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デミゴッドの導き ~少年は神学校で成り上がる~  作者: サケ/坂石遊作
2章 神学科の生徒たち

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 なんだかんだ、課外授業は全員が合格した。

 しかしそのうちの大半は、これは自身の実力ではなく、先人たちの築き上げてきた信頼によるものだと痛感していた。宗教離れが加速する現代でも、王都の住人の中には神学科生というだけで気さくに声をかける者がたくさんいる。彼らの態度に救われた生徒が多かった。


 或いは、この学びを得ることが課外授業の最大の目的だったのかもしれない。

 イシリス教徒という肩書きは、時を越えて多くの教徒たちの間で共有される。先人の築いた信頼は今を生きる自分たちの支えとなるし、そしてその恩恵を受けた以上、自分たちも後進のために信頼を築かねばならない。一人一人が当事者意識を持って、市民の信頼を得る。それこそが、獄炎の日に失ってしまった信仰の回復に繋がるのだと生徒たちは理解した。


 だが理解したとしても、協力するかどうかは個人の判断に委ねられる。

 エリーゼはまだ――迷っていた。


「……ふぅ」


 早朝。目を覚ましたエリーゼは、イシリス神へ祈りを捧げた。

 だが何も感じない。ある日、いきなりイシリス神の声が聞こえるとか、ある時、いきなり不思議な力に目覚めるとか、そういうものは一切ない。


 いつも、この瞬間が苦痛だった。

 他の信者とは背負っている過去が違う。

 エリーゼは、神を信じるために祈っている。


(神様は……いる)


 きっといる。

 いるはず。


 でも……。

 それなら、パパとママは…………。

 祈りを捧げ続けたパパとママは、どうして死んだの…………?


(…………神様は、いる)


 強く自分に言い聞かせる。

 神様はいる。ちゃんと自分たちを見つめている。

 そう思わなければ――――やってられない。


 祈りを捧げた後、窓を開けると一羽の鳥が飛び込んできた。見慣れた夕焼け色の羽毛を見て、エリーゼは微笑んだ。


「あなたは自由でいいわね」


 小鳥は机の上に降り、そこに置いてあった木の実を啄んだ。

 エリーゼが昨日、中庭で採ってきた木の実だった。この小鳥の好物だ。


 エリーゼが聖女と出会う前、今よりもずっとイシリス神の存在を疑っていた時、この小鳥は唐突に姿を現わした。廊下を歩いているといきなり肩に乗られ、そのまま部屋に戻っても逃げる様子がなく、気まぐれに餌をやるとすっかり懐かれたのだ。


 部屋に来るだけでなく、授業中にも肩に止まられることが何度かあった。元々、動物が好きでも嫌いでもなかったエリーゼだが、流石に情が湧いた。同時に、この鳥の生き様を羨ましく感じた。


 鳥は自由だった。部屋の窓を開けても入ってこない日があるし、かと思えば窓を開けてもずっと部屋から出ない日もある。


 好きな時に止まり、好きな時に飛び立つ。

 飛び立つ小鳥の翼からは、一切の恐れを感じない。


 きっと、この小鳥に導きは不要だった。

 何かを信じないと生きていけない、脆弱な人間と違って……。


「……私は行くからね」


 窓を少しだけ開けたまま、エリーゼは部屋を出た。

 神学科の教室に向かう前に、洗礼堂の方へ寄り道する。


 洗礼堂の裏にはイシリス神の像が鎮座していた。既に朝の祈りは済ませているが、この像にも祈りを捧げておく。


 所作の途中、アイルに綺麗だったと評価されたことを思い出した。

 見てくれは立派らしい。

 後は、中身さえ伴えば……。


(……信じるしかない)


 エリーゼは祈る。

 神様はいるのだと信じるために。


(お願い……私を引き留めて)


