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デミゴッドの導き ~少年は神学校で成り上がる~  作者: サケ/坂石遊作
2章 神学科の生徒たち

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 人助けという単純な課外授業は、神学科生たちを大いに手こずらせた。その最大の理由は自身にあるのだと悟った聖女リリスは、散り散りに行動することを提案し、答えを聞く前に一人で別行動を取り始めた。


 正直なところ、リリスはこの課外授業にそれほどやる気がない。聖女という立場はそれだけでイシリス教の関係者に頭を下げられるもので、用意された人生は、たかだが学校の成績に影響を受けるような柔なものではないのだ。


 やる気はないが、それでも課外授業を合格する方法は思いついていたので、それを実行に移すべくリリスは目的地に向かった。


 小さな誤算があるとすれば、全く同じ方向に向かうもう一人の人物がいたことである。


「アンタもそっちに用があるわけ?」


 無遠慮にアンタ呼ばわりしてきたのは、橙色の髪の少女だった。


「クララさん、でしたか」


「一週間、一緒にいても名前がすぐに出ないのかしら?」


「貴女たちだって私のことを名前で呼んでませんよね?」


 クララが言葉に詰まった。

 神学科生たちがリリスのことを名で呼ばないのは、偏に立場の問題である。リリスに対する拒絶の意志でも、まして名前を記憶できないというわけでも全くない。しかしクララは恐らく違った。クララは聖女に対する敬意のなさが原因であるとリリスは感じていた。

 だったら自分も同じ態度を取ってもいいだろう。


「清く正しいイシリス教徒なら、聖女である私に平身低頭するのが自然ですが」


「アンタそれ、分かって言ってんでしょ。私もアイルも清く正しい教徒ってわけじゃないわ」


「……アイルさんもですか?」


 リリスは眉を潜めた。

 野蛮で不敬なこの少女と異なり、アイルは真面目な人間であることを周囲に示しつつある。まだイシリス教に対する理解は浅いが、それゆえに勉強したいという情熱は本物のようだ。


