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昼休み。
食堂で昼食を食べながら、アイルはしょんぼりとしていた。その様子にクララが声をかける。
「どうしたの? なんか暗いけど」
「なんか、思ったよりも馴染めないなぁって……」
日に日にアイルのしょんぼり具合は増していた。
これも偏に神学科のクラスメイトたちと馴染めていないからである。
「アイルって、王都に来るまでは何をしてたの?」
「実家の農業を手伝ってたよ」
「仕事の話じゃなくて、息抜きよ」
クララがスープを飲み干して言った。
「気分転換が必要なんじゃない? アンタって王都に来てからすぐ働いて、軍の入隊試験も受けて、今は神学科に編入してるし。ちょっと急ぎすぎよ」
「う……言われてみれば、あんまり休んでないかも」
どちらかと言えば日々のスケジュールというより、立て続けの環境の変化が厳しい。
心を落ち着かせないと、祈りの意味も減ってしまいそうだ。
「じゃあ、日向ぼっこでもしようかな」
「……日向ぼっこって、同世代から出てくる単語とは思わなかったわ」
「昔から、あったかいところでゴロゴロするのが好きなんだ。……王都に来てからはやったことなかったなぁ」
そのまま昼寝すると至福の一時を得られる。
「屋上に行ってみましょ。日当たりよさそうよ」
クララの提案に、アイルは頷いた。
◆
屋上は常に開放されているらしく、ドアに鍵はかかっていなかった。
クララの言う通り、屋上は日当たりが良好だった。他の生徒も見当たらず貸し切りだ。優秀な子供が集まる王立学園では、昼休みも教室で勉強している人が多いのかもしれない。そう考えると自分も勉強するべきかと思ったが、その判断こそが急ぎすぎなのだと自分に言い聞かせた。
「ベンチが置いてあるわね」
クララが見つけたベンチに、アイルたちは腰を下ろす。
そのまましばらく、無言で温かい陽の光を浴びた。
「うーん……気持ちいいなぁ」
「……悪くないわね」
意外にも、クララはこの息抜きに理解を示した。
ひょっとするとクララも息抜きが必要だったのかもしれない。お互い、厳しい軍の入隊試験が終わってから、ほとんど休まず神学校に編入している。偶にはこうして羽休めをしても罰は当たらないだろう。
晴れた空にぽつぽつと雲が浮かんでいる。
雲の形が変わっていく様をぼんやり眺めながら、アイルは疑問を口にした。
「勉強すれば、イシリス様のことが分かってくるのかな?」
「少なくとも知識はつくわね。でも、イシリス様に関する知識なのか、イシリス様を奉る人に関する知識なのか、分からなくなることがあるわ」
難しい話だ。
イシリス教とは、イシリス様のためにある宗教なのか、それともイシリス様を必要とする人たちのためにある宗教なのか。
「クララの両親はイシリス教徒なんだよね? なんでクララは今までイシリス教に入らなかったの?」
そんなアイルの問いに、クララは少し考えてから答えた。
「……入隊試験の時にも言ったけど、私にとって宗教っていうのは、お手軽に一発逆転したい人たちの浅ましい欲望なわけ」
この話題になると、やはりクララは妙に刺々しい言葉を使う。
でもアイルは知っていた。クララは偏見だけでそんなことを言う人間ではない。彼女の言葉に棘があるのは、きっとその棘で傷ついた過去があるからだ。
「知ってる? イシリス教の信者って、世間と比べても魔法使いの割合が低いの」
「……そうなんだ」
「家柄が低い人も多いわ。……要するに、富も力もない人たちの最後の砦がイシリス教ってわけ」
何もそんな露悪的な言い方をしなくてもいいんじゃ……。
そう思うアイルの心境を見透かしてか、クララは補足する。
「別にそれが悪いわけじゃないわ。ただ、富も力も努力すれば多生手に入るでしょ? 勉強して、身体を鍛えて、行動力を発揮して……そうすれば自分を変えられるのに、世の中にはそれを横着して結果だけ求める人が一定数いる」
クララの目が遠くの空を見た。
その目が真に見ているのは、多分、目の前の景色ではなく過去の記憶だった。
「小さい頃、両親が布教活動している姿を見てたの。その相手に、パン屋で働く見習いのおじさんがいたわ」
クララは淡々とした口調で語り出した。
「その人は見るからにうだつの上がらないおじさんだった。『こんな自分でも変われるんでしょうか?』というおじさんの問いかけに、両親は『勿論』と頷いて入信を勧めたわ」
そのおじさんも、心の寄る辺を求めていたのだろう。
クララの両親は聖職者として、彼にイシリス教という道を示した。
「半年後、イシリス教に入信したパン屋のおじさんは、目に見えて分かるほど元気になった」
