ぬいぐるみ部にいたい
各駅停車を降りてから、すぐに走った。始業時間は過ぎている。美雨がそこにいるという保証はないけど僕は朝の人でごった返した駅前を人をすり抜けて行った。きっと遅くてダサい走り方だったと思う。それでも、僕は全速力だった。
広場に着くと、やはり美雨はいた。中央の植え込みの前に立っていた。周りに誰もいなかった。初めて会った時よりも大人びていた。
僕は思い切って美雨の前に立った。
「……美雨、ごめんなさい」
僕はやっとの事で、広場の外を歩いている人たちの声でかき消されそうなくらい小さくそう言った。
「……優」
美雨は静かに顔を上げた。僕は美雨の顔をしっかりと見ることはできなかったが、驚いてはいないように思えた。
「……忘れちゃってたんだ」
「……何を?」
「……何かを全力でやる上で、一番大切なことを」
「……」
美雨は何も言わなかった。しかし、小さく口をが動いていた。
「これ……」
ぼくは美雨に紙の束を差し出した。
「なんで……私、もう見たくもないと思って……」
美雨は心底驚いていて、泣きそうな声だった。
「美雨の下駄箱にあったのを、持ってきたんだ」
「……どうして、破ったのに……私、破ったよ」
「貼り合わせた。徹夜で」
僕は昨日一睡もしていない。貼り合わせるのは大変というか、最難関レベルのパズルかと思った。それでも、僕は絶対に完成させたかった。
「……優、頭おかしい……なんでそんなことに一夜費やすの」
「面白いと思ってほしい、感動させたい、そう美雨が全力で想いを込めたことを知っているから」
僕は美雨に強く、はっきりと言った。誰かが聞けば幼稚なことを言っているように聞こえるかもしれない。それでも、僕はきちんと言った。
「……そうなんだ」
美雨は植え込みの前の雑草に向かって、小さな声を発した。だけど、僕はわかった。初めてここで、美雨と話した時、美雨はぬいぐるみを作るのが好きな僕を馬鹿にしなかった。そして、今も、美雨は馬鹿にしていない。
「僕さ、えりかから、これもらったんだ」
僕は鞄の中からえりかが作ったうみがてのぬいぐるみを出して、両手に乗せた。
「これ、なんのぬいぐるみ?」
「うみがめ、だって」
「……」
「あと、手紙も」
僕は手紙を美雨に手渡す。
美雨はそれを広げて黙って読んでいた。長い時間かけて、見つめていた。
「僕、ここ最近ずっと、脚本とか、ぬいぐるみのクオリティを上げることばっかり考えてた。そして、ぬいぐるみに、ぬいぐるみ劇に想いを込めることを、忘れていたんだ」
「……」
「ぬいぐるみに、そして脚本に想いを込めている美雨と、これまでぬいぐるみを一緒につくってきた美雨と、ぬいぐるみ劇がやりたいんだ。ぬいぐるみを作りたいんだ」
僕は頭を下げた。視界には地面と雑草しかない。
鼻で笑われて、断られて、怒られて当たり前。僕は美雨を傷つけてしまった。今更思い出したのどうのと言っても所詮、ただの口先だ。
それなのに、
「……ごめんなさい……私も、優と、みんなとぬいぐるみ部にいたい」
そう、美雨の声が聞こえ、僕は顔を上げる。美雨がこちらを見つめていた。
初めて出会った時より、大人びていた。それでもやはり、美雨は童顔だった。
「……学校行こう。私、つばきに謝んなきゃ」
「……そうだな。もう、授業始まってるもんな」
美雨が僕に手紙を返した。僕はそれをぬいぐるみと一緒に大切にしまい、美雨は脚本の束を鞄に入れた。
そんな時期ではないはずなのに、なぜか一瞬、足元の雑草が、小さなピンク色の花を咲かせているように見えた。