「アイルさんは、貴女と違って清く正しいイシリス教徒になろうとしていますよ」


「アンタ、まるで分かってないわね」


 クララは鼻で笑う。


「アイルは、私たちとは持っている器が違うのよ。多分、アンタが思うような立派なイシリス教徒にはならないわ。たとえ本人が目指していてもね」


「……では、彼は何になるというのですか?」


 アイルはイシリス教徒にならない。では彼は何のためにイシリス教を学び、イシリス神に祈っているのか。

 リリスの問いに、クララはしばらく考えてから答えた。


「イシリスの友達」


 あまりにも予期せぬ回答だった。


「は?」


 言っている意味が分からない。

 しかしクララはそれ以上説明することなく唇を閉じた。まるで自ら導いた回答が的を射ていることを実感するように、クララは満足気に微笑む。


 あまりにも理解不能な問答に、リリスは苛立ちすら覚えた。

 しかしすぐに激情は消える。聖女という立場が感情を抑制した。人の上に立つべく選ばれたこの身が、どうして下々の言葉に一喜一憂しなければならないのか。


 器が違うのは、アイルではない。自分だ。

 所詮は下々の戯言。聖女に選ばれた己が、耳を貸すほどの話ではない。


「戯言は他所でやってください」


 そう言ってリリスは目的地に向かって再び歩き出した。

 いつの間にか、こんな野蛮な少女と足を止めて会話してしまった。そのことに恥すら感じる。

 リリスが歩くと、クララも歩いた。


「ねえ、もう一度訊くけど、ほんとにアンタもこっちに用があるわけ?」


「はい」


「この先がどこなのか、聖女様は知らないわけ?」


「知っていますよ」


 リリスは眼前に広がる街並みを見た。

 入り組んだ路地裏を突き進んだ先には、酷く荒廃した景色があった。もはや原型を留めていない家屋だった瓦礫。その周辺に座り込む不健康な身なりの者たち。


「スラム街でしょう」


 リリスは微塵も動じることなく、スラム街へ足を踏み入れた。


「逆に訊きますが、貴女はどうしてここに来たんですか?」


 同じようにスラム街へ足を踏み入れたクララに、リリスは訊いた。

 クララはスラム街を一望しながら答える。


「私の特技、分かる?」


「暴力」


「正解」


 クララは不敵に笑った。


「だから、こういう街はうってつけってわけ」


 そう言ってクララは、急に向かう先を変えて近くの路地裏に入っていった。

 何をしでかすのか気になったリリスは、興味本位で彼女の後を追う。


 路地裏の奥で、三人の暴漢たちが一人の女性を襲おうとしていた。女性は暴漢の手で口を塞がれながらも必死に叫ぼうとしている。暴漢の掌から漏れた微かな悲鳴がクララには聞こえたのだろう。


 颯爽と路地裏に現れたクララは、一切物怖じすることなく暴漢たちに向かって魔法を放った。火の魔法は命中しなかったが、暴漢たちに原始的な恐怖を与える。クララの実力ならこの距離で外すわけないので、敢えて外したのだろう。


 演技なのか素なのか分からない獰猛な笑みをクララは浮かべた。暴漢たちは慌てて路地裏の奥へと逃げ去る。

 それから、クララは蹲る女性に手を差し伸べた。


「大丈夫?」


「あ、ありがとう……助かったわ……」


 女性が起き上がると同時に、クララはリリスの方を見た。

 数秒遅れて、リリスはその視線が自分の背後に送られていることに気づく。振り返るとそこには神学科の修道士が立っていた。修道士が短く「合格」と呟いたのを聞いて、クララは満足気に笑う。


「で、アンタは何をするわけ?」


 スラム街に入った直後、一瞬で合格を手にしたクララは、余裕綽々といった様子でリリスに訊いた。


「私は貴女のような野蛮な行為は好みません」


 リリスはスラム街を歩いた。

 浮世離れした美しさを纏うリリスは、スラム街でこの上なく目立った。白い肌に細い四肢。そのような容姿でこの街を歩くと、本来なら柄の悪い男たちに餌をやるようなものだが、そうならないのは少し前に路地裏から放たれた暴漢たちの悲鳴が原因だった。


