憧れの知識チート。(多分、違う)
「私にも手伝わせてもらえませんか?」
思わず声をかけると、ハナちゃんが縋るようにこちらを見てきた。
「アンさん……、いいんですか……?」
「構いません。ただ、どれくらいの戦力になるかは、ちょっと……」
ハナちゃんは事務所の隅から畳んだパイプ椅子を持ってくると、それをがたがたと広げた。
「どうぞ、アンさん。座って下さい」
「ありがとうございます」
私が椅子に座ると、ハナちゃんはその向かいの椅子に座る。男二人は立ったままだが、あれはまあそれで良かろう。
「では少々お訊ねしますが……、これまで接客の経験は?」
唐突に面接始まったぞ……。
「コンビニのアルバイトと、夏の間だけですが海の家のアルバイトを少々」
当然、前世の話だ。
今は私は、アルバイトの必要のないおぜうさまだ。……月の小遣い、五千円だけど。
「海の家では、調理なんかはされましたか?」
「調理自体はオーナーの仕事ですけど、盛り付けと配膳なんかはやりましたね」
そこまで言って、思い出した。
「あと、スーパーの惣菜部門でアルバイトを……」
「惣菜部門!!」
ハナちゃんが嬉しそうに声を上げた。
……うん。そうなりますよね。
ハナちゃんとこ、お惣菜やってるもんね。
「アンさん! ちょっとこちらへ来ていただけますか!?」
ガタッと椅子から立ち上がり、ハナちゃんが私の手をぐいぐいと引っ張る。
それに従って歩いていくと、お店の作業室へと連れていかれた。
作業室内は業務用のフライヤー、オーブン、でかい作業用のテーブルなどが置かれている。……すげぇ。まんまスーパーの惣菜コーナーっぽい……。
「揚げ物なんかは、出来そうですか!?」
「えーと、ちょっと見せて下さいね」
フライヤーに近寄ってみる。
……やべぇ。これまんま、前世バイトしてたスーパーのヤツとおんなじだ。企業ロゴなんかは違うけれど、ボタン配置やらはまんま同じ。
オーブンにも近寄ってみる。
オーブンと言っても、ご家庭にあるようなものではない。『業務用スチームコンベクションオーブン』、略して『スチコン』と呼ばれるものだ。
こちらはバイト先とは違っているが、使い方にはそう変わりはないだろう。
「ハナさん……」
「何でしょう?」
振り向くと、祈るように胸の前で手を組み合わせたハナちゃんが、期待するような目でこちらを見ていた。
そのハナちゃんに、私はゆっくりと頷く。
何の頷きかは知らんが、取り敢えず頷く。それにハナちゃんが、更に期待に目を輝かせた。
「アンさん、もしかして……」
「『知識チートで私Sugeee』の出番のようです……!」
「おお、神よ……!!」
感極まったように呟くと、ハナちゃんは私にがばっと抱き着いてきた。
男二人はそれを不思議なものを見るように眺めている。とりあえず、あの二人は今は無視だ。
それから私は、ハナちゃんと明日の簡単な打ち合わせをした。
九時開店なので、八時には作業を開始したい事。バイト代は時給千円という事。簡単なレシピは、ハナちゃんが今日の内に用意しておいてくれるという事、などなど。
時給に関しては要らないと言ったのだが、ハナちゃんにすごい剣幕で「ダメです! ウチが監督署に怒られますから!」と言われてしまった。
どうやらこの世界の労基監督署は、かなりきっちりと働くようだ。ええ事や……。
ブラック企業過労死系転生者、この国においでよ。私の『時給千円』も、殆ど最低賃金スレスレって話だよ。
ついでに何だか、フランツも明日・明後日と一緒に働くらしい。
ハナちゃんに「これ、書いてきて貰えますか?」と、労働契約書を貰い、その日は家に帰った。
余談だが、タウルス君は無給だ。騎士団が副業を禁止しているという理由と、もう一つ、彼は『経営者親族』という括りなのだそうだ。
あらま~……。そうざんすか……。もう話はそこまで進んじゃってるんですか……。
いいですわねぇ。
その話をするハナちゃんは少し照れているように頬を染めていて、そのハナちゃんを見守るタウルス君はとても優しい笑顔だった。
……ヘンッ!! 悔しくなんてないもんね!!