 これ以上、私に疑わせないで。




 ◆




 朝の食堂で、エリーゼたちはいつも通りリリスに尽くしていた。


「聖女様、こちらの席をどうぞ」


 家来の一人である男子生徒が、リリスを席へ案内する。

 椅子に腰を下ろし、リリスはカラトリーを手にしたが、料理には手をつけなかった。


「……聖女様?」


 水は出した。料理も出した。できるだけ静かな席も用意した。

 なのに、リリスは食事を始めない。

 家来たちは、自分たちが何か間違いを犯したのかと思った。


「この世界に、聖女は二人いると思いますか?」


 唐突にリリスが問いかけた。

 それが独り言ではなく、家来たちに対するものだと気づくのに少し遅れる。

 だが、気づいたところで問いの意図が読めない。


「イシリス神は、私のような存在をこの世界で二人も創ると思いますか?」


 続いて問いかけたリリスの口調には、微かな棘が隠れていた。

 問いの意図は分からないが、その棘に気づいた瞬間、家来たちは()()()()()()()()()()()を理解した。


「いえ、そんなことはありません」


「イシリス神の恩寵を誰よりも受け取っている人物。それこそが聖女であり、貴女です」


 頭の回転が速い二人の家来が、迅速に告げる。

 リリスは「そうですか」と相槌を打って、食事を始めた。


 英才教育を受けた貴族のように、リリスは音を立てることなく丁寧な所作で食事を進める。

 その姿を見つめながら、エリーゼは意を決して口を開いた。


「聖女様」


 家来たちがぎょっとした。

 リリスは静かな空間での食事を好む。だから食事中の会話は禁止というのが暗黙の了解だった。


 だがエリーゼは、その不文律を破ってでも尋ねたいことがあった。

 そのくらい切羽詰まっていた。


「貴女の特別な力を、もう一度私に見せていただけませんか」


 心からお願いするエリーゼに、リリスは一口水を飲んで答える。


「私、貴女に見せたことがありましたか?」


「……以前、中庭でエメステリア猊下と話し込みながら何かしていたのを、偶々覗いてしまいました。……あの時は、花を咲かせていたかと思います」


「ああ、あれですか」


 エリーゼにとっては人生を揺さぶるほどの光景だったが、リリスの反応は大したものではなかった。

 あの時、リリスは光の粒子を操り、中庭に一輪の花を咲かせていた。その花は今も残っており、虫たちが蜜を運んでいる。リリスの創造した花は生態系に溶け込んでいる。一時的な紛い物を生み出す魔法とはわけが違った。無から有を生み出す奇跡。それはまさしく創造主の芸当であると、エリーゼは感嘆した。


「あれは練習してたんです。あの力は消費が激しいので、節約できないかと」


 ただの、練習。

 自身が長らく奇跡だと感じていたものが、その実、何でもない練習に過ぎなかったとエリーゼは知る。


 何かが崩れそうだった。

 自身を支えている足元の土台に、ピシリと亀裂が走った気がした。


「お願いです。もう一度、私にあれを見せていただけませんか?」


「お断りします。あの力は無闇に使うものではありません」


 練習では使うくせに――――?

 咄嗟に出そうになった言葉を、喉元の辺りで抑え込む。


 練度を高めるためには使ってもいいが、人に見せるためには使ってはならないというルールが彼女の中にはあるようだ。


 力の性質の問題ではなく、リリスのルールの問題。

 なら、交渉の余地はきっとある。


「……お願いです」


 震える声で、エリーゼはもう一度たけ頼む。


「私…………神様を信じたいんです」


 もう一度、奇跡をこの目で見たい。

 己の信仰を繋ぎ止めてくれる、何かが欲しい。


 エリーゼは切実に願った。

 だがそんな彼女を見て、リリスは失笑する。


「大変ですね」


 リリスは他人事のように言った。


「イシリス様の恩寵が見えない人は、そんなことで悩むんですか? 心配しなくてもイシリス様はいますよ。貴女が感じられないだけで」


 リリスが食事を再開する。

 貴女が感じられないだけで――――。

 その言葉が、エリーゼの頭で何度も反響した。




 ◆




 この日の授業は集中できなかった。

 放課後になると同時に、エリーゼは習慣でリリスの方を見た。いつもならこの後、リリスに同行する。たとえ目的が何であれ、とにかく後ろについて歩く。しかしこの日はどうしてもリリスについて行く気になれず、目を逸らした。


 元より、聖女の家来になったのは神の存在を感じたいからだった。

 だがその見込みが薄い今、リリスの傍にいる理由はない。


(私が、感じられないだけで……)


 リリスに言われたことを思い出す。

 イシリス神は存在する。エリーゼが、感じられないだけで。


(神様は……いる。いるはず……)


 頭で何度そう念じても、気を抜けば身体が震えてしまいそうになる。

 もはや、言葉だけではこの信仰を繋ぎ止めることができない。


 どうしても、確かめたい。

 どうしても、イシリス神の存在を感じたい。


 でも、どうすれば――――。


 教室を出て部屋に戻ったエリーゼは、床に鞄を置く。

 机を見ると、木の実が転がっていた。木の実についた囓られた跡は今朝と変わらない。ということは、あの鳥は朝以降この部屋には入っていないようだ。


(……今日は、いつもより見ないわね)


