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デミゴッドの導き ~少年は神学校で成り上がる~  作者: サケ/坂石遊作
2章 神学科の生徒たち

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 神学科の生徒たちが一日の最初にやることは、イシリス神への祈りだ。

 敬虔な信徒は教会などに設置されているイシリス神の像へ祈る。だがそれが難しい場合は、イシリス神の象徴である天秤の像に祈る。


 早朝、エリーゼはベッドの上で目を覚ました。

 清貧な暮らしを心掛ける修道院では、寝室にベッドは置かず、夜になる度に簡単な布団を敷いて寝る。学生寮にあるベッドで眠れるようになったのは、神学校が神学科に変わったことによるメリットの一つだ。


 その分、日々の祈りを大切にしなさいと大人たちは言う。

 エリーゼはいつも通り、窓辺に置いてある天秤の像に向かって祈った。


「……………………くだらない」


 いつも通り、悪態を吐いて部屋を出た。




 ◆




 朝の食堂は昼と比べると落ち着いているが、代わりに人の動きは忙しない。できるだけ惰眠を貪りたい生徒たちが、食堂が閉まる時間ギリギリにやって来て、胃袋に押し込むように食べ物を頬張るのだ。神学科生だけでなく全学科の学生が集まる食堂では、礼儀作法を気にしない生徒も多く見られる。


 聖女リリスは毎朝、早くも遅くもない時間に食堂へやって来る。この時間帯は他の生徒も多くいて、日によっては席がほとんど埋まっている場合もあるが、そんな時こそエリーゼたちの出番だ。


「聖女様、こちらの席をどうぞ」


「ありがとうございます」


 聖女の家来であるエリーゼたちは、あらかじめ食堂の一帯を陣取って聖女が来るのを待つ。静謐な空間を好む彼女のために、少しでも喧騒と遠い窓際の席を確保しておくのだ。


「貴女たちはいつも私の傍にいますね」


 空いていた椅子に腰を降ろしながら、聖女が告げた。

 ウーヴェに言われなくても分かっている。……傍にいてくれますね、ではなく、傍にいますね。羽虫を見かけたかのようなその反応は、聖女が取り巻きたちにさほど関心を抱いていない証拠だった。


 それでもエリーゼは聖女の傍にいたかった。

 彼女の身に宿るイシリス神の恩寵に、触れたくて。 


「家来ですから」


 エリーゼがそう言って一杯の水を差し出すと、聖女はそれを受け取って喉を潤した。


「よい仕事です」


 聖女はエリーゼを一瞥もすることなく言った。




 ◆




 アイルとクララが神学科に編入してから、一週間が経過した。

 休み明けの授業。神学科生たちは相変わらず真面目にシスター・ロゼッタの講義を聞いている。


「シスター!! 質問です!!」


 アイルが大袈裟に挙手した。


「な、なんですか、アイル様?」


「真実は愛と共に語らねばならない、というイシリス様の言葉は誰に向けられたものなのでしょうか?」


 どうしてシスター・ロゼッタはアイルのことを様付けで呼ぶのだろう、と神学科生たちは気になっていたが、一週間もすれば慣れてしまった。アイルに訊いても「分からない」とのことだったし、ロゼッタも言いたくないようだった。まあ、そういうこともあるだろうと今は皆が納得している。


「使節団の章・七節ですね。これは、事故で視力を失ってしまった子供に真実を伝えるか優しい嘘で慰めるか悩んでいる両親に対し、イシリス様が告げた言葉です。伝えにくい真実も、愛と共に語れば問題ないという話ですね」


「では、優しい嘘を否定しているわけではないのでしょうか?」


「え!? えっと、それは…………う~~ん…………」


 想定外の問いかけに、シスター・ロゼッタが悩み始める。

 無論、この話は優しい嘘を否定しているわけではない。そのくらいはアイルも理解しているだろう。アイルは、真実について語ったイシリス神が、それでは嘘に対してはどのような考えを持っているのかを知りたいのだ。


 アイルは賢かった。

 初めはレクスの言う通り無知蒙昧な人間にしか見えなかったが、今となってはその鋭さに度々驚かされることがある。


 最初は無知ゆえの純粋な発言が多いと思っていたが、次第にそれらが芯を食う発言であることに神学科の生徒たちは気づきつつあった。それは神学科の生徒たちが内心でアイルを見下していた証左であり、そしてアイルの本質を見抜く能力が神学科の生徒たちを上回ることがある証左でもあった。


(……気に入らない)


 エリーゼの胸中に苛立ちが湧いた。

 そうやって、イシリス教を理解しようと努める姿が……。

 イシリス教には信じる価値があると思い込んでいるその態度が、気に入らない。


「エリーゼ!!」


 休み時間になると、アイルが声をかけてきた。

 聞こえないフリをしても、アイルはしつこく呼びかけてくるので溜息を吐く。この一週間、彼との間にはやんわりと壁を作っているつもりだが、彼もまたこの一週間で強引に壁を破る無遠慮さを身につけたようだった。


「うるさい。……何なの?」


「今、皆にイシリス教に入った切っ掛けを聞いているんだ」


 アイルの周りにはクラスメイトが何人か集まっている。

 気づけばアイルは生徒たちに受け入れられていた。最初に喧嘩したレクスがアイルに気を許したことが大きかったのだろう。アイルは悪い奴じゃないかもしれない。皆はそう思い始めていた。


「レクスは両親の影響で、ウーヴェは施療院の世話になったことが切っ掛けなんだって。エリーゼはどうしてイシリス教に入ったの?」


 アイルはエリーゼに尋ねる。


「私は……」


 その問いが、エリーゼの脳裏に最も辛い記憶を過ぎらせた。




 ◆




 燃え盛る炎。

 立ち上る黒煙。


 そこかしこから悲鳴が聞こえる修道院は、かつては救いを求める人間たちの居場所だったのに、その瞬間から誰もが忌避する地獄と化した。人々が寝静まるはずの静かな夜闇の中で、業火に包まれた地獄の様相はこの上なく目立った。


「パパ!! ママ!!」


 両親に向かってエリーゼは叫ぶ。


「心配しないで!! 私たちは帰ってくる!!」


「そうだ!! 俺たちのことはイシリス様が守ってくれるはずだからな!!」


 イシリス様、どうか我等にご加護を――。

 最後に祈りを捧げ、両親は地獄に飛び込んだ。


 夜が明ける頃、炎は消えた。

 両親は二度と帰って来なかった。




 ◆




「エリーゼ?」


 アイルに名を呼ばれ、エリーゼは我に返った。

 何の話をしていた? ……そうだ。イシリス教に入った切っ掛けだ。

 そんなの――――話せるわけがない。


「…………私も、両親がイシリス教だったからよ」


「そっか。やっぱりそういう人が一番多いのかなぁ」


 アイルはあっさり信じてくれた。

 実際、嘘は言っていない。両親がイシリス教だったから、エリーゼも入信したのだ。


「イリィはどうしてイシリス教に入ったの?」


「私は友達に勧められて。まあその友達は、獄炎の日が切っ掛けで信心をなくしちゃったんだけど」


 アイルは次々にクラスメイトたちへ質問していく。

 少しずつ話題が伝播してきたところで、教室の片隅に座っていた男子生徒が立ち上がり、気まずそうにアイルへ声をかけた。


「ま、待った。アイル、そろそろその話はやめた方がいいんじゃないか?」


「え、どうして?」


「どうしてって……なんか、イシリス教徒に()()()って言うと、変なニュアンスになるだろ?」


 アイルは首を傾げた。

 しかし、近くにいた女子生徒は頷いて共感を示す。


「私もそう思うわ。イシリス教になるとかならないとか、まるでいつでも役割を切り替えられるごっご遊びみたい」


「そうか? 俺はこういうの気軽に話してもいいと思うけどな」


「え、お前そっち側かよ」


 人の輪が広がっていく。

 どうしてイシリス教に入ったのか。……アイルが投げかけたこの話題は、気づけばクラス全員を巻き込んでいた。




 ◆




 神学科の教室を、二人の女が覗いていた。

 司教ラウレと、シスター・ロゼッタ。いつもとは異なる騒々しさに包まれている教室を見て、ラウレは「ふむ」と息を零した。


「順調に、新風が吹き込んでますね」


「そんなこと言ってる場合じゃないですよぉ……」


 頻繁にこの教室を出入りするロゼッタは、感心するラウレと違って、この騒動はちゃんと治まってくれるのかという不安に駆られていた。


「今期は聖女様の存在が大きすぎましたからね。このままでは思想が一色に染まってしまうところを、彼はいい具合に掻き乱してくれています」


 教室の様子を見ながらラウレは呟く。

 今期の神学科生は個性豊かな粒揃いだが、にも拘わらず早い段階で集団の秩序が生まれたのは聖女がいたからである。


 尊敬、恐怖、理由は人それぞれだが、聖女に逆らう生徒はいなかった。こうして聖女を中心に秩序が生まれたが、それは時期尚早だったのかもしれない。本来なら行われるはずの個性の擦り合わせ、即ち対話が幾つも省かれてしまい、そのツケが今こうして払われている。


 今、生徒たちが議論を交わしている切っ掛けはアイルだが、もしアイルがいなければこのツケは更に溜まり続けていただろう。溜まりに溜まったツケはやがて爆発する。叙階を受けた後の大事な時期に爆発したら、派閥争いなどの余計な火種にも化けうる。それなら、未熟という言い訳が効く学生のうちに精算を試みた方がいい。