たとえ貴族のお嬢様なのに、今まで縁談の一つもなかったとしても、悔しくなんてない!!
まだ十六歳なんだ! まだまだ、私の青春はこれからだ!! 私はまだ、この『青春坂』を登り始めたばかりだからな!!
とりあえず、明日は私の知識チートが火を噴くぜ!!
やってやらぁ! おー!!(ヤケクソ)
* * *
八時までにはハナちゃんちに……って事は、私は七時過ぎには家を出なければならない。という事は、身支度の時間なんかを逆算して五時半には起きていなければならない。
家に帰り、契約書をささっと記入し、保護者の承認印を父に貰った。
その際父から「お小遣い、足りてないのか?」と言われたが、そうではなく友達が困ってるからと説明したら、「何て優しい子なんだろう!」と感激された。
……いや、ぶっちゃけちゃうと、小遣いも少ないとは思ってるけどもね。
あと、ベッドの下の炊飯器、マジで回収されるそうだ。今更隠し場所変えても、もう『ある』って事はバレてんだもんな……。
覚えとけよ、フランツ……! ホットプレートは何とか死守したが、炊飯器……! 私の二万円……!!
はー……、余計な事言わなきゃ良かったよ。
ブツブツ言ってたら、執事が二万円入った封筒をくれた。
それでもいいけど、炊飯器返してよ。あれないと、ご飯炊けないじゃん。折角買ったふりかけ、無駄になんじゃん。
でもこの二万と、ハナちゃんとこのバイト代合わせたら、もっとハイスペックな炊飯器買えるんじゃない!? そーだよ! 今度、もっといいヤツ買っちゃおう!
バイトの目標も定まり、私は明日の為に九時には就寝したのだった。
翌日は良きお天気であった。
身支度をし、フランツ君を伴いてくてく四十分……。馬車……、馬車を出してくれ……。じゃなきゃせめて、チャリ貸してくれ……。
「おはようございます」
ハナちゃんのおうちに到着し、事務所に顔を出すと、ハナちゃんとタウルス君が「おはようございます」と揃って挨拶してくれた。
昨日書いてきた契約書の入った封筒をハナちゃんに渡すと、ハナちゃんはそこから書類を取り出しざっと目を通し「はい、確かに受け取りました。……こちら、アンさんとフランツさんの控えです」と封筒を返してくれた。
「これ、アンさんとフランツさんのタイムカードです。ここに機械あるんで、忘れずに打刻してください」
言いつつ、ハナちゃんが二枚のタイムカードを手渡してくれた。
フランツと揃って、忘れないうちにタイムレコーダーでがちゃこと打刻する。レコーダーの脇の壁に、カードを入れておくホルダーがあったので、そこにカードを突っ込んでおく。
……ていうか、異世界転生してまでタイムカード打刻するとか思わなかったわ……。
いや、そもそも、その転生した異世界自体がかなり「思てたんと違う!」て感じではあるけども。
ハナちゃんに割烹着を借り、頭にはネットの付いたキャップを被る。
クッソ懐かしい。まさにスーパーのバイト気分。
作業室内のステンレスの壁面に、マグネットでレシピがずらーっと貼り付けられている。
「ハナさん、大変だったでしょう?」
ざっと見てもニ十種類はある。全部手書きだ。
「それ程でもないですよ。いつかバイトさんかパートさんが来た日の為にと思って、事前に用意してある分もありましたから」
ハナちゃんはそう言って笑ってくれる。優しい♡
作業室に隣接している冷蔵庫と冷凍庫に案内され、今日作る分はここからここまで全部です!と爽やかな笑顔で言われ、ちょっと笑顔が引き攣ってしまった。
冷蔵庫にはクリーム色の番重が天井近くまで積み上げられているし、冷凍庫も同じような状況だ。
