒な狂人にいらぬことを言うのを止められない。そんな自分が七世は結構好きだ。


「ああ、その椅子」


 ふと、鶫が振り返った。

 煙草をぱきりと折って、鶫はにやりと笑う。愉快そうなのが、不吉で不気味な笑顔で。


「もの好きな客がいても、売るなよ」

「ぎゃあ! え! なに! なんかあるんすか!」


 それなりに愛着を持っていたはずの商品(コレクション)が、急に禍々しいものに見えて叫ぶ七世に、放り投げられたのは、たった一言。


「さて」



 最低だあんた! と叫んでも、鶫との付き合いを切れない自分が、七世はちょっとだけ嫌いになりそうだった。


 





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