 鳥は自由だった。しかし自由とはいえ、ここ最近は一日に二度は顔を合わせていた。部屋に入らない時はあっても、授業中や、廊下を歩いている時によく肩に乗ってくることが多かった。


 妙な胸騒ぎがする。

 エリーゼは部屋を出て、小鳥を探すことにした。


 廊下を歩いた。小鳥に気づいてもらうために身体を窓際に寄せ、小鳥が止まりやすいようにゆっくり歩く。だが中庭に到着しても小鳥は飛んで来なかった。


 中庭にも小鳥は見当たらない。そこでエリーゼは、あの小鳥がアイルにも懐いていたことを思い出す。

 再び学生寮に戻ったエリーゼは、アイルの部屋を訪ねた。


「アイル」


 ドアをノックすると、すぐに部屋から足音が聞こえ、アイルが出てきた。


「エリーゼ!! どうしたの!?」


「元気いいわね」


「うん! 今までクララしか訪ねてくれたことがなかったから!!」


 クラスメイトの来訪がとても嬉しかったらしい。

 心配しなくても、神学科生たちは生真面目だから、放課後になると大抵が自室で勉強しているだけである。訪問者が少ないのはアイルに限った話ではない。


「鳥を見なかった?」


 エリーゼの問いに、アイルは一瞬だけ間を空けて返事をした。


「見なかったけど」


「そう」


 エリーゼが立ち去る。


「待った!」


 エリーゼの背中に向かって、アイルが呼びかけた。


「あの鳥のことで何か困ってるの?」


「……別に。今日はあまり姿を見ないから、気になっただけよ」


「じゃあ僕も探すよ!」


 アイルはやる気を漲らせた。


「放課後になったばっかりだし、僕以外にも手が空いている人は多いと思う。皆にも協力してもらおう!」


 別にそこまで大事にはしたくなかったエリーゼだが、咄嗟に口から出た言葉は「勝手にしたら」というものだった。アイルの性格上、そんなこと言われたら突っ走るに決まっている。


 案の定、アイルは「うん!」と頷いて片っ端からドアを叩き始めた。はた迷惑なことをするアイルの背中を見つめながら、エリーゼは自分が焦っていることを自覚する。


 最終的には十人で捜索を始めることになった。聖女とその家来たちは出払っているようだ。大方、リリスはエメステリア猊下のもとを訪れており、家来たちはその付近で待機しているのだろう。


「あの鳥って別に飼ってたわけじゃねぇんだろ? じゃあいなくなってもいいじゃねぇか?」


 廊下を歩くレクスが、適当に空を眺めながら言う。


「そうね。だから手伝わなくてもいいわ」


 レクスの発言は正論だとエリーゼ自身も思うため、協力を強いることはない。

 しかし他の者は何も言わず、真面目に小鳥を探していた。一人だけ置いてけぼりになったレクスは、慌てて叫ぶ。 


「て、手伝わないとは言ってねぇだろ!!」


 レクスは思ったことをすぐ口に出してしまうだけで、悪意があるわけではない。エリーゼがその性根に気づいたのはつい最近のことだった。


 多分、皆も同じはずだ。レクスの性分を深く知ることができたのは、アイルが神学科に編入し、彼と喧嘩したからである。


 アイルはクラスメイトたちによく声をかけ、意見を求め、彼らの内に込められた思想を日の当たる場所に引っ張り出していた。そうして引っ張り出された思想の中には、エリーゼが意外に感じるものもたくさんあった。


 今まで知らなかったが、どうやら自分たちの人間関係は入学当初から停滞していたらしい。それを今、アイルが上手く混ぜっ返してくれている。沈殿した各々の思想や事情を水面まで導いてくれている。


 停滞の原因は聖女かもしれない。

 だが厳密には、聖女の取り巻きである自分たちだとエリーゼは思っていた。エリーゼたちが、とにかく聖女を中心に据えておこうという空気を確固たるものにしたのだ。


 アイルには感謝しなくてはならない。

 こうして、放課後に何人も集まって一緒に行動するなんて、それまでの日々では思いもしなかった。


(……街に出た?)