「が……、頑張ります……」
「はい! 一緒に頑張りましょう!」
ぎゅっと拳を握って微笑むハナちゃんが、泪橋のおっちゃんに見えた……。
そこからはもう、戦場のようだった……。
フライヤーに揚げ物を突っ込みタイマーをセット。その間にスチコンにもハンバーグなどを突っ込み、タイマーセット。
時間までの間は洗い物と詰め作業。
気付いたら開店時間を過ぎており、ハナちゃんとタウルス君は接客でてんてこ舞い。
「肉じゃがコロッケ、早めにお願いします!」
「はい!!」
切れそうな品物を補充しつつ、揚げ物して、洗い物して、詰め作業して……。
冷蔵庫と冷凍庫の中の『今日』と書かれた付箋が貼られた番重が片付いたのは、夕方四時だった。
働いた……。すんげー働いた……。
冷蔵庫の中が空になった事をハナちゃんに告げると、「じゃあ、今日は上がって下さい。明日も宜しくお願いします」と言われたので、タイムカードにがちゃこと打刻して家へ帰った。
セール最終日の翌日も、前日同様に良く働いた。
「そういやお嬢、『知識チート』って何スか?」
ちょっと作業に慣れてきて、話をする余裕が出来たらしいフランツに訊ねられた。
「前世の記憶を活かして、転生先で知識ひけらかして『スゲー』って崇められる事だわね」
「……いけ好かねぇチートっすね」
「チート自体がいけ好かない行為じゃない?」
「まあ、そりゃそっすね」
なんせ『チート』は、英語……いや、ライス帝国語で『イカサマ』や『誑かす』という意味だ。
「ていうか大体、前世あった『異世界転生モノ』の話に出て来る『知識チートで俺Sugeee』って、文明レベルが大分低い場所で、自分にとって簡単な常識みたいな事言って『そんな発想はなかった!』とか言われるような代物だけどもね」
「具体的に、例えば?」
「例えば……、流行病を防ぐために、村人に手洗いうがいを励行する……とか? そんで実際、国中で病気が流行ってても、その村だけピンシャンしてて『何故だ!?』とかなった時に、村人が『あの人が手を洗ってうがいをしろと言ったので』とか言って。……で、国の偉い人とかが『たったそれだけで病を防ぐなど……!』とか感動して……」
あ。
フランツの顔が「うわぁ……」てなってる。
いや、気持ちは分からんでもない。分からんでもないが、そこまでにしとこうか。
「……何となく分かりました」
「察してくれて、助かるわ」
まあ、知識チートにも二種類あるけどね。
周囲の知識レベルが極端に低いか、自身がフォン・ノイマンばりの真の天才か、みたいな。ていうか、この世界にもノイマン生まれねぇかな。スチコンの制御がタッチパネルなのに、パソコンないとかおかし過ぎるだろ。
「そんで、聞いて思ったんすけどね……」
フランツはピーピーと電子音を鳴らすスチコンへと向かうと、中から焼き上がったハンバーグを取り出しながら言った。
「お嬢がやってんの、『知識チート』じゃなくて、ただ単に『前職の経験を活かしたバイト』なんじゃないすかね?」
「…………あぁッ!?」
言われてみたら、その通りだ!!
「……憧れてたのに……、知識チート……」
武力やらチートスキルで無双とかより、知識チートで賢人ぶりたかったのに……。
「さっきのお嬢の説明からすると、『この世界にない発想』を持ち込まなきゃなんないんじゃないすかね?」
「……仰る通りすぐる……」
ガックリだ!
ちょっとガックリしてテンションの落ちた私は、フランツに「お嬢、スピード落ちてますよー」と言われながら、残りの作業をこなす事になったのだった。