 先程、橙色の髪の少女が路地裏に入った。すると暴漢たちの悲鳴が聞こえ、慌ただしい数人分の足音が遠ざかった後、橙色の髪の少女は無傷で路地裏から出てきた。


 誰だってクララの実力を察することはできる。

 だから、クララの傍にいるリリスは誰にも襲われない。


 しかしクララは知っていた。リリスは一流の魔法使いである。

 本来ならこの少女は誰かに守られる必要なんてない。そもそもクララがいなくても一人でスラム街に行こうとしていたのだから、本人にその気は全くないのだ。


「こんにちは」


 リリスが声をかけた、道端で座り込む老人だった。

 正確には、老人たちだろうか。彼の背後には家族と思しき人たちが同じように座り込んでいる。肌は汚れ、頬が痩せこけた子供たちがじっとこちらを見つめた。


「あなたたちは、家がないのですか?」


「……だったら何だ」


 老人の男からは気力を感じない。

 虚ろな目で見つめられたリリスは、慈愛の笑みを浮かべる。


「与えましょう」


 リリスは言う。


「あなたたちに、安らぎの家を与えます」


 リリスは逆さまにした拳を掌で包み、祈りを捧げた。

 その全身から柔らかい光が溢れ出す。


 目を細める必要があるような眩しい光ではなかった。まるで光を纏った粉雪が、少女の全身から放たれ、老人たちの背後に流れる。


 ただの空き地に集った光が、互いに繋がって、色を帯びた。

 家だ。家ができている。光が木造の床になり、壁になり、柱になり、屋根になる。光はみるみる家に変化していった。


「お、おぉ…………!! こんな、こんなことが……っ!!」


 目の前の光景が信じられず、老人は立ち上がって目を見開いた。

 雨風を凌ぎ、家族団欒するための家がどこからともなく創造された。クララも驚愕のあまり声すら出ない。この現象は、あまりにも神秘的で、規格外だ。


「これを……俺たちに……?」


「……ええ。こんなものでいいでしょうか?」


「ああ……ありがとう……!! アンタは奇跡を起こした……!!」


 老人は地べたに掌をつけて、頭を下げた。

 差し出せるものが何もない中で、最大級の感謝を示しているのだろう。


「そうではありません」


 リリスは微笑んだ。


「神に祈る時は、こうするのです」


 リリスは拳を掌で包み、老人に祈りの姿勢を教える。

 老人と彼の傍にいる子供たちは、リリスの真似をして祈りを捧げた。

 彼らが祈る相手は、イシリス神ではなくリリスだったが、リリスがそれを訂正することはなかった。


 クララは周りを見る。この光景を目撃していたスラム街の住人たちが、ちらほらとリリスに向かって祈りを捧げていた。それほどの奇跡を目の当たりにしたのだ。無理もない。


 こちらを見ている人たちに紛れ、修道士がリリスに視線を注いだ。

 リリスと修道士の目が合う。修道士はゆっくり唇を「合格」と動かした。

 リリスの課外授業は終了した。


「用が済んだので帰りましょうか」


 リリスが踵を返し、スラム街の外に向かう。

 その横顔から大量の汗が垂れていることにクララは気づいた。


「アンタ、大丈夫?」


「……気にしないでください。これを使うと凄まじく疲れるだけです」


 気を抜くと倒れてしまいそうなくらいリリスは疲弊していたが、それを気遣われる材料として消費されることはプライドが許さなかった。

 クララもリリスの心中を察してか、心配はしない。代わりに別の質問をする。


「あの建物、いつになったら消えるの?」


「消えません」


 リリスの言葉に、クララは首を傾げた。


「魔法で創ったものは、時間が経つと消えるはずよ」


「ええ。ですからあれは、魔法ではありません」


 この力は特別なものである。

 この力を授かったからこそ、自分は聖女という肩書きを与えられた。

 リリスにとってこの力は誇りだった。

 だから――。


「なんか、アイルの力に似てるわね」


 ――その発言を聞いた瞬間、リリスの中で怒りが沸騰した。




 は?





 は?






 は?




 この女は今、何を言った?

 私の力を、誰かに似ていると言ったのか?


 ――有り得ない。


「撤回してください」


 リリスは血走った目でクララを睨んだ。


「これは、聖女である私にしか行使できない力です」


 そうでなければならない――。


「これは、神様を信じていなければ使えない力です」


 そうでなければ私は――。


「私が、私以外の誰かに似ているなんて絶対に有り得ません」


 リリスはクララの肩を力強く掴んで言った。

 急変したリリスの様子に、クララは絶句する。

 だが、その尋常ではない興奮を見て、クララは落ち着いて口を開いた。


「悪かったわよ」


 クララは真面目な顔で言う。


「よく分からないけど、地雷踏んじゃったなら謝るわ」


 それがクララなりの誠心誠意の謝罪であることは、リリスにも伝わった。

 しかしリリスが求めているのはそんな言葉ではなかった。


「謝罪は求めていません。撤回を求めています」


 リリスの胸中で渦巻く怒りは、後少しで殺意に化けるほどだった。

 近くには、リリスたちを監視している修道士がいる。彼の目を逃れてこの少女を殺すのは至難の業だ。しかし聖女という肩書きを全力で活用すれば、揉み消すことは可能かもしれない。……そんなことを考えるくらいには、目の前の少女が憎かった。


「……真実は愛と共に語らねばならない、だったわね」


 クララが小さな声で、イシリス神の教えを口にした。 

 それから彼女は、まるで愚図る子供をあやす母親のような優しい目つきでリリスを見る。


「私はアンタの背負っているものが何なのか知らないけど、少しだけ同情してる。今のアンタの余裕のなさは普通じゃない。それってつまり、普通の人では考えられないほど苦しんでいるってことだから」


 リリスの心を見透かしたかのように、クララは言った。


「アンタの力は奇跡のようだと思う。魔法でないという話も事実だと思う。……その上で、正直に言わせてもらうわ」


 野蛮さも、不敬な態度も、今のクララからは感じない。

 だからこそ、その口から放たれる言葉は真実なのだと、リリスは察した。


「アンタの力、アイルとそっくりよ。……でも多分、アイルの方が上だと思う」




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