 ふと、エリーゼは課外授業でアイルと話していた時のことを思い出した。

 街中であの小鳥と触れ合ったのはあの時が初めてだったが、もしかするとあの鳥は普段から街まで繰り出しているのだろうか。


「私、外を探してみる」


「分かった。じゃあ僕は校庭の辺りを捜してみるよ」


 あの鳥が街まで出ていたことを知っているアイルは、すぐに理解を示した。

 学園の敷地内は他の生徒たちに任せ、エリーゼは街で捜すことにする。


 街で小鳥を捜すのは流石に難しかった。とにかく建物の陰が多すぎて、空を見上げるにも場所を考えなくてはならない。学生寮には門限があるので早めに帰らねばならないが、焦って捜しても小鳥は一向に見つからなかった。


 見つからないかもしれない。そう思った瞬間、緊張の糸が解れた。

 あの鳥は元々自由に生きていた。レクスの言う通り、エリーゼが飼っているわけではない。仮に二度と会えなかったとしても、どこかで元気にやっているならそれでいいではないか。むしろそれこそが自然な姿だ。


 最後に軽く見て回ってから帰ろう。

 そう思ったエリーゼの目の前には、課外授業で話した串焼きの露店があった。露店の位置は学園の近くなので、小鳥が街に繰り出している姿を店主が目撃しているかもしれない。


「あの」


 最後に、この人から話を聞いて帰ろう。

 エリーゼは思い、露店の店主に声をかけた。


「すみません。この辺りで、橙色の小鳥を――」


「――ったく!! 汚ねぇなぁ!!」


 店主は何かに向かって怒鳴っていた。


「ん? ……おお、この間の嬢ちゃんじゃねぇか!!」


 店主がエリーゼの訪問に気づき、上機嫌に笑う。


「見てくれよ! 嬢ちゃんの言う通り見た目に気遣ったら、しっかり客足がついてな! 後少しで売り切れだ!!」


「それは、いいと思いますが……」


 店主は嬉しそうに手入れした店について語った。

 鉄板だけでなく看板も綺麗になっている。気合を入れて外装を整えたのだろう。

 だがエリーゼの視線は、足元に注がれていた。


「ん? ……ああ、その鳥か?」


 店主はエリーゼが注目しているものに気づいた。

 エリーゼの足元で、()()()()()()()()()()()()()


「こいつ、いきなりうちの商品に齧り付いたから払いのけたんだ。ほら、嬢ちゃんも清潔感が大事だって言ってただろ?」


 男は胸を張って説明した。

 アンタに言われた通りにしたぜ? といった態度で。


 何を言っているのか、よく分からなかった。

 男の声が、よく聞こえない。


 足元の小鳥はピクリとも動かなかった。

 払いのけた際に抜け落ちたのだろう。地面に落ちた夕焼け色の羽が、風に拭かれて散っていく。


「当たり所が悪かったのかもな。ちょいと可哀想だが、こっちだって真剣に商売して――」


 男が何を言っているのかよく分からなかったので、エリーゼはその場で屈み、横たわる小鳥を両手で拾い上げた。水を掬うかのように、優しく、丁寧に。


「あ、おい? どうすんだよ、その鳥?」


 男を無視したまま、エリーゼは学園に向かう。

 校門が見えると、そこにいたアイルが走り寄ってきた。


「エリーゼ! ごめん、まだ見つかってなくて…………」


 額に汗を滲ませながら、アイルが声をかけてくる。

 だがすぐにアイルは目を見開いた。

 エリーゼの掌の上にある、それを見て。


「エリーゼ……それ…………」


「……アイル、この子をお願い」


 エリーゼはアイルに小鳥を渡し、学園の方へ戻った。

 不思議な気分だった。自分がどこを歩いているのかよく分からない。ただ、漠然と、自身の心が()()を迎えたことだけは察することができた。


 両親はイシリス神の存在を最後まで信じていた。

 聖女もイシリス神はいると言っていた。


 ――――これでもか?


 これでも神様はいると言うのか?

 露店の店主は何も悪くない。彼はただ、エリーゼの伝えた教えを守っただけだ。

 イシリス神の教えを守っただけだ。


 疑心暗鬼の中で、それでもイシリス教徒としての役目を果たそうとしたのだ。

 父と母を救わなかった神を信じて、その教えを伝えようとした。

 そうしたら、大切なものを失った。






「ふざけるな」






 イシリス神が本当にいるのだとしたら。

 引きずり出してやる――――。




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