18
面接の準備が整うまで、アイルはしばらく待つことになった。
洗礼堂と呼ばれる建物で面接は行われるらしい。校舎とは少し離れた位置にある建物で、中に入ると簡素な小部屋があり、そこの椅子に腰掛けて待つようラウレには説明を受けていた。この小部屋の奥にもドアがあり、その先の広間で面接は行われるようだ。
(……もう三十分くらい待ってるけど、準備ってそんなに大変なのかな)
普通の面接にここまで準備をかけるだろうか。
もしかすると神学科の面接というのは色々変わっているのかもしれない。怪しげな儀式、難解な問答……嫌な想像が膨らんできたその時、ガチャリとドアの開く音がした。
外から部屋に入ってきたのは、見知った赤髪の少女だった。
「あれ、クララ? 試験は?」
「終わったわよ」
クララはさらりと言う。
「本当はこの後、体力試験も行われるはずだったんだけど、軍の入隊試験に合格したことを伝えたら免除になったわ。だから後はアイルと同じ、面接に合格すればいいってわけ」
「そっか。筆記試験はどうだった?」
「楽勝よ。まあ魔法使いって基本的に賢いから」
「そうなんだ……」
でも確かに、魔法という技術は知恵のある人間にしか駆使できないイメージがある。偏見でしかないが、筋肉質な大男よりも、線の細い学者肌の人間の方が魔法使いらしい装いだ。
クララが来ても面接の準備は終わっていないようで、まだ時間はかかるようだった。
これといって話題がない中、アイルはふと先程廊下で見た光景を思い出す。
「今年の神学科の生徒たち、凄そうな雰囲気だったね」
「そう? 雰囲気だけじゃない?」
実にクララらしい答えが返ってきた。
しかし冷静に考えれば、アイルがあの集団に混ざると場違い感が凄いものの、クララが混ざったら違和感が全くない。少なくともクララに関しては、すぐにあの集団に混ざれそうな覇気がある。
「でも、ちょっと気になることがあるんだよね」
「気になること?」
「一度だけ街で神学科の生徒を見たんだけど、あの時とは全然雰囲気が違ったんだ。僕が街で見た人たちは、もっとどんよりとしてたんだけど……」
「街で見たのは二年前の上級生なんじゃない?」
クララが説明する。
「一年と半年前に獄炎の日が起きて、その年は復旧で忙しかったから学生の募集が行われなかったの。今年は二年ぶりに新しい学生を迎え入れて、それが私たちの世代ってわけ。だから二年前の上級生といっても、代は一つ上なんだけど……」
クララは同情の目つきで続けた。
「上級生たちにとって、獄炎の日は最悪の転換期となったはずよ。ボロボロになった教会、修道院の封鎖、次々と離れていく信者……多くの人が内心でこう思っているでしょうね。『こんなはずじゃなかった』って」
獄炎の日、王都では様々なものが燃えた。
教会、修道院、そしてそこで暮していた人たちの意志。彼らが下を向いて歩くのは無理もないことだとアイルは思うが、同時に、自分たちの同級生たちにも考えを巡らせた。
「……そんな逆境の中で、敢えて神学の道を選んだ人たちが、僕らの同級生なんだね」
まるで覚悟の塊だ。
あの凛とした佇まいにも納得できる。
(どうして、彼らはこの道を選んだんだろう)
敢えて向かい風に立ち向かわねばならない理由があったのだろうか。それとも、アイルのように純粋に神学を修めたいという意志に突き動かされているのだろうか。
人々の信仰離れが顕著なこの空気の中、彼らも一度は他の道を考えたはずだ。政治家、軍人、冒険者……それらの道では叶えられない何かを胸に抱えているのだろうか。
その答えを知るには、彼らに直接尋ねるしかない。
尋ねるためにも、面接には合格しなくちゃいけない。
「それにしても、面接って誰がやるのかしら」
ふとクララが疑問を口にした。
「さっき話したラウレって人が元修道院長なんでしょ? じゃあ実質あの人がトップなわけだし、わざわざ他の人と話す必要なんてないはずよ」
「……確かに」
ラウレが二人の編入を問題ないと判断したら、その上で誰の意見を求めなくてはならないのか。
「準備ができました。こちらの部屋へどうぞ」
クララの疑問にアイルが共感すると同時に、ドアの向こうから声が聞こえた。
アイルたちはドアを開き、部屋に入る。
その部屋は明らかに何らかの用途がある場所だった。床は円形で、その円に沿うように十二本の太い柱が等間隔に立っている。部屋の中心には水の入った浴槽のようなものがあり、その周囲を石造りの柵が囲んでいた。奥には祭壇のようなものもある。
そして、部屋の手前に三つの椅子が置かれていた。
壁際に置かれた二つの空席は、アイルとクララが座るためのものだろう。
その正面の椅子には、年老いた女が座っている。
「紫のキャソック……」
年老いた女を見て、クララは目を見開いた。
「エメステリア枢機卿…………よく考えたら、当然の流れね」
滅多に動じることのないクララが、困惑を露わにして呟く。
どうしてそこまで驚くのか分からないアイルに、クララは小さな声で説明した。
「アンタを推薦した教皇が、教会のトップなのは分かるでしょ?」
「うん」
逆に言えば、そのくらいしか分からないアイルだった。
「枢機卿は教皇の右腕となる立場よ。……要するに、アンタが教皇からの推薦を持ってきたから、最悪それを突っぱねられる人が対応しに来たってわけ」
クララの説明を聞いて、アイルはようやく目の前の光景がどれほど異様かを察することができた。
イシリス教は、別にこの国だけで完結している宗教ではない。国境を越え、海を越え、あらゆる大陸の小国家にまでイシリス神の教えは届いている。
その最高責任者が教皇で、二番目が枢機卿だ。
世界で二番目に偉い聖職者が、わざわざアイルたちの面接に対応しに来たのだ。
たとえ偶々王都にいたとしても、編入試験の面接なんかに来る立場ではない。
アイルたちが椅子に腰を下ろした後、エメステリアはゆっくり口を開いた。
「ラウレ司教がお二人を通した時点で、神学科に編入する資格があることは承知しています」
その言葉を聞いた時、アイルとクララの頭に同じ疑問が過ぎった。
ならば、この面接の存在意義は?
