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推薦状の内容を確認した司祭は、アイルたちを別室へ案内した。
(……なんだか豪華な部屋に案内されてしまった)
光沢のある黒い革製のソファに腰を下ろしながら、アイルたちは待機する。ここは応接間らしいが、どう見ても生徒たちが使うような場所ではなく、もっと大人たちの社交の場に使われそうな高級感ある部屋だ。少し足を動かすと、絨毯の細かい毛の感触が返ってくる。
「アンタ、教皇に推薦状を貰ったの?」
「うん。理由は分からないけど、子供の時に」
クララは「ふぅん」と相槌を打ち、それから少し楽しそうに笑った。
「やっぱりアンタ、普通じゃないわね」
「普通じゃなくてごめん……」
「褒めてんのよ。またしても私の中で世界が広がったわ」
言っている意味はよく分からないが、クララとしては満足のいく話だったらしい。
その時、ドアがノックされ、一人の女性が入ってきた。
「お待たせしました」
黒い服を着た四十歳くらいの女性が、アイルたちの前で軽く一礼してからソファに座る。
「下の者が騒ぎ立ててしまい申し訳ありません。イシリス教、司教のラウレと申します。以前までは修道院長でした」
「……今は違うんですか?」
「燃えましたから、修道院は」
そうだった。
鍛冶屋の親方が言っていたことを思い出す。獄炎の日、教会は全焼して、更に修道院まで火は燃え移った。だから神学校は神学科への変化を余儀なくされたのだ。
「さて、お二人は神学科への編入をご希望とのことですね」
ラウレは机に置いてある一枚の手紙を手に取る。
それは先程、司祭が読んでいた推薦状だった。
「この推薦状は有効です。しかし最低限の試験はさせていただきます」
「何をしたらいいんでしょうか?」
「面接です。……そちらのクララさんは通常の編入試験を受けてもらいますね」
クララは「ええ」と短く肯定した。
この少女、これから目上の人となるであろう司教に対してもいつも通りの態度を崩さない。その胆力をちょっとだけ羨ましいとアイルは思う。
「現在、神学校は諸事情により機能を停止しており、代わりに王立学園の神学科が聖職者を志望する若者を受け入れています」
ラウレが神学科について説明する。
「しかし、王立学園には他にも幾つかの科目があります。商人や学者を目指すための数学科、文官を目指す政治科、軍人や騎士を目指す魔導科……これらの候補がある上、あなたがたは神学科へ進まれるのですね?」
本当に神学の道に進むのか?
アイルは注がれた視線を真っ直ぐ返すようラウレを見据え、その問いに答えた。
「はい」
「では忠告します」
ラウレが鋭く告げた。
「まずはじめに、熱心なイシリス教徒であるならば、修道院に入って最初にするべきはイシリス様の像の前で祈りを捧げることです。神学科と名を改めたところでこの儀礼が変わることはありません」
鋭い視線に射貫かれ、アイルは口を噤んだ。
ラウレは知っているのだ。アイルたちがこの校舎に入った後、イシリス神の像のもとへ向かわなかったことを。ラウレはアイルの中に信仰心があまりないことを察しており、それを指摘している。
「修道院とはそもそも、世俗を離れて清貧な暮らしを実現するための施設。しかし今はそれが敵わず、隣を見れば信徒ではない者が大勢います。だからこそ私たちは一層気を張らねばなりません。……貴方にその覚悟はありますか?」
覚悟を問われたアイルは、少し考えてから答えた。
「分かりません」
眉根を寄せるラウレに、アイルは続けて言った。
「でも、皆さんの足を引っ張らないよう努力します。その上で、もし僕に覚悟が足りないと判断されるようでしたら……その時は叩き出してください」
きっとこの神学科で要求される覚悟は、計り知れないものなのだろうとアイルは思った。ならば、それを痛感するまで判断することはできない。無知である今の自分が覚悟を口にしたところで、その言葉に重みはないだろう。
「よろしい。上辺だけの『あります』という言葉を吐いていたら即刻叩き出していました。貴方には多少の見込みがあるようです」
本音で答え過ぎたかと内心で不安を感じていたが、問題なかったらしい。
ラウレは立ち上がり、部屋のドアを開く。
「では二人を試験会場へ案内しましょう。アイルさんは面接を、クララさんは筆記試験を行っていただきます」
アイルとクララが立ち上がり、案内に従って部屋を出る。
学園の廊下を歩きながら、アイルはラウレの背中に声をかけた。
「あの、僕も筆記試験を受けることはできますか?」
ラウレが足を止め、アイルを見つめる。
「気持ちは買いますが、今まで田舎で過ごしてきた貴方にはまず解けない問題ばかりです。そのお気持ちは聖下への感謝に変えてください」
しょぼん、と落ち込むアイルを他所に、ラウレはクララの方を見た。
「クララさんは、それなりに教養がありそうですね」
見る人が見れば分かるのだろうか。
教養があると推測されたクララは、それを否定することなく、むしろまるでその評価が当然であるかのように堂々とした佇まいで口を開いた。
「受験料はないのかしら?」
「ありません。神学科は今、窮地に立たされていますからね。ここ数年は受験料を免除しています」
それは運がよかったかもしれない。
クララも手元にお金がたくさんあるわけではないのだろう。少し安心しているように見える。
「運がよかったと思っているようでしたら、それは勘違いです」
アイルたちの様子を見て、ラウレは告げた。
「窮地に立たされている神学科は今、立て直すために尽力しています。そしてそれは入学する生徒も理解している。……つまり今、敢えて神学科に来るような生徒は、強靱な信心を宿した者のみ。特に今年は、エメステリア枢機卿の計らいで聖女様も入学していますからね。歴代でも随一の粒揃いですよ」
ラウレが喋り終えた直後、アイルは左肩に小さな重みを感じる。
「……小鳥?」
いつの間にか、左肩に小鳥が乗っていた。夕焼けのような綺麗な橙色の羽毛をしたその小鳥は、円らな瞳でアイルを見ている。
「おや、丁度来ましたね」
ラウレの呟きを聞いて、アイルは前を見た。
中庭の向こう。左側の廊下から、白い服を纏った少年少女が歩いてくる。
その光景を絵画にすれば、名画として千年の時は生きただろう。アイルと同い年くらいの幼い顔立ちの子供たちが、社交界に出席する貴族のように背筋を正し、精悍な軍人の如き面構えで歩いていた。風に揺れる白い制服には皺一つなく、唇は一度も開かない。凛とした空気を纏うその一団は、すれ違う生徒たちの目を引きながら廊下を歩き、アイルたちの方へと向かってきた。
先頭を歩くのは、銀色の髪を垂らした神秘的な少女だった。彼女はラウレを見た後、短く一礼する。すると後ろにいる他の者たちも続々と頭を下げる。
気品に満ちた集団を目で追っていると、紺色の髪の少女がアイルの方を見た。
正確にはアイルの左肩に留まる小鳥を見て、その少女は人差し指を出す。
「おいで」
小鳥が羽を揺らして飛び立ち、差し出された少女の人差し指に留まった。
彼女たちはそのままどこかへ向かう。アイルたちには見向きもせずに。
「あれが、貴方たちが肩を並べることになる生徒です。あの中に割って入る自信があるなら、試験を受けなさい」




