15
「アイル!」
馬車から降り、王都の街を歩いていると、背後からクララの声がした。
幾つか後の馬車に乗っていたようだ。走って追いかけてきたのだろう、微かに汗ばんでいる。
「先に帰るなんて薄情じゃない」
「いや、僕もそう思ったんだけど……」
アイルは青褪めた顔で、口元を押さえた。
「ちょっと、気持ち悪くて……」
「……馬鹿みたいな胴上げされていたものね」
その通り。あの場で吐かなかったことを褒めてほしい。実は馬車で吐いたけど。
一度吐いたからか気分もマシになっていた。アイルは改めて、クララに別れの挨拶を告げる。
「クララ、合格おめでとう。二人なら軍人になっても立派に活躍できると思う。ルウにもそう伝えてほしい」
追いかけてくれて、ちゃんと挨拶ができてよかった。
二人とは道が異なるけれど、同じ王都で過ごすならいつかまた会えるはずだ。そう思い、アイルは宿までの帰路に着こうとしたが――。
「やめるわ、軍人」
「え?」
「私、アンタについて行くから」
突然の宣言に、アイルは目を点にした。
「な、なんで……?」
「アンタに山の麓まで送ってもらった時、自分の中にあるこだわりがちょっと萎んだ気がするのよね。……なんかアタシって、思ったよりも小さなことで悩んでたのかなって」
そう告げるクララは、まるで憑き物が落ちたかのように清々しい顔をしていた。
「だから、アンタについて行く。アンタと一緒にいたら、世界が広がりそうだから」
期待してくれているのだろうか?
だとすると嬉しい。しかし……。
「でも、僕が進む道は、クララが望まない世界かもしれないよ?」
「……進む道を先を決めたのね?」
「うん」
アイルは王都に来てからの日々を思い出した。
船の荷揚げで一緒になった作業員。鍛冶屋の親方たち家族。入隊試験を共にしたルウとクララ。
彼らの生き様を見て、アイルは己のやりたいことを見つけた。
「僕は、聖職者になるよ」
旅立ちの時、父に言われたことを思い出す。
できることではなく、やりたいことで人生を選びなさい――。
選んだ。自らの意思で選んだ。
僕は聖職者になる。そう強く決意した。
「じゃあ私もそうするわ。幸い両親はイシリス教だし」
「え、そうなの?」
「獄炎の日を切っ掛けに、信心は薄れたけどね」
アイルが最初に聖職者を目指しているという話をした時、クララはそれを馬鹿にした。だが今しがた聞いた彼女の背景を考えると、聖職者に対する彼女の見識は経験にもとづいたものだったのかもしれない。
「じゃあ、アイルはこれから神学科に入るわけね?」
「うん。…………あれ?」
肯定して、その直後にアイルはクララの台詞に違和感を覚えた。
「神学科? 神学校じゃなくて……?」
「知らないの? 獄炎の日に、教会だけじゃなくて修道院も燃えちゃったから、神学校は王立学園に吸収されたのよ。だから今は神学校じゃなくて神学科。校舎こそ違うけど、他の生徒と同じように学園の敷地で授業を受けるのよ」
そういえば親方も神学科と言っていた気がする。
獄炎の日。やはりこの事件を境に、教会の環境は激変したようだ。
「ついて行くと言った手前、信用はしてるけど……アンタ、大丈夫?」
「だ、大丈夫……! 推薦状があるし、神学科でも入れるとは思うから……!」
「推薦状? そんなの持ってたのね」
アイルが貰った推薦状は、獄炎の日よりも前に届いたものだった。しかし獄炎の日の影響で推薦状の効力が消えたわけではないだろう。多分、推薦状が無効になっているなら、事情を知っているソフィアが教えてくれたはずだ。
「神学科の入学式は三ヶ月前に終わったはずだけど、編入はいつでもできたはずよ。いつ行く?」
「そうだなぁ……明日でいいかな?」
「ええ。じゃあ明日、広場に集合しましょ」
王都の広場は集合場所に使いやすい。
クララと別れた後、アイルは宿に戻った。
◆
宿に戻ったアイルは、隣室にいたソフィアに入隊試験が終わったことを伝えた。
ソフィアは「おめでとうございます」と褒めてくれたが、本題はここからである。
「ソフィア、僕は神学科に行くよ」
「……そうですか」
アイルの決意を聞いたソフィアは、机の引き出しの中から一通の封筒を取り出した。
「では、推薦状をお返ししなくてはいけませんね」
「……そういえば預けていたね」
「忘れていたのですね」
ソフィアが苦笑する。
アイルも同じように苦笑いしながら推薦状を受け取った。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
不意に、ソフィアが言う。
顔を上げたアイルは、ソフィアが極めて真剣な面持ちをしていることに気づいた。
「古代の名君が残した格言です。私はこの言葉を真理だと思っています」
真っ直ぐ、アイルの瞳を見つめながらソフィアは続ける。
「アイル様。貴方の決断は、軽々しいものであってはならないのです。もし貴方が軽率な理由で神学の道へ進もうとしていたら、私はその推薦状を破いて捨てるつもりでした」
アイルは「えっ」と驚いた。
しかしソフィアは、柔らかく微笑む。
「杞憂でしたね。……父も、母も、ノイスも、皆が貴方のことを信じています。その理由が私も理解できました」
そう言って、ソフィアは常に纏っていた外套を外した。
品のある服装と、隠れていた首から上の全貌が露わになる。艶のある金髪、初雪の如く白い肌、深海を切り取ったかのような蒼い瞳。どう考えても普通の市民ではない。顔を見るだけで、彼女が特別な生まれの人間であると窺える。
「私の名前は、ソフィア=ゼリアド=ローレンス。この国の王女です」
透き通るような声で、ソフィアは改めて名を告げた。
「同じ時代を生きる者として……そして、共に力を生まれ持った者として、これからも末永くお付き合いいたしましょう」
頭を下げるその動きすら、堂に入っていて芸術的だった。
アイルに本来の姿を晒したソフィアは、再び外套を纏いながら部屋を出ようとする。
しかし最後に、ソフィアは扉の前で振り返った。
「ちなみに私、学園では政治科の生徒です。偶に神学科へ顔を出しますね」
最後にそう告げて、ソフィアは部屋を去った。
多分、もうこの部屋に戻って来ることはないのだろう。
閉じられた扉を、アイルは口をぽかんと開けたまま見つめる。
「…………………………おう、じょ?」
宿の従業員が部屋の掃除に来るまで、アイルは立ち尽くしていた。
1章終了です!
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