「私の審査基準は極めてシンプル。お二人が、聖女様の同学の士に相応しいか見極めることです」
エメステリアの目がスッと細められた。
値踏みされている。エメステリアはそれを隠そうとすらしていない。
「聖女様についてご存知ですか?」
名前くらいしか知らないアイルは唇を引き結んだ。
代わりに、隣に座るクララが答える。
「イシリス教会における特殊な立場……順当に出世すれば、最終的には教皇と同じかそれ以上の権力を持つことになる人ね」
「その通り。貴女はイシリス教徒なのですか?」
「親がね。私自身の洗礼はまだよ」
「それはよかった。洗礼を終えてその無礼な態度でしたら、貴女がいた教区へ抗議しに行かねばなりませんから」
クララが押し黙った。
数日前からクララと共に行動しているアイルには分かる。今のクララの態度はただの強がりだ。それまでの強気な姿勢とは全く異なる。
「聖女様はイシリス神に選ばれし者。その身にイシリス神の恩寵を受けた、特殊な人間。ゆえに私たち聖職者は、彼女にイシリス神の影を見る」
選ばれた? 恩寵……?
何を言っているのかイマイチ理解できなかったが、要するにエメステリアは、アイルたちが聖女に悪影響を与えないのか懸念しているのだ。だから、ここから先の問答で、そうでないことを証明しなくてはならない。
クララは短く息を吐いた。
その吐息に気弱な心を込めていたのだろうか。次に顔を上げたクララの表情は、今までと同じ不敵なものとなっていた。
「質問の手間を省いてあげる」
クララは言った。
「私が神学科に入りたい理由は、ここにいるアイルと一緒にいたいから。それ以上の理由なんてないわ」
エメステリアはしばらく何も言わなかった。
クララの言葉をゆっくり噛み砕くかのように沈黙した彼女は、それからアイルの方を一瞥する。
「お二人は恋人というわけですか?」
「こ……っ!?」
「違うわ」
慌てるアイルの隣で、クララは微塵も動じることなく告げた。
「アイルは、私の道標なの」
そう告げるクララの瞳には、恋慕という感情が軽薄に思えてしまうほどの、アイルに対する厚い信頼が灯されていた。エメステリアはその瞳を見て、静かに口を開く。
「優秀な聖職者には、優秀な巡礼騎士がつきます」
巡礼騎士?