「クララさんはともかく、アイル様がここまで積極的になるとは、正直予想していませんでした。聖下もこれを見越して推薦したのでしょうか?」


「どうでしょうね」


 まだアイルのことを様付けで呼ぶロゼッタを無視して、ラウレは考える。

 教皇からの推薦。そんなものは前例がない。ならばあのアイルという少年は、現体制のイシリス教にとって史上初の何かである可能性が高い。


「…………デミゴッド」


 導いた可能性の一つを、ラウレは小さく呟いた。


「え? なんですか、それ?」


「古くからの伝承です。司教以上になれば、この単語の意味は解禁されますよ」


「司教って、聖下に任命されなくちゃいけないんですよね? 私には無理ですよぉ……」


「私はそう思いませんけどね」


 優秀な生徒を持つと、教師は謙虚になるらしい。

 これは少し予想外だった。ロゼッタの今後についても真剣に考えねばならないが、今はやはりアイルという少年が気になる。


「聖下だけでなく、エメステリア猊下も特別視している少年。……あの伝承はやはり、眉唾ではなかったのか」


 二人の視線の先で、生徒たちは言葉を交わす。

 議論は少しずつ白熱していた。


「切り替えられることが悪いとしたら、生まれつきイシリス教じゃないと駄目なんじゃないか? でもそんなの両親がイシリス教の人だけの特権だろ」


「そうよ。それって階級差別に繋がらない? イシリス様の教えに反するわ」


 教室の中心に集まって、生徒たちは各々の主張を投げかける。


「でも、イシリス教への入信が気軽なものだと認識されるのもマズいだろ? その辺は厳かに見せとかないとイシリス教が舐められる切っ掛けにならないか?」


「しかしそのためにイシリス教徒の過去をタブー視するのは、節制が過ぎる」


「馬鹿正直であれ、なんてイシリス様は言ってないだろ?」


「でも、友を愛せという言葉はあるわ。あれは友のことを信じて心を開けっていう解釈よ」


「だから友にはこうして正直に言ってるじゃないか」


 男子生徒の発言に、反論はしばらく出なかったが……。


「アンタ、さっきアイルの発言止めたじゃないの」


「いや、だってアイルは……考えなしっぽいし」


「がーん」


 クララの突っ込みが議論を再び活性化させ、ついでにアイルを傷つけた。


「聖女様はどうなんだよ」


 誰かがそんなことを言う。


「聖女様は生まれついてのイシリス教徒だろ? だから特別な階級じゃないか。ってことは、生まれつきっていう要素は優秀なんじゃねぇか?」


 何気ない発言のつもりだったのだろう。

 しかしその発言は、教室の空気をヒリつかせた。


「おっと、マズい流れですね」


 生徒たちの議論を見守っていたラウレが呟く。


「シスター・ロゼッタ」


「うぅ……胃が痛いですよぉ……」


 ラウレの視線に射貫かれ、ロゼッタは仕方なく議論に介入すると決めた。

 よくない話の流れだ。ロゼッタは胃の辺りを押さえ、生徒をどう諭すか考える。

 そうしている間にも、生徒たちの議論は激しくなっていた。


「生まれの優劣はあると思う。それを理由に差別するのはよくないが、事実として優劣は存在する」


「おいおい、もう一度洗礼からやり直した方がいいんじゃないか? そういう価値観を捨てるのがイシリス教の基礎だろ?」


 本格的にマズい流れになってきた。

 ロゼッタは慌てて教室に入る。


「――はーい!! そこまで!!」


 熱くなった生徒たちの視線が一斉にロゼッタの方へ注がれた。

 一瞬だけ鼻白みそうになるロゼッタだが、後方でラウレが見ていることを思い出し、なけなしの気合を絞り出す。


「皆さん。友を愛せという言葉はありますが、それと同じくらい大切な教えもありますね?」


 沈黙する生徒たちに、ロゼッタは続けた。


()()()()()()()()()()()。……求めるのではなく、与えることに力を注ぎましょうという教えです。意見を通したい気持ちも分かりますが、自分の方から歩み寄るにはどうすればいいのか、それを考えるのも大事ですよ」


 ロゼッタの言葉は、神学科生たちの胸に響いた。

 求めるために頭を使うのではなく、与えるために頭を使う。要求する前に歩み寄るべし。その教えを思い出した神学科生たちは自己の意見に固執していたことを自覚し、己の行いを恥じた。中には顔を真っ赤にして反省する生徒もいる。


(いい議題ですけど、今の君たちにはまだ早いですねぇ……)


 内省する生徒たちを見ながら、ロゼッタは視線を移す。

 今の話題は差別的な発言が生まれやすいものだった。だからロゼッタは止めた。しかし本当はそれ以上にもう一つ、この話題を避けたい理由がある。


 ロゼッタはエリーゼを見た。

 少女の瞳の奥で、暗い感情がどろりと渦巻く。


(マズいなぁ……明日の課外授業、耐えられるでしょうか)



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