「元気になったなら、よかったんじゃ……?」
「でも職場では迷惑をかけていた」
小さく溜息を零し、クララは続ける。
「おじさんは昔から怠惰な人だったの。寝坊も多いし、すぐサボる。そんな人だから仕事では役に立たず、職場では孤立していた。……なのに、イシリス教徒という肩書きを手に入れたことで自信だけがついてしまった」
クララは笑う。
もう笑うしかないとでも言いたげに。
「おじさんは、努力を否定したまま、胸を張れる立場が欲しかったのよ。……おかげでパン屋は混乱したみたい。サボり魔のくせに自信なんかついちゃったから、もう手の付けようがなくなったんだって」
クララの言いたいことが分かった。
イシリス教に入信したおじさんは元気になったのだろう。ただし本人は何も変わらなかったのだ。治すべき欠点と向き合ったわけでも、折り合いの悪い人たちと対話したわけでもない。
こうなると困るのは、おじさんの周りにいる人たちだ。
自信は時に毒となる。パン屋で働く人たちの混乱は無理もなかった。
「そして、混乱したパン屋に向かって両親はこう言うわけ。――お困りでしたらあなたたちも入信しませんか? ってね」
寂しそうな顔でクララは告げる。
クララの両親は、あくまで布教活動に専念したようだ。果たしてそれは聖職者として正しい姿なのか否か……少なくともクララは否だと思ったのだろう。
「私が嫌っている、お手軽に一発逆転っていうのはこういうことよ。世の中には、苦労せずに胸を張りたい人がいる。何の努力もしたくないくせに、人と違う肩書きを求める人がいる。……イシリス教っていうのは偶にそういう人たちの餌食になる」
きっと当時の光景がクララにとって不幸であることを、彼女自身も理解しているだろう。全部が全部、そうなったわけではないはずだ。中にはイシリス教に入信することで謙虚な姿勢を学び、周囲から受け入れられた信者もいるはずだ。
だが恐らく、その不幸も一度や二度ではなかったのだろう。
「イシリス教は、やるべきことから目を逸らすための言い訳じゃない。……クララはそう言いたいんだね」
「……ええ」
やはり寂しそうな表情を浮かべるクララに、アイルは気づいた。
「悔しかったんだね」
「え?」
「クララは、イシリス教が馬鹿にされたと思ったんだね」
クララは目を丸くした。そんなふうに思われるとは予想していなかったようだ。
しかし、クララは揺蕩う雲を見つめ、小さく呟いた。
「………………そうかもしれないわ」
正式に洗礼を授かったのは二日前のことだが、クララの心は昔からイシリス教徒だったのかもしれない。自分にとっての理想のイシリス教が、彼女の中にはあったわけだ。それを汚されたからこそ複雑な思いを抱いている。
「そんな記憶があっても、僕と一緒に来てくれたんだ」
「まあ、私はアンタと一緒ならどこでも行くつもりだったけどね」
クララはサッパリした様子で言った。
「でも今はちょっと違う。神学科の生徒たちを見て、この進路も悪くないって思いつつあるわ」
クララは笑った。
今度はちゃんと上機嫌そうに。
「今年の神学科生は異常よ。魔法使いの比率が高すぎるし、勉強のレベルもその辺の学校とは桁違い。お手軽に一発逆転したい人なんてどこにもいないわ。……あいつらと一緒なら、この学園も楽しめそうね」
それはアイルも同感だ。
彼らと共に過ごす学生生活は、きっと刺激に満ちているだろう。
「でも僕たち、ちょっと孤立してるような……」
「別にいいんじゃない? 私はアンタに見放されなければどうでもいいわ」
男らしい……。
苦笑するアイルを、クララは微笑みながら見つめる。
「私、イシリス教っていうより、アイル教の信者なのかも」
「嬉しいけど、正直信者より友達が欲しいなぁ……」
アイルはしゅんと落ち込む。
その時、ガチャリと音を立てて屋上のドアが開いた。
ドアの向こうから現れたのは――。
「あ」
「あ」
聖女リリスとアイルの視線が交錯し、同時に声を漏らす。
リリスは一瞬だけ物凄く悩ましそうな顔をした。その視線がアイルたちの座るベンチに向けられたことを察し、アイルは勢いよく立ち上がる。
「もしかして、ここはリリスのお気に入りだった?」
「違います」
「場所空けるよ?」
「違いますから」
「まあまあまあまあ!! 折角だしリリスもこっちに来てのんびりしようよ!」
アイルの顔には、ありありと本音が表れていた。
これ以上、孤立したくない――!!
リリスとお話できる貴重なチャンスだ。
すかさず屋上のドアを閉じて逃げ場を断ったアイルに、リリスは溜息を吐いて「では」と渋々ベンチの方へ向かった。