知らない単語に不思議な顔をするアイル。そのアイルを一瞥し、エメステリアは補足した。
「主人の巡礼を護衛する者のことです。人望のない者は、冒険者や軍人を代わりに雇用しますが、本来の巡礼は教徒だけで行うものですから」
説明したエメステリアは、クララを見据える。
「貴女がこの少年の傍にいて、彼を守りたと思うのであれば、巡礼騎士を目指すといいでしょう。叙階の際にその旨を伝えてください」
クララは最後まで唇を引き結んで、エメステリアの話を聞いていた。
だがその表情を見れば分かる。明るい未来に思いを馳せている彼女の横顔は、巡礼騎士という進路を前向きに考えていた。
巡礼騎士の進路を紹介した時点で、エメステリアはクララを合格にしたのだとアイルは察する。となれば後はアイルのみ。緊張して顔を強張らせるアイルを、エメステリアは真っ直ぐ見つめた。
「アイルさん。貴方には一つだけ質問します」
「一つだけ、ですか……?」
「ええ、その一つで合否が決まります」
ゴクリ、とアイルは唾を飲み込んだ。
エメステリアは、年老いた身体からは想像もつかないほどよく通る声で問う。
「貴方は何故、神学科に入るのですか?」
臆病なアイルは、この緊張する問いかけに対し、真っ先に無難な回答を思いついた。知人がイシリス教で影響を受けたからです、とか、イシリス様の教えに感動したからです、とか。そういうことを言えば受け入れられるのではないかという考えが一瞬だけ脳裏を過ぎった。
けれど、そんな上辺だけの言葉を並べたところで、エメステリアには見透かされるような気がした。何より、隣にいるクララには全て見破られることが間違いなくて、それは彼女の信頼を裏切る行為だと感じた。
ならば本心を告げるしかない。
アイルが神学の道に進もうと思った切っ掛けは、教皇から推薦状を貰ったことだ。しかしそれは切っ掛けに過ぎず、覚悟を決した理由は王都に来てからの出会いにある。
船の荷揚げをしていた男。彼の境遇を知った時、アイルは誰かが彼を助けるべきだと思った。しかし周りにいる人たちにもその余裕はなさそうだった。では、彼は誰に助けを求めればいいのか。アイルは考えたが答えは出なかった。
鍛冶屋の親方。彼の娘が攫われた時も同じような考え事をした。娘のマリアは最後に両手を合わせて祈っていた。あれは一体、誰に対する祈りなのか。誰に救いを求めていたのか。
クララたちと共に軍の入隊試験を受けた時も、やはり同じことを考えた。寄り道すれば合格を逃すことくらい百も承知で、彼らは最後の最後で下山よりも人助けを優先した。そうしなければ恥ずかしい人間になってしまうと告げた彼らは、果たして誰にそう思われることを想像していたのか。
「人は……」
アイルは、積み上げてきた考えを整理して、口に出す。
「人は……いざという時に何を信じたらいいのか。それを探すためです」
苦しみながらも働くしかない人。
娘を攫われた人。ナイフを突きつけられた人。
自らの願望を犠牲にしてまで誰かを助けた人。
彼らは、いつだって誰かを欲していた。
生まれも育ちも全然違うのに、皆が同じように何かを心の拠り所にしようとしていた。ひょっとすると、それこそが人間という生き物の仕組みなのかもしれないとアイルは思った。心という棚の中心に、拠り所という名の引き出しがある。そこには必ず何かを入れねばならない。
でも、多くの人にとって、その拠り所の中身は酷く不安定だった。
皆、それが誰なのかは分からない。何なのかも分からない。
だからアイルは正体を知りたいと思ったのだ。
皆が必要としている心の拠り所。その正体を不明瞭のままにしたくないと思った。
余計なお世話かもしれない。引き出しの中身を不明瞭なままにした方が心地よいと感じる人もきっといるだろう。だから、そういう人に価値観を押しつけるつもりはない。
それでも、教えてあげた方がいい人もいるはずだとアイルは思った。
君が心の底から信じているのは、こういう存在なんだよ……と。
アイルはいつか、答えを求める人に教えてやれる人間になりたかった。
「いいでしょう」
エメステリアは長く考えた後、告げた。
「二人を編入生として認めます」
その返事を聞いて、アイルは「ふぅぅぅ~~~~~」と深く息を吐いた。
思い切って、ありのままの本音を伝えてみてよかった。
「では、洗礼を授けます」
そう言ってエメステリアは立ち上がる。
「早いのね。本来なら一年くらい準備が必要って聞いたことあるけど」
「筆記試験の結果を見たところ、貴女には既にその準備ができています。ご両親の教育の賜物ですね。……そして、アイル君は聖下からの推薦なので特例です」
エメステリアが「こちらへどうぞ」とアイルたちに呼びかけ、部屋の中央へ向かった。長い裾を揺らしながら彼女が近づいたのは、アイルがこの部屋に入って真っ先に気になった水の溜まった窪みである。
「一人ずつ、靴を脱いでこの水の中に入ってください。それで洗礼の儀は済みます」
「……これはどういう意味があるんですか?」
「聖なる水に浸かることで、心身を蝕む俗世の欲を溶かし、無欲な状態になっていただきます。そこから人々の道標となる聖職者の生き様を志すのです。……かつては湖で行われていましたが、現在はこのような形で行われます」
床の窪みに溜められた水は透明で、僅かな塵すら浮いていなかった。
アイルの隣でクララが靴を脱ぐ。
「服のまま入ればいいの?」
「ええ。あとで乾かします」
クララは物怖じすることなく水の中に入っていった。まずは足を入れ、次に膝まで入り、最後に肩まで浸かる。外からは分かりにくかったが、思ったよりも深さがあるようだ。
「主よ、この者に洗礼を。尊き命に汚れなきご加護を」
エメステリアは右手で拳を作り、左手の掌でその拳を覆う仕草をした。拳は逆さの向きで、手首は上を向いている。
しばらく無言の時が流れた後、エメステリアは「結構」とだけ呟き、その声を聞いてクララは水の中から出た。これでクララに洗礼は授けられたようだ。
「次は貴方です」
アイルも靴を脱ぎ、水の中に入る。
水の冷たさに身体を震わせたアイルだが、しばらく浸かり続けることで身体が慣れてきた。あとはエメステリアの所作を待つことで洗礼は完了する。そう思っていたが――。
(……ん?)
クララの時には起きなかった現象を、アイルは目の当たりにする。
水が、光り出した。




