35
エリーゼは小鳥を保健室に預け、ラウレ司教のもとへ向かった。
居場所は分かってる。リリスを探している時、ラウレがアイルを連れて洗礼堂の方へ移動している姿を見た。逃げ出したエリーゼに代わって、アイルが事情聴取を受ける流れになったようだ。
しかし、洗礼堂に入ったエリーゼを迎えたのは、ラウレではなかった。
そこにいるのは、紫のキャソックを纏う老齢の女。
「殊勝な心掛けですね。そちらから来てくれましたか」
「猊下……」
枢機卿のエメステリアは、エリーゼの姿を静かに見つめる。
「……アイルは?」
「彼への事情聴取は済みました。すれ違いになってしまったようですね」
そう言ってエメステリアは、洗礼堂の中心へ移動する。
「そちらへお座りください」
エメステリアが椅子に腰を下ろす。
エリーゼは促された通り、その対面の椅子へ座った。
アイルは私のことをどう説明しただろうか?
エリーゼは考えて、すぐに結論を出した。……あのお人好しの少年のことだ、自分の口からは説明できないとか言って誤魔化したのだろう。或いは、複雑な事情があるとか言って、情状酌量の余地を求めたに違いない。
「私が全部やりました」
全ての責任から、逃げる気はなかった。
罪を告白するエリーゼに対し、エメステリアは小さく溜息を零す。
沈黙が続いた。きっとこの沈黙は、自分をどの地獄に送るべきか思案している時間なのだろうとエリーゼは思った。
だが、エメステリアの口から放たれた言葉は、エリーゼにとって完全に予想外のものだった。
「結論から伝えると、今回の件は事故として処理することが決定しました」
「………………は?」
それは、つまり……。
火災が人為的なものであるという事実を、揉み消すということか?
「ど、どうして……」
困惑するエリーゼ。
エメステリアは、そんな彼女を細めた目で見据えた。
「どうしてだと思いますか?」
真意が読めない、不気味な問いかけが繰り出された。
しかしエメステリアが醸し出す迫力を感じて、エリーゼ察した。この問いかけは、自身の未来を左右するほど大事なものなのだと。
火災の真相を隠蔽する。そこに理由があるとしたら、第三者からの詮索を避けるためだろう。これは自然発生した不可避で理不尽の事故だったと公表すれば、この件を深掘りしようとする輩は確実に減るはずだ。
つまり、詮索されたくない何かが今回の火災に関わっている。
仮にその何かの正体が、人だとした場合……。
この火災に直接関わっている人物は、エリーゼの他にもう一人しかいない。
「…………………………アイル?」
「その通り」
エメステリアは首肯する。
「深慮遠謀は貴女の美徳です。背負う過去が重すぎたゆえに今回は軽はずみな行動に出てしまったようですが、貴女の将来には期待を感じています」
エメステリアはエリーゼの過去を知っているような口振りだった。
自分の口から誰かに説明した記憶はあまりない。だが、エリーゼの両親がイシリス教徒であることや、彼らが獄炎の日に亡くなったことは、教会関係者なら簡単に調べられるだろう。
「私の言いたいこと、分かりますね?」
「…………はい」
有無を言わせぬエメステリアの迫力に、エリーゼは冷や汗を垂らした。
エメステリアは深謀遠慮を期待すると言っていた。
要するに、その慎重さを活かして何かをしろと言っている。
「貴女には、アイル=レイカーの監視役になってもらいます」
エメステリアが下した指令は、エリーゼにとって予想の範疇だった。
学園の校舎に火を点けた罪はあまりにも重いはずだ。だがエメステリアは、それよりもアイルの監視を優先し、エリーゼの罪を揉み消した。
どのような真意があるのか、エリーゼにはまるで理解できない。
従順に監視役を務め続ければ、いつか語られる日は来るのだろうか。
「今回の件に関する話は、以上です」
その言い方に、エリーゼは引っかかりを覚えた。
まるで、他にも重大な話があるかのような……。
「エリーゼさん。貴女は獄炎の日、教会の近くにいたそうですね」
エリーゼは緊張を押し殺して頷いた。
「嫌な記憶かと思いますが、今一度鮮明に思い出してください。……あの日、教会が焼けた時、何かおかしなものを見ませんでしたか?」
妙な質問だと思ったが、言われた通りあの日のことを思い出した。
当時の記憶を鮮明に思い出すのは容易なことだった。あの日のことは忘れもしない。忘れたくても忘れられない。瞼の裏に焼き付いて、未だに夢に見るあの光景を、今更遠ざける気もさらさらない。
「…………そういえば」
ずっと気のせいだと思っていた。
しかし改めて尋ねられると、違和感が強くなる。
「夜だったし、見間違いかもしれませんけど…………」
エリーゼは自信なさげに答える。
「炎が、黒かったような…………」
◆
唇を噛みながら、リリスは廊下を早足で歩いていた。
見つからない。この緊急事態に、あの老婆はどこへ行ったというのか。
一刻も早く話を聞かねばならないというのに――。
「エメステリア…………ッ」
噛んだ唇から血が出てきた。
鉄の味を感じてもなお、リリスは込み上げた怒りを抑えきれない。
すぐに屋内へ入ったとはいえ、雨に打たれたせいでリリスの髪は濡れていた。垂れ落ちる水滴が唇の血を流し、純白の制服に一点の赤を零す。
正面の廊下からラウレが歩いてきた。
ラウレはこちらに気づき、近づいて来る。リリスも丁度いいと思いラウレに近づく。
「聖女様、こちらにいらっしゃい――」
「――エメステリアはどこにいますかッ!!」
リリスの激しい剣幕に、ラウレは鼻白んだ。
日頃、感情を表に出さないリリスの激情は、ラウレにとってあまりにも想定外だった。
「せ、洗礼堂に……」
ラウレが辛うじて答えると、リリスは走って洗礼堂へ向かった。
頭にこびりついた光景が、先程からずっとリリスの余裕を奪っている。
空に舞い上がった光の粒子。直後、どこからともなく現れた雨雲。
そんなはずがない……。
そんなはずがない……ッ。
「奇跡は……神に愛された者だけが使える力……ッ」
強く歯軋りしながら、リリスは呟いた。
「聖女である私だけの力だと、貴女は言ったはずです……ッ!!」
幼い頃、エメステリアに告げられたこの言葉をリリスが忘れた日は一度もない。
洗礼堂へ向かうと、丁度そのドアが開き、二人の人物が姿を現わした。
エメステリアがリリスの来訪に気づき、微かに驚く。その背後にいる紺色の髪の少女が、リリスを見て何かを言いたそうにしていたが、リリスはその視線を無視してエメステリアに詰め寄った。
「聖女様? 何故こちらに……」
「答えなさい、エメステリア」
血走った目で、リリスは問う。
「あれは……私の見間違いですね?」
エメステリアは問いの真意をすぐに悟った。
ゆえに、聖女の求める言葉を口にする。
「ええ――ただの見間違いですよ」
2章終了です!
ブックマークへの追加や、下にある☆☆☆☆☆から評価していただければ、